第10話 波乱の婚活ドライブ

ミスターヌーボー氏の名前は沼津ヌマヅというらしい…。

あまりにも緊張しすぎて、沼津ヌマヅ氏がどんな車に乗っていたか、把握できなかった。


沼津ヌマヅ氏も話すのが得意なほうではないらしく、車内ずっと沈黙状態だった。

勝手知った相手なら沈黙は苦痛にはならないのだけど、こういう関係性の場合どうしたらいいかわからず、なんだか気まずかった。

集合場所からサービスエリアまでそう時間はかからなかったのだけど、私には数時間にも感じた。



サービスエリア内にあるフードコートでお昼ご飯を食べることになったのだけど、

あいにく緊張しすぎてお腹が空いていなかった。



「なにを食べますか?」



沼津ヌマヅ氏が訊いてきた、



「すみません…私、あんまりお腹が空いていなくて…」



正直に答える。

すると沼津ヌマヅ氏は困った表情になった、太めの眉が八の字に下がった。



「少しでも食べたほうがいいですよ」



沼津ヌマヅ氏は白いプリーツの不織布マスクを着けていて、目から下の顔がよくわからない。

一緒に食事をしたら顔が見える…ってことは、私の顔も見られてしまうのか!

うわぁ、どーせ顔見られないと思ってメイクしてきてないよー!と思ったら、

後ろから佐和子サワコに声をかけられた。



「ごはん食べる前にちょっとトイレ行かない?」



これがなんだか私にとって助け船に感じ、



「あ、そうだね……あ、沼津ヌマヅさん、ちょっとお手洗いへ行ってくるので、先に召し上がっていてください」



とりあえず佐和子サワコと一緒にトイレへ行くことにし、沼津ヌマヅ氏にひとこと声をかけておいた。



とくに尿意を感じていたわけではなかったけれど、行けば行ったで用は足せるもので、佐和子サワコに声をかけられて良かったと思った。



「いやあ〜、参ったわ〜」



佐和子サワコはそう言って手を洗った後にマスクを外し、手で水をすくってうがいをする。



「え、どうしたの?」



佐和子サワコとペアになったのは見るからに怪しげな男で、ちょっと心配だった。



「私と一緒にドライブしてる人がさ〜、馴れ馴れしいのよ!私のこといきなり佐和子サワコって呼び捨てするのよ!」



「えっ、それはイヤだね、ありえないわ…」



なんとなく、予想していた通り。

佐和子サワコが気の毒になる。



「お昼ご飯は高齢の親に近いうち会うからご一緒できない…って断ったのに、オレも同じだからと言われて、まるで通用しないのよ〜」



「うわ、それはタイヘンだね」



高齢の親と同居している私も他人と一緒に飲食するのは基本NGなんだけど、食欲がないから何とか逃げられそう…とはいえ、喉が乾いてはいるので、不可避になりそう…。



「でね、お願いがあるんだけど…私たちと一緒にお昼食べてくれない?まぁ私なんだか食べる気しないから、飲み物だけになるんだけど…」



佐和子サワコも食欲がなくドリンクだけと聞いてちょっとホッとした。



「いいよ、実は私もね、食欲なくて飲み物だけにしようと思ってたんだ」



「ああ、良かった〜」



佐和子サワコも安心した表情を見せた。

私はとりあえずもう一度手をい、うがいするためにマスクを外した。

すると佐和子サワコは鏡ごしに私にを見て驚いたような声を挙げた。



「ちょっと〜、ミドリってば!やっぱりリップ塗っていなかったのね〜!」




リップもなにも、軽くアイシャドウを塗って眉を整えマスカラ塗る意外は、ろくにメイクはして来なかった…。

コロナが流行してからというもの、ファンデーションにチークにリップはすっかりご無沙汰だ。



ミドリがペアになった人を気に入ったかどうかわからないけど、一応婚活なんだからマスクの下もちゃんとメイクしたほうがいいよ〜」



いいよと言われても…。



「ん、マスクにつくのイヤで」



「今時はマスクにつきにくいアイテムもたくさん出てるよー!あ、ちょっと待って」



そう言って佐和子サワコはバッグを開けてなにやらゴソゴソ探す。

今日 佐和子サワコが持ってきたバッグはオシャレなデザインで、全体がベージュっぽいツイードで持ち手が革で濃いピンクだった。



「あった」



佐和子サワコがバッグから取り出したのは、箱に入った口紅だった。



「今流行りのケイトのリップモンスターだよ、これまだ開封していないから」



そう言って箱ごと私に差し出す。



「えっ、いいよ、悪いから…」



「うん、いいの、私も同じ色持っていたのが抽選で当たってダブっちゃったから」



抽選で何かの商品が当たる人を初めて見た気がする…。

それでも遠慮して断ろうとしたら、佐和子サワコは箱を開封し、リップのフタを開けた。



「ピンクバナナって色味なんだけど…合うかなぁ?自分のパーソナルカラー、把握してる?」



「パーソナルカラーって…ブルベとかイエベとかいうやつ?」



「そう、それ!私はブルーベースの夏色なんだけと、これどうかな?イエローベースの春だとギリ使えるんだけど」



残念ながら私そこまで把握していない…。



「わかんないや…自分では肌黄色いかな?って、思っているのだけど…」



「これ、使って」


「…ありがとう」



なんとなく断りづらくなり、せっかくなので塗ってみた。

色は思いの外似合っていた。



「良かった〜、ピッタリ〜♪」



やはり佐和子サワコの女子力の高さには感心してしまう、自分は最低限の身なりを整えるのに精一杯だ。



「ね、ミドリがペアになった人どう?気に入りそう?」



気に入るもなにも…。出会ってまだ2回目だから、よくわからないのだけど…。



「んー、別にイヤじゃないけれど、全然しゃべんない人だなぁって。私もだけどね…でも、私にはあれくらいがちょうどいいのかなぁ?」



ポロっと出たこのコトバに自分でも驚いてしまった、“あれくらいがちょうどいい”は、なんか失礼すぎるなと…。

なんでこんなセリフが出たんだ!?

でも佐和子サワコは気にした様子もなく、「そうなんだ〜」と、軽く返してきた。



「そろそろ戻ろうか…」



私たちはなんとなく重たい足取りでトイレを後にした。



フードコート内は人がまばらで、

うちら婚活ドライブのメンバーと他にチラホラといるくらいで、コロナ禍による外出制限だけでなく雨のせいもあるような気がした。



佐和子サワコ〜!こっち、こっち!」



佐和子サワコとペアになった胡散臭い男が馴れ馴れしげに大声で呼ぶ、

ツンツンに立てた短い髪は金髪で、中途半端に陽に焼けた肌、そして黒いウレタンマスク…。

別に黒い色のマスクが悪いわけじゃないが、

こういういかにもな人物がこういう色でしかもウレタンというのが、胡散臭さを増長させているように見えた。

服装は黒い革ジャンに赤いシャツを着ていて、袖をまくればタトゥーのひとつやふたつ出てきそうな雰囲気だ。

私は佐和子サワコとこの男を二人きりにしないため、沼津ヌマヅ氏を探した、彼は海鮮丼らしきものに手をつけず私を待っていたようだ。



――先にどうぞと言ったのにな…でも、なんかいいな――



胡散臭い男に比べて沼津ヌマヅ氏がものすごく優良物件に見えてきた、私は声をかけた。



「すみません、お待たせしちゃって。あの、あちらに私の友人がいるんですが、一緒でいいですか?」



この提案に沼津ヌマヅ氏は一瞬驚いたような表情かおを見せ、私が示した方向にいた佐和子サワコを見つめ、



「いいですよ」



即答してくれた。



――良かった――



食欲のなかった佐和子サワコと私は、

温かいミルクティーを飲むことにした。

友達同士二人一緒に同じもの・しかも食べたくないからと言ってドリンクだけ…なんてまるで中学生女子みたいだが、この際しかたない。

二人とも本当に食欲がなかったし、たまたまミルクティー気分だったのだから…。



「あれ〜?佐和子サワコと二人だけで昼飯ひるめしって思ってたのになー」



胡散臭い男…小柴コシバというらしい…は、カツ丼をガツガツと頬張りながら、一人でしゃべりまくっていた。

会話の内容は、“いかに自分がすごい”か…。



――うわっ、イヤだなぁ…――



自分語りを大袈裟にするようなタイプは苦手だ、それにあんな大声でまくし立てるように話すなんて、目の前に座ってはいないとはいえ、ツバ飛んできそう。

佐和子サワコ小柴コシバ氏のひとつ間をおいた隣に座っていたが、無表情だ。

そういえば彼女のイヤな表情って見たことないなぁ…。

小柴コシバ氏と佐和子サワコの間の向かい側には沼津ヌマヅ氏が座り、

黙々と海鮮丼を食べていて表情をうかがうことはできなかった。

私は沼津ヌマヅ氏のひとつ間をおいた席に座っていて小柴コシバ氏から遠いのだけど、インパクトが強すぎるせいかミルクティーをすすっている間中ずっと支配されているような気分で不愉快だった。



「盛り上がってますね〜」



ここへタチアナさんが現れた、

盛り上がってなんかないわよ!と言いたくなるほど逃げ出したい状態なのに…。

チラと佐和子サワコを見ると、笑顔がひきつっていた。

小柴コシバ氏一人が盛り上がっていて、「そりゃあもう!」と、ドヤ顔だ。



「ちょっと残念なお知らせです、このあと雨がもっとひどくなるという予報が出ました、このままだとキケンだというので、今日はこのまま解散しましょう」




え、そんなに雨すごいの!?と外を確認するまでもなく、かなり激しい雨音が建物を叩きつけていたことに今さら気づく。

小柴コシバ氏のがなり立てるような声が頭に響き、それゆえ気づかなかったなんて!



「えっ、このまま解散!?」



佐和子サワコが驚いたような声をあげる。



「そうですね、車がない女性の皆さん、送ってもらいましょ〜!」



タチアナさんのこの提案に佐和子サワコの顔色がサッと変わった、あの小柴コシバ氏と一緒だなんて、すごくイヤだろうな…。



「ちょっ、、ターニャ!えっと、色々話したいことあるから、一緒に帰らない?」



慌てた佐和子サワコ、咄嗟にタチアナさんに一緒に帰ることを提案。

人見知りの私のこと気遣う余裕もなく、自分の身を守ることにしたのだろうな。

本当はこの状況なら佐和子サワコと一緒に帰りたかったがしかたない、タチアナさんの乗ってきた車は二人しか乗れないタイプのものなので、私も一緒というわけにはいかない。

タチアナさんが一緒なら安心だ、私は沼津ヌマヅ氏と二人になるのは緊張するけれどイヤなタイプではないので、がんばろうと思った。



「いいですよ〜」



タチアナさんもなにかを察したようで快諾したので、私までホッとした。



「あっ、ちょっと待ってね、渡すもの車へ置いて来ちゃったから、取りに行くね」



そう言って小柴コシバ氏と連れ立って駐車場へと向かった。

これがこの後とんでもない展開になるとは、このとき誰も予想ができなかった。







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