テレボイス

 昨夜のリモートアニバーサリーで、おれには新しい秘するべき趣味ができた。

 妄想である。

 窓辺に両手を挙げたサボテン、壁際にパルダリウム、窓近くのベッドにこの(自称)テレワークステーション。もし、この部屋でミサキさんと暮らすなら、と妄想するのである。

 パルダリウムをデザインしたときと同じ用にスケッチブックを開き、今度は定規も駆使していまの間取りをできるだけ正確に反映する。そこに――、


「なんッスかー? さっきからチラチラー」


 照れているのか拗ねているのか判然としない口調で言って、モニターの向こうのミサキさんが指ドラの演奏を中断した。熊耳ヘッドホンを下ろし、両手を床に突っ張ってこちらの手元を覗き込もうとする。もちろん見えたりしない。気になってますよという可愛らしいアピールだ。


「新しいパルダリウムの構想とかッスか?」

「んー……だいたいそんなとこかもしれないですね」

「ちょっと見せてもらえマス?」

「んー、これはダメですね」

「えー? なんでデス?」

「なんででもですねー」


 バレたら引かれる、気がする。実際のところは聞いてみないと分からない。

 ミサキさんを信用しないわけじゃないが、おれたちの関係はちょっと特殊だ。会社で顔を合わせていた頃はほとんど交わらずにきて、テレワークという仕事とプライベートがないまぜになった環境で一気に変わった。

 互いにどんな生活をしているのか知ってるし、仕事に趣味に味の好みだって分かってる。それどころか半裸姿も見ている。

 でも、実際に触れ合ったことはない。


「なーんか隠してるッスね~?」

「いや、隠してるってわけじゃ……」

「隠す気のない人は否定したりしないッスよ」

「うっ……痛いとこを」

「海外ドラマで言ってたッス」

「――って、ドラマの受け売りですか」

 

 読めない人だ。おれは笑った。実のところ、自粛解除と出勤の再開がほんのり怖い。

 たとえば、いましているような他愛のない会話は職場で交わせるのだろうか。

 雑談を始める前に仕事の大枠を終わらせ、そこからは雑談とお遊びを交えながらダラダラとつづける。一日のルーティンはすっかり完成していて、環境もすっかり整い、出勤スタイルに戻ると仕事の効率が落ちる気がする。


「っていうか、出勤再開したとして、おれたちの関係ってバレてもいいやつですかね?」

「ふぇっ?」


 ミサキさんは意外そうに瞬いた。


「隠さないといけないことッスかね?」

「えーっと……これまでの社内の関係的に……」

「……自分と付き合ってるのは恥ずかしいとか?」

「――違いますよ!」


 おれは神速で否定した。これも一ヶ月のリモート同棲がなせる技なのか、なんとなくそういう反応がくるだろうと予測できていたのだ。ついでに、


「ミサキさんの方こそ、いいんですか? おれみたいのと付き合ってるとか、バレて」

「まだ正式に付き合ってるわけじゃないッスけどね」

「え……」

「だって、付き合ってくださいって言われてないデスし」


 言って、ミサキさんはわざとらしく唇を尖らせた。本気じゃない。冗談だ。

 それは分かっているのだが、実はそれ自体もおれの頭を悩ませている。

 

「正式にお付き合いしてないのに、同棲の話してるんですからね。不思議ですよ」

「おおー、それがお悩みデスな?」

「お悩みって……ミサキさんは気にならないんですか?」

「なにがデス?」

「えっと……」


 おれは色々な可能性を考え、あまり口にしたくない言葉にたどり着き、迷った。

 それを見透かしているかのような穏やかな笑みを浮かべ、ミサキさんがテーブルに両肘をついた。片手を立て、手の上に顎をのせ、中指で眼鏡をくいっと押し上げた。ひさしぶりの大人モードである。


「怖がらんと、お姉さんに言ってみるといいッスよ」

「……だからたとえば――」

「たとえば?」

「ふたり暮らしをはじめてみたら相性が悪かった、とか……」

「……な、る、ほ、どぉ……」


 うんうんと深い頷きを繰り返しながら身を反らし、ミサキさんは大仰に腕を組んだ。むん、と胸をそらすように瞑目し、立てた人差し指をこちらに向けて、こっちにこいとばかりに振った。


「……えっと?」

「えっとじゃなくて、名前を呼んで欲しいッスよ」

「……ミサキさん?」

「疑問形じゃなく」


 なんの儀式だろうかと思いつつ、おれはちょっといいマイクに切り替えた。


「ミサキさん」


 熊耳生やすヘッドホンがブルっと震えた。目は閉じたまま、頬をわずかに緩め、ミサキさんはつづけて言った。


「あと、おかえり、って言って欲しいッス」

「……おかえり。ミサキ」

「――ぅぁ……」


 にへら、と評せざるを得ない緩んだ笑み。


「突然の敬称略はパワーが違うッスねぇ……」

「これでなにが分かるんですか?」

 

 おれの苦笑まじりの問いに、ミサキさんは瞼を開いた。


「相性ッス。自分、その『おかえり』だけで頑張れるッスよ」

「えぇ……?」

「あ、疑ってるッスね?」

「おれの声を気に入ってくれてるのは嬉しいですけど――」

「では、その疑いを一瞬で晴らす事実をおしえてあげマス!」


 ミサキさんはどっかで見たような動きで両手を胸の前で打ち、人差し指と中指を揃えてビシっとこちらに突き出した。


「そもそも相性悪かったらこんな長時間つなぎっぱにしてらんないッス!」

「……あ」


 言われてみれば当たり前の話だった。世間ではテレワークによるストレス増加が声高に叫ばれ事実報告されてもいる。けれど、おれたちの場合、ごく初期に外出自粛耐性の低いおれが精神をやられかけたくらい。それもミサキさんがサラっと解決してくれている。

 ミサキさんは揃えた指を指揮棒タクトのように振った。


「これは自分の持論ッスけど、共同生活で一番キツいのは生活音ッス」

「と、いいますと」

「いいデスかー? 人間は臭いなんか十分でわかんなくなっちゃうッス」


 視野は限定されているから布一枚のしきりで圧迫感もほとんどなくなる。多人数の生活でもっとも大きな問題となるのは、否が応でもそこに誰かがいると知覚させてしまう、音だ。

 

「しかーし、自分たちは、すでに毎日、数十時間も音を共有してるのデス!」

「なのに不快に思わないから、大丈夫?」

「デスねー。あと気になることがあるとしたらー……」

「したら?」

「味、とかデスかね?」


 チロっと舌を出し、ミサキさんは下唇を舐めた。


「料理はもうふたりでやってますし、おれミサキさんの味付け好きですよ?」

「あー……えっと、それはそれとして。ええ、自分も好きッスけど」

「……はい?」

「だからその、別の味というか……」


 ミサキさんがふっと目を逸した。仄かに赤くなった両頬を、扇代わりの手で扇ぎだす。

 そっちか――たしかに大事だ。

 おれは発言の真意を察し、思わず両目を覆った。死ぬほど体が熱くなっていた。


「スイマセン、いまの、自分の失言ッスね」

「いえ、とっても大事だと思います。味」

「……お、美味しいといいッスけど」

「それはお互い様ですから」


 そこまで言って、おれたちは何を言ってるんだろうと笑いあった。けれど、最初の不安も吹き飛ばされてくれていて、ごく自然に話を切り出せた。


「――んで、いままでおれの家だと、対面ポジションにミサキさんはいるわけですよ」

「ふむふむ?」

「一時的にとはいえ、もしこの家で一緒に暮らすとしたら――って妄想してまして」

「ぜんぜん隠すようなことじゃなくって拍子抜けッスよー」


 ミサキさんはおれが書いた部屋の間取りのスクショを撮って、オンラインパレットに取り込んだ。複数人で共同作業できるツールだ。どうせなら、ふたりで一緒に話そうというのだ。

 おれはなにをビビっていたのか。

 最初から、そうすればよかったのだ。


「――ほんとッスよー、もー、ビビリさんッスねー」

「面目ないです」

「もっと自分の声に自信を持って!」

「声って。それ――」


 ――喜ぶべきか、悲しむべきか、ではなく。


「そっか、声か」

「はい?」

「おれの声って、いい声なんですよね?」

「……自分はそう思いマスけど?」

「じゃあ、ミサキさんの副業に倣って、おれは声の――」

「――却下ッス」


 秒で否定し、ミサキさんはスン、とジト目になった。


「もし配信やるなら自分と一緒ッス」

「えっと?」

「ひとりで、声だけとか、ありえないッス」

「あの、ミサキさん? ちょっと怖い――」

「ぜんぜん、怖くないッス」


 いつになく、ミサキさんのジト目モードが長かった。

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