第18話 二人と一匹

 エドワーズ邸にシャーロットお嬢様が訪問されてから数日が経ち、ヴィクター様が公務でロンドンにおいでになられる日が訪れる。


ヴィクター様は私たちと初めて出会ったあの日のあと、軍部で役職を持たれるとともに有力な貴族との人脈を広められていて、二カ月に一度は公務のため帝都に出てこられては一週間ほど滞在されるようになっている。


 ヴィクター様がこちらに来られるときは真っ先にエドワーズ家を訪れ、侍女が必要だからと有無を言わさず私をさらって、いつものホテルのスウィートに連れられるのがお決まりだが、肝心のお相手探しの方はやる気があるのかないのか、気まぐれに夜会や舞踏会に出られてはのらりくらりと私に成果なしのご報告をされるばかり。そんな日々がもう二年近く続いている。


 今日は午前中に家の中の用事を済ませ、午後からはヴィクター様の到着を待ちつつお庭のお手入れをしている。ご飯を食べ終えて機嫌よくエプロンの裾にじゃれついてくるハギスの相手をしながら咲ききったバラの花を摘んでは花かごに入れているうちに遊び飽きたのか少し離れた芝生の上で香箱を作ってのんきにあくびをしながら私の仕事を監督していた。


「にゃ」


 しばらくの時間が経ち、その場にごろんと寝転がってお昼寝を始めていたハギスが飛び起きて正門の方を見つめるのに合わせて正門の方に目を向けると、馬の蹄鉄の足音が軽やかなリズムを刻んで近づいてくる。ヴィクター様のご到着だ。

 邸内にフィル様を呼びに戻り、揃って再びエントランスに出ると、軍服姿のヴィクター様がアプローチに馬車を停め、足元に擦り寄るハギスを抱き上げられていた。


「にゃ〜ん」

「出迎えご苦労。大きくなったな、ハギス。そろそろ食べごろか?」

「ふにゃ!」

「あ、僕と同じこと言ってる。お久しぶりです。ヴィクター様」

「お久しゅうございます。ヴィクター様。ようこそいらっしゃいました」

「元気そうで何よりだ。フィル。それに、ルーシー」

「はい、ヴィクター様もお変わりないようで何よりです。長旅でお疲れになられたでしょう。どうぞ僕の部屋でおくつろぎください」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 フィル様に返事をされながら私を見つめる琥珀の瞳に、不意に胸が熱くなる。


「それでは、お茶を淹れてまいります」

「三人分ね」「三人分だ」「にゃ〜ん」

「あはは、じゃあ、ハギスの分もお願い」

「ふふ、畏まりました。ハギスも、ヴィクター様にきちんとご挨拶できたのでミルクをご用意しますね」


 フィル様がハギスを抱くヴィクター様を執務室に案内するのを見送り、厨房で大きめのティーポットにお茶を淹れてお菓子とハギスのミルクと一緒にお部屋にお持ちすると、ソファに腰掛けられたヴィクター様の膝の上に無理やり乗せられたハギスがお二人から雑に撫でられたり垂れた耳をぴろぴろされたりして迷惑そうに尻尾をぱたぱた振っていた。


「――それで、ルーシーが作るご飯に満足しちゃって全然ネズミを捕らないんですよ」

「そうか、困ったやつだな、お前は」

「……お茶をお持ちしました。ハギス、ミルクですよ」

「うにゃ〜ん」


 体をよじらせてヴィクター様の手を振りほどいたハギスが足に体を擦り寄せてくるのは一旦無視してティーセットをテーブルに乗せて三人分のお茶を配り終えてから、足元にミルク皿を置いてくしゃくしゃになった毛並みを優しく撫でて整え、頭を指先でぽんぽんと叩いてからフィル様の座る隣のソファに「失礼します」と浅く腰掛ける。


「早期の爵位継承を条件付きで認められたようだが、現状はどうなっている?」


 私が座るのを待ってからカップに口をつけられたヴィクター様がふぅと小さく息を吐き、フィル様に尋ねられる。


「はい、そうですね。王室から課せられた条件としては、大学の卒業と、母の事業からの財政の独立、あとは……」

「結婚相手を見つけて身を固めること、だな」

「ん〜、僕とエドワーズ家の内情を知り尽くしているみたいな条件ですよね。まるでサーストン子爵やグレンタレット辺境伯がそのようにご注進されたかのような……」


 フィル様が人差し指を立てて顎に当てて目を細め、ジトッとした視線をヴィクター様に向けられると、ヴィクター様は愉快げに口角を上げて答えられる。


「相変わらず察しが良いな、これは君の爵位継承を推薦する際にリチャード卿と相談して決めた条件だ。その歳で男爵を継ぐのだから、それくらいは当然だろう」

「はぁ…… 道理で嫌な…… いえ、鋭い条件だと思いました」


 演技をするように肩を落として溜息を吐かれたフィル様が私に視線を移す。


「ということは……」

「はい、存じ上げておりました」

「うぅ、ルーシーまで……」

「ははは、不服があるならリチャード卿に言えばいい」

「あはは、やめておきます」

「君はそれだけ皆の期待を背負っているということだ。エドワーズ男爵フィリップ・エドワーズ卿」

「皆様からのご期待を裏切らないよう頑張ってくださいませ。ご主人様」

「……はい、いち早く父の跡を継げるよう精進します」


 暫くの沈黙の後、フィル様は決意の言葉を紅茶とともに飲み干し、ヴィクター様を真っ直ぐに見つめられる。


「まず、大学の方はすべての課程を修了して来月には晴れて卒業の予定です」

「ほう、まだ入学して二年目だろう。さすがギフテッドといったところか」

「ん〜、そうですね。天から授かった才能と両親から継いだ血筋もありますが、ヴィクター様やルーシーや多くの方から学んで得たものの方が大きいと思っています」

「そうか、君らしい答えだ」

「財政の方は、現在は母の事業の利益が収入全体の四分の一程度を占めている状況で、独立する前に領の税収を確保できるようにインフラの整備と農業の近代化を推進しており、収支はややプラスと言ったところで再来年には継承に必要な資金が貯まる予定です」

「ふむ、ところで、最近君の噂をよく耳にする。社交界では随分活躍しているそうだな」

「はい。謝礼をいただいて夜会や舞踏会の企画をしたり司会を務めたりしています。あまり褒められたことではないかもしれませんが、今の僕にはお金も人脈も必要ですから」

「そうだな、良くは思わんが、悪いとは言わん。君はエドワーズ婦人の計略で謁見前に社交界入りして、そのまま社交界への出入りを黙認されている身だ。それを悪く思う者が現れたり、妬まれたり疎ましがられては立場を失うことになる。そのことはよくわきまえるように」

「はい、心して。 ……良かった。怒られるんじゃないかと思いました」

「それで良いお相手が早く見つかるのなら文句ないさ」

「え〜と、それは…… あはは、まだまだみたいです」

「フィル。たとえ見知らぬ相手と結ばれたとしても、互いに慈しみ、愛情を育み、理想の家庭を築くのが我々貴族の夫婦のあり方だ。最高の相手にこだわらず、容姿と家柄だけで選ぶのも悪くないだろう」

「そんなことを仰るのでしたらヴィクター様だって……」


 再びジトッと目を細めるフィル様にヴィクター様が鋭い視線を返される。


「にゃ〜」


 睨み合うお二人を見守っていると、タイミングが良いのか悪いのかわからないけれど、沈黙を破るようにミルクを飲み終えて満足げなハギスがひと鳴きして私の膝に跳び乗り、お二人の視線がそのまま大人げなくハギスに向けられる。


「良い子にしていなさい。ハギス」

「ふにふに」


 お二人の鋭い視線を全く気にせず我が物顔で私の膝の上で丸くなるハギスを見習い、私もその場は放って置いてハギスのふかふかのお腹や背中を撫でて喉をくすぐると、気持ちよさそうに目を細めて鼻を鳴らし、大きなあくびをする。その様子にお二人は揃って大きな溜息を吐かれる。


「あ、そうだ、手紙のことですが……」

「ああ、メリル子爵家への財政支援のことか。手紙の内容は理解できるが腑に落ちないことが多すぎる。第一に、これはメリル子爵が君を通じてでも直接私に言うべきことだろう?」

「ええ、それについては深い理由がありまして――」


 フィル様はその場を取り繕うように話題をメリル家への財政支援の件に移し、シャーロットお嬢様とのやり取りをヴィクター様に伝えられる。


「つまり、その勇気あるご令嬢を助けたい。ということだな。話を聞くに、ただ単に資金を援助してなんとかなる問題でもないだろう」

「え〜と…… まぁ、その通りです。お金で解決できるならメリル嬢が財力のある貴族の家に嫁げば済むお話で、メリル子爵はそのつもりでいて彼女自身も受け入れる覚悟です」

「ふむ、諦めの悪い君とは大違いだな」


 暫しの沈黙。


「……ですが、領内で流行病はやりやまいと不作が続いているそうで、メリル嬢は子爵と考えが違って領民のためにもメリル家のためにも、自身の縁談に先立って領内の状況を改善することが必要だと思っているそうです」

「ほう、世間知らずなお嬢様にしては大したものだな」

「ルーシーの教え子ですから」

「なるほど、それなら納得できる。フィル、君はどうしたい?」

「ヴィクター様のご援助がいただけるのであれば、子爵に働きかけてメリル嬢の意志に答えたいと思います」


 フィル様の真剣な眼差しを受けながら、ヴィクター様はカップに残った紅茶を飲み干す。


「……返事をする前に、メリル領の状況を改善するための計画と見積もりが必要だ。私がこちらに滞在している一週間の間にメリル領に赴いて計画を立て給え」

「ありがとうございます。それでは五日後にここでご報告するということで構いませんか?」

「ああ、楽しみにしているよ」


 お二人が握手を交わされるのを見届けてから、膝の上のハギスをソファの端に移し、空いたカップにお茶を注ぐ。


「それから、今夜はアシュベリー伯爵主催の舞踏会があって僕が司会を務めるのですが、もしよろしければご出席されませんか?」

「そうか、では、君の素行調査のためにも参加するとしよう」

「あはは、よろしくお願いします」

「では、早くホテルに戻って準備をしないとな。というわけでルーシーは借りていくよ」

「ヴィクター様、いい加減グレンタレット領から補佐官や侍女を連れてこられてはいかがですか?」

「部屋に客を招くのに社交界に通じた優秀な侍女が必要なのだよ。それに跡継ぎ問題で領内の者に干渉されては困るからな」

「ふ〜ん、そうですか」

「不満そうだな」

「そんなことはありません。ルーシー、こちらに滞在中のヴィクター・クロムウェル閣下に仕えるように」

「畏まりました。フィリップ様」


 そうしてまた、ヴィクター様の操る馬車の隣に座り、不満そうなフィル様に見送らながらエドワーズ邸を後にして、馬車は一路、活気と喧騒にあふれる帝都へと向かっていった。

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