第17話 ヤツが来た⁉︎

次の日、私の勤務は早番。

元カレが私の勤務先を突き止めたっぽいのでビクビクしながら出勤したけれど、なにもなくホッとした。

勤務先はいわゆる商業ビルで、デパートというほどのレベルではなく、ショッピングモールというほど新しくもなく、中途半端な存在だ。

入っているテナントも若者向けではなく、年配向けの店が多かったりする。

「じじばばビル」「老人ホーム」と陰で言われ、築年数もだいぶ経っていたりする。

事務所へ行くのに従業員専用エレベーターはなく、客が使うエレベーターと同乗しなければならない。

早番のときは開店前なので客と鉢合わせになることはないのだけど、たまに開店前から待っている客が一緒に入ってきてしまうことがあるため、気をつけなきゃいけない。


——もしかして、エレベーター前で待ち伏せされてるかも——



警戒したが、誰もいなくて安堵する。

エレベーターが到着した階は事務所と男女にわかれた更衣室に給湯室、それにお手洗いがあった。

事務職の私は制服に着替えるでもなく荷物が少ないことが多いため、あまり更衣室を利用しない。

いつものように更衣室へは寄らずに事務所へ向かう。



「おはようございます」



通常どおりに挨拶とともに入室したまでは良かったのだけど、挨拶を返してくれたものの何人かが私の顔をまじまじと見つめてくるので不安になる。



——な、何なの⁉︎私なんか仕事ミスした?——



真っ先に気にしたのは仕事の失敗、けれども思い当たることがなく、次に思いついたのは元カレのことだった。



——まさかもう何かアクションあった⁉︎——



血の気が引きそうだ…。

私はうつむき加減になりながら自分の席についた。



「おはようございます」



佐和子サワコが明るく澄んだ声とともに入ってきた、その途端少し事務所内がザワつきはじめた。



——え、なんなのよ、一体⁉︎——



佐和子サワコも事務所内のざわめきに気づいたらしく、表情から笑顔が消えた。

2人共通の何かの噂ってなんだっけ?と思い巡らす間もなく、伊澤イザワ部長が声を挙げた。



「えー、少し早いですが朝礼をはじめたいと思います」




大概ビルがオープンする10分前に朝礼をはじめるのだが、今日は15分前といつもより早かった。



「いきなりですが、残念なお知らせです。昨年まで我々と一緒に働いていた白間シロマ百合江ユリエさんが、元タレントを誹謗中傷したとのことで起訴されました」



そういえば彼女についての現状を聞かされたのって、昨年末だったよね…とボンヤリ考えていたら、何人かがチラチラと佐和子サワコと私を見てるのに気がついた。



——まさか、あの動画観られた⁉︎——



伊澤イザワ部長はさらに言葉を続けた。



「不幸中の幸いで彼女は当社のパソコンを使ってのことではありませんでしたが、今後マスコミによる取材がくる可能性があります。皆さんくれぐれも対応をしないように」



朝から佐和子サワコと私が意味ありげに見られていたのは、きっと関係があるんだろうな、そう思っていたら、



「それからすぐに削除されたようですが、うちの女性社員何人かも事実無根のデマを流されたとのことです。思い当たる人はくれぐれも気をつけてください」



やはり、そのことだったのか…。

それにしても、気をつけてくださいと言われても一体なにをどう気をつけたらいいのだろう?



「次に突然ですが、配置換えのお知らせです。当商業ビルの顔としてインフォメーションを務めてくれていた清川キヨカワ佐和子サワコさんと、お客様からのご意見やご要望を丁寧に電話応対をしてくれた三笠ミカサ真紀子マキコさんが、業務を交替することになりました」



井澤イザワ部長のこのひとことは、白間シロマ百合江ユリエのときよりザワついた、「なんでまた」「急すぎないの?」「若いのにかえればいいのに」最後のこのひとことに井澤イザワ部長が反応した、



太田原オオタワラくん、それアウト!うちのビルの客層は年齢層が高いから、若いのとベテランと両方置いてる事情があるんだから」



いつものように急にくだけた口調になる。

問題発言をした太田原オオタワラは三十代半ばくらいの正社員、チャラ男っぽい雰囲気でちょっと苦手なタイプだ。

と言っても、私とは接点がないのだけど…。

朝礼で白間シロマ百合江ユリエの件と佐和子サワコの交代というわりと大きな案件が告げられ、しばらく事務所内はザワザワしていた。



「それじゃ、私はこれで…」



佐和子サワコは事務所を退室し、他の階にあるオペレーター室へと向かった。



『皆さん、おはようございます。開店5分前です』



ここで館内放送が流れた、三笠ミカサ真紀子マキコの声だ。



「うぉっ、三笠ミカサさんだ!」



太田原オオタワラが真っ先に声をあげて反応した。



「部長〜、いいんすかね〜、未経験者にいきなりインフォメやらせて〜」



そう言って井澤イザワ部長になれなれしくまとわりつく。



「あ、太田原オオタワラは知らないのか、昔彼女インフォメだったんだよ」



「マジっすか!」



彼女がインフォメーションだったことを知っているのは、勤続年数の長いベテランのみ。

私も佐和子サワコから聞かされるまで知らなかった。




「どーいう事情なんすか、交代したの」



それにしても太田原オオタワラは、言葉づかいがいつまでもくだけすぎている。

あんなんでよく営業職が務まるよな…。



「ま、色々だ。それより打ち合わせは11時だろ、雑談してないでとっとと準備するように」



「へーい」



噂好きな彼にしてみればもっと情報が得たかったのかもしれないが、井澤イザワ部長に軽くしめられ諦めるしかなかった様子。

そういやコロナ前の飲み会とかであの2人って上下関係を越えて仲良かったっけ…と思い出しつつ、自分の仕事に取り組んだ。



私の仕事は催事の企画をデータに打ち込んだり、テナントの入れ替わり手続き補助をしたり、害虫駆除業者への依頼など、ごく地味なものだ。

ここ2年ばかりは、コロナ禍で様々なイベントや企画が中止になったり•開催しても閑古鳥状態だったのが、徐々に戻りつつある様子。

仕事量もコロナ以前に近づきつつあった。



「ひと段落したら、お昼休憩入ってください」




井澤イザワ部長に声をかけられる。

気づけばもう12時すぎ、今日は同じ部署の先輩より先に休憩だ。

私はお弁当を手に食堂へと向かった。


いつものように食堂でお弁当を食べ終えた後、LINEとメールのチェックをする。

元カレからの不快なFacebookメッセンジャーはブロックしたからもう大丈夫だ。

相変わらずショップからのお知らせ的なメールしかない。

友達が全くいないわけじゃないけど、マメに連絡し合うほうでもないから当たり前なんだけど、一応婚活している身としてはちょっと寂しくなる。

いつものように食後のお茶を飲みながらボーっとしていたら、営業から帰ってきたばかりらしい太田原オオタワラが突然目の前に座った。



「よう、宮坂ミヤサカさんよぉ」



日頃あまり接点がなく口もきかないような相手がいきなりなれなれしく話しかけてくるもんだから、驚いて言葉がすぐに返せなかった。



泉原イズミハラって男と知り合い?」



恐れていた名前を耳にし、仰天する。



「えっ⁉︎」



もう来ちゃったの⁉︎どうしよう!



「なんかよー、インフォメで三笠ミカサ女史とモメてたよ?」



朝出勤したとき、待ち伏せされてなかったから大丈夫だと思ったのに…。

どうしたらいいかわかんなくて、頭真っ白になる。



「ふむふむ…マスクごしでも動揺してんのがわかるくらいだから、ただならぬ仲だったと予測されるね」



自分より年下の男になれなれしい物言いされるいわれはないんだが、そんなこと気にしてる場合じゃなかった。



「なんか全テナント回ってアンタ探したのに見つからなかったって、インフォメで大騒ぎしとったぞ」



なんてバカな男なんだろう…。

私のことデパガと勘違いしてそうなメッセージは送ってきてはいたけど、まさか全店舗探すなんて…。



「ね、宮坂ミヤサカさんとどういった関係なわけ?」



興味津々といった様子で訊いてくる、顔近いよ…。



「そ、そんなこと、あなたには関係ありません」



この人が噂好きなのは知ってたけど、こうやって直接本人に根掘り葉掘り訊き出しているんだろうか。



「あ〜、やっぱ教えてくんないか〜!」



そう残念そうな顔されても…。

ゆっくり休憩していたとこを邪魔されちょっと気分悪いんだが、泉原イズミハラがどうなったかも気になる。

撃退してくれたんだろうか?



「あ〜、いたいた〜!」



食堂の入り口から三笠ミカサ真紀子マキコの声が響き渡り、こちらへ駆け寄ってきた。

紺色のインフォメーションの制服姿の彼女を見るのは初めてだ。



「ヘンなオトコがあなた探してタイヘンだったのよ〜!」



そう言って私の隣の席に座った。



「おー、待ってましたー、あれからどうした?」



「ちょっと太田原オオタワラ!あんた関係ないでしょ?」



ああ、三笠ミカサ真紀子マキコって、いつも私が言いたくても言えないことを代弁してくれるからありがたい…。

でも、太田原オオタワラは怯まない。



「いやさ、宮坂ミヤサカさんはウチの大切な事務員でしょ?だったら守んなきゃ。だって自分は宮坂ミヤサカさんの婚約者だとうそぶいていたでしょう?そんな話社内でも話題に出てなかったのに」



このひとことに、



「うそっ!やだっ!」



ガタンとイスの音を立てて立ち上がってしまった、婚約者だなんて!



「ほらね、やっぱストーカーかなんかじゃん」



「とにかくミドリ、なんかしつこそうだったから気をつけてね、良かったらあとで話を聞かせて」



太田原オオタワラが引きそうになかったたので、後で話すことになる。

それにしても太田原オオタワラ、人のこういう話を聞いて楽しいんだろうか?



「もしさ、どうしてもヤツがしつこくて困るんならさ、オレのこと彼氏ってことにしていーよ」



太田原オオタワラの思わぬ申し出に、



「へ?」



思わずヘンな声を出してしまった。



「またアンタはそんなこと!それだからいつまで経っても彼女できないのよ!」



うわ、辛辣!



「わぁ、三笠ミカサさん、ハラスメント〜!言いつけちゃお〜!!」



「いいんだよ、オマエは!」



「うわぁ、今度はかわいい後輩のボクのこと、オマエ呼ばわりした〜」



「えっ、誰がかわいい後輩だって?!」



この2人は相変わらずだ。

憎まれ口叩き合いながらも仲が良い。

そんなことより、忘れたくてしょうがない元カレの存在がスピーカーな太田原オオタワラに知られてしまったたのが自分的に痛手だったのと、勤務先を突き止められて本当に現れた恐怖で、どうにかなりそうだった…。
















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