第一章 シロとクロ、逃げる女たち 【第五節 盗賊で紳士で巨人で頭脳派】


          ☆


 ザブームが巨大な斧を振るうと、用心棒たちがあっさりと吹き飛んだ。

「おわ――!?」

「ふげっ!」

 まともな装備に身を固めたどこかの軍の兵士たちならまだしも――いや、たとえここにいたのが倍の数の正規兵だったとしても、おそらくザブームの歩みを止めることはできなかっただろう。それほどまでに彼我の力の差は歴然としていた。

「なっ、な、何だ、貴様!?」

「この荷が狙いか!?」

 襲われているのはグリエバルトの王都ランマドーラへと荷を運ぶ隊商だろう。道中の警備についていた三〇人あまりの用心棒たちが、いっせいに得物をザブーム一党に差し向けたが、見ているだけで可哀相になってくるほど腰が引けている。

 だが、それも当然かもしれない。隊商のほうは非戦闘員を含めてもせいぜい五〇人ほど、対してザブーム一党は軽く見積もっても二〇〇人はいる。そして何より、その二〇〇人を率いているのが仰ぎ見るような巨人だということが、隊商の面々にこの上ない絶望感をあたえているようだった。

「仕事熱心なのはいいが……命を懸けるほどのことではないのではないかね? それに足る報酬をもらっているわけでもないだろうに」

 斧をかるがると肩にかつぎ、ザブームは眉間の傷をぽりぽりとかいた。

「そもそも、あのような小娘に忠義立てなどしても無意味だよ。どうせすぐにこの国は吾輩のものになってしまうわけだし。……ねえ、諸君?」

「あ、あの眉間の刀傷、それに癪に障るこのしゃべり方……まさか!」

「こっ、こいつ!? まさか、賞金首の“盗賊巨人”ザブームか!?」

 ただでさえ気圧され気味だった用心棒たちの間に、あらたな戦慄が走った。

「ふふん……吾輩の名もいよいよメジャーなってきたか。しかし、“盗賊巨人”とはいかにも芸がないな。そこはせめて“盗賊紳士”、あるいは“インテリジャイアント”、あるいは……いや、いずれにしろ些末なことか」

 ザブームは口もとに牙を覗かせ、紳士にはほど遠い獰猛な笑みを浮かべた。

 五メートルを超える上背に加えて人間の数十倍の筋肉量を誇るザブームは、魔法こそ苦手なものの、頑丈な鎧をまとった状態でも俊敏に動ける常識はずれな怪力と持久力を誇る。そのザブームが率いる盗賊団に悩まされている各地の王、あるいは領主たちは、彼を“盗賊巨人”と呼び、その首に莫大な賞金を懸けているが、いまだにザブーム一味を捕縛できずにいた。

「ばっ……ぐ、軍隊でも勝てないバケモンじゃねえかよ!」

「にっ、逃げろ! みんな逃げろ!」

「ひいいい!」

 隊商のリーダーらしき男が慌ててそう叫んだが、その声を待つまでもなく、用心棒たちはあっさり武器を捨てて逃げ出していた。自分たちがここまで運んできた荷馬車を放置し、ほこりっぽい街道を転びそうになりながら我先にと駆けていく。

「お頭、あいつらみんな逃げちまいますぜ!」

「放っておきたまえ」

 用心棒たちを追いかけようとする手下たちをたしなめ、ザブームは斧を下ろしてひと息ついた。

「――こちらはお宝さえ手に入ればそれでよいのだからね。あと、吾輩のことはせめて頭領と呼びたまえ。お頭とはいかにも卑俗にすぎる」

「へ、へい……」

「『へい!』ではないよ。返事は『はい!』、もしくは『了解です!』だ。いいかね、諸君? 我々とていつまでもただの盗賊団ではいられないのだよ? この乱世が終わるころには吾輩は世界の王、そして諸君らはみな一軍の将、あるいは貴族階級となるのだ。それにふさわしい言葉遣いや振る舞いを覚えたまえ」

「へ……ああ、は、はい……」

「よろしい。それでは積み荷のチェックといこうか」

「りょ、了解っす!」

「武器に防具、兵糧、そして何よりも兵力……戦争とはこの世で一番金がかかるゲームだよ。だからこそ面白いともいえるが」

「さっすがお頭! ……じゃねえ、頭領だ! 学がありなさる!」

 荷馬車に積まれていたお宝に目を輝かせていた手下たちが、ザブームの言葉に感心したようにうなずいていた。

 ここにいるのはせいぜい二〇〇人ほどだが、実際にザブームが率いている“兵隊”は五〇〇〇を超える。さらに、同盟関係という名で支配下に置いているほかの盗賊団まで含めれば、もはやニンゲンやオーク、ゴブリンといった多種族混成の軍団と呼んでさしつかえないだろう。

 だが、腕っぷしのほうはともかく、頭が切れる手下はほとんどいないようだった。

「この先、数万、数十万という軍を率い、民たちをしたがえて乱世に覇を唱えるためには、吾輩の手足となってはたらく知性派が必要なのだが……あいにく、今の吾輩の部下は一〇〇まで数えられないくらいに頭の悪い者ばかりだ」

 粗暴そうな外見を裏切る知性の持ち主ザブームは、肩をすくめて空を見上げた。

「――そこのきみ、どこかにいい人材はいないかね? 吾輩とともに天下を目指そうという野心あふれる参謀タイプが欲しいのだがね?」

「…………」

 上空からことのなりゆきを見守っていたララベルは、ザブームの呼びかけに軽く嘆息し、一気に高度を落とした。

「……ある意味、あなたにそういった冷静さと知性があるのはさいわいです」

「!?」

「だっ、誰だ!?」

 唐突に頭上から降ってきた声に、ザブーム以外の全員がぎょっとして武器を構え直していた。

「落ち着きたまえ、諸君。吾輩の部下ならこのくらいのことでいちいち殺気立ってはいかんよ。……彼女は吾輩の客人だ」

 警戒心をみなぎらせる部下たちを制し、ただひとりザブームだけは慌てることなく、ゆっくりと空から舞い降りてくるララベルをおだやかに見据えた。

「確か……そう、“戦争管理委員”のララベル嬢といったかな?」

「ええ」

 白く輝く翼を大きくひと打ちし、ララベルは地上数メートルの位置に滞空した。

「部下たちの不調法をお詫びしよう。……どうにも彼らには、あなたのその翼がまぶしすぎるようでね」

 ザブームの周囲にいる手下たちは、ララベルが放つ輝きを恐れるかのように、手にした武器を顔の前にかざして身を縮こまらせていた。中にはちゃっかりザブームの陰に隠れようとする者もいる。

「別に気にしていません。この翼の輝きは女神があたえたもうた叡智の光の一端……蒙昧なる者どもが畏敬の念に駆られるのは当然のことです」

「その女神の使いたるララベル嬢が、なぜここに?」

「わたしたちはつねに世界中を飛び回っているのです。ここはたまさか通りかかっただけのこと……」

 ララベルはあたりで動かなくなっている用心棒たちや荷馬車を一瞥し、今度はもう少し深く嘆息した。

「……しかし、すでにあなたには“宝珠”をあたえたはずです。宝珠を手にしてやることがこれですか?」

「今はもう乱世だ。吾輩が吾輩の力をどう使おうと吾輩の勝手ではなかったかな、ララベル嬢?」

 そういって、ザブームは自分の胸を拳で軽く叩いた。

「――無論、吾輩とて目的を忘れているわけではないがね」

「だといいのですけど」

「きみも空の上で聞き耳を立てていたのなら聞いていたのではないかね? これも吾輩の野望――天下を盗むための布石のひとつにすぎぬのだよ」

「それはけっこう。……ですが心しておいてください。国家の存亡を賭けた大戦の中であろうと略奪行為の最中であろうと、もしあなたの宝珠が破壊されれば、大魔王への道が断たれるのはもちろん、あなたの命も」

「いわずもがな、その程度のリスクは承知しているよ」

 ララベルを制し、ザブームはいった。

「まったく、いい時代になったものだよ。力さえあれば誰でも魔王を名乗れるし、大魔王を目指すこともできるのだからね」

「そうですね……あなたにどこまでできるか、わたしも楽しみです」

「文字通り高みの見物でもしているがいい。一年後に大魔王になっているのは吾輩……このラドロウ・ドゥクス・ザブームだよ、ララベル嬢」

 自信に満ちあふれたジャイアントの言葉を聞いて、ララベルは無言で翼を大きく広げた。

「うお――」

 ひときわ輝きを増した光の翼にザブームの手下たちが悲鳴をあげる。だが、それを聞いた時には、すでにララベルの身体は地上からはるか数百メートルの高さへと移動していた。

「国家という地盤を持たないザブームが、この乱世に覇を唱えようとするなら、まずは拠点となる自分の魔王国を打ち立てるはず……となると、このあたりで真っ先に狙われるのはやはり――」

 少しずり落ちてきた眼鏡を押し上げ、ララベルは北に向かって加速した。

                                ――つづく

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