テレ・イド・スコープ

 きっかけがあったとするならば、間違いなく、昨日の写真に写り込んだ物のせいだろう。

 さらに付け加えて言うならば、おれが生で会いたいと言ってしまったせいでもあるし、いつものように始めたビデオ会議のなかで、


「まー、自分だってえっちな気分になることくらいはあるッスよ」


 と、ミサキさんが赤面しながら言ったせいでもある。

 ムラっときた。当たり前だが、こっちだってなるって話だ。

 

「じゃあ、やっぱり……」

「……まー」


 ミサキさんは頬杖をつき、そっぽを向いたまま、そう答えた。指がくしゃくしゃと髪の毛をいじっていた。


「……どんな感じなんです?」

「……ゔぇっ!?」


 こっち見た、と喜んでいる場合でもない。

 ミサキさんは顔を真っ赤にしたまま、眉根を寄せた。


「ふ、フツー、聞きます?」

「状況がフツーじゃないんで、いっかなって」

「よかーないでしょう! というか、そういう話、フツーは……」

「たとえば」

「たとえゔぁっ!?」


 ミサキさんはストレートパンチを食らったボクサーのように仰け反った。そのまま、座椅子がわりのベッドにもたれて、ゔぇぁー、と特有の鳴き声を発した。可愛い、が、勘違いだ。

 たとえば、というのは回答を期待したではない。


「たとえば、おれは」

「うぇっ!?」

 

 ずばっと、ミサキさんが体を起こした。当然の反応だろう。

 おれがなにをどうするか語る。

 そう思い込んだはず。

 その反応を待っていたのだ。


「これ、初日からなんですけど」

「……んっ?」

「初日、ミサキさん下を穿いてなかったじゃないですか」

「……んんんっっ!? あ、あれ!? なんの話しようとしてます!?」

「で、おれも脱いだじゃないですか」

「あの!? ちょっと!?」

「正直ね……結構、ムラッときたんですよ……」


 声フェチのミサキさんにあわせるつもりで可能な限りのいい声で言った。思いのほか反応が薄かった。スベった、というやつか。

 おれが顔をあげると、ミサキさんは、


「――さすがに、さすがにそれは……セクハラなのでは?」

「……えっ!?」


 それミサキさんが言いますか? と尋ねるよりも早く、


「いや、えっ!? でなく! セクシュアルハラスメントでは!?」

「えっ、ちょっと待って、待ってください。それはおかしい。なんで?」

「なんでって……だってそれ、シチュエーションに興奮してるだけじゃないッスか!」

「…………んっ?」


 ミサキさんの、両手を下に突っ張る拗ね仕草に、おれは思った。

 では、個人に興奮すれば良いと。

 こちらとしては元よりそのつもりである。


「だとしたら、ご安心を」

「……どういう意味です?」

「そもそも社内でのミサキさんを知っていたから、おれは興奮したんです」

「こうふっ――」

「いいです?」


 固まりかけのミサキさんを前に、おれは畳み掛けた。


「同期、同い年、パリっとしたカッコイイ女の人、それが知っていたミサキさんです」

「カッコいい、ですか」

「社内だと、そういう照れ照れした様子もみせてくれなかったじゃないですか」

「えっ? あ……まぁ……」

「そんな人が、テレワークで油断しまくってて、なんかちょっとエロいんですよ?」

「えろ……エロいんですか?」


 ミサキさんは訝しげにモニターを見つめた。おそらく、モニターの片隅に写っている自分の姿を確認しているのだろう。


「だって、ニットですよ? モコっとしたユルいニット!」

「あの、前も言ったかもですけど、これ、胸に合わせたら大っきくなっただけで……」

「理由があざといんですよ!」

「あざとい!?」

「そして、おれをムラっとさせるんですよ」

「む、ムラっと……いやだからそれはセク――」

「分かりません? ミサキさんだから、ムラっとするんです!」

「……自分、だから……ッスか?」


 ミサキさんの細い喉が、こくん、と小さく動いた。


「たしかに、シチュエーションに興奮するってのはあります」

「あ、あるんでスね……」

「そりゃありますよ。ありますけど、条件を満たしてるのはミサキさんだけです」

「……たとえば、その、具体的には……自分のどこが」

「……欲しがりッスね」

「ゔぇっ!?」


 色づいていく頬を見つめて、おれは画面に向かって指をこまねいた。

 ミサキさんの顔が近づいてくる。何度も何度もくりかえしてきた動きだが、何度やってもらっても可愛いと思ってしまう。


「なんでしょうね? 動きのゆるさ……気配……? なんかエロいんですよ」

「なんかエロい……自分がですか? あんまり言われたことないッスけど……」

「配信のときとか、どうだったんですか?」

「うぇっ!? それ言わないとダメッスか!?」

「単純な興味として。というか、それを一番聞いてみたくて」

「えっ?」

「えっちな格好で配信して、興奮してたのかなって」

「ゔぇっ!?」


 ミサキさんは手のひらで両頬の熱を冷まそうとしているようだった。いつもはスラっと見える顔立ちが、ちょっと下から押し上げられて、柔らかそうに見えた。

 眼鏡の奥の潤んだ瞳を虚空に向けて、ポツポツと言った。


「しょ、正直……」

「正直?」

「ちょ、ちょっとだけ……!」


 言うや否や、すっ、と両目を隠した。


「……えっちな格好で配信してたんだ」

「……それは、してない……ッス……たぶん!」

「黒縁眼鏡にマスクで、ニットだけ着て配信って、それだけでえっちですよ」

「で、ですか~……」


 まんざらでもないのか、ミサキさんはもじもじ体をくねらせた。


「隙の多さがたまらない……というか……いやでも、狙ってるんですよね?」

「……狙って……?」


 潤んだ瞳が覗き込むようにカメラを見ていた。頷き返してみせると、ミサキさんは不思議そうに首を傾げた。いつもそうだ。肩のニットがずり落ちかけた側を、顕になった肌を見せつけるようにそうするのだ。

 おれは自然とあがっていく口角を隠した。


「……今日は、紫ッスか?」

「ゔぇっ!?」

 

 おれの指摘に、ミサキさんは両肩をすくめた。


「肩紐、見えてますよ?」

「せ、セクハラ! これは間違いなくセクハラ案件ッスよ!」

「見せてるのでは?」

「なんのために!?」

「……あれ?」

「……へ?」

「ブラ紐みせは狙ってないと」

「……あの、自分、どういう印象をもたれてるんでしょう?」

「えっちな人」

「えっっっ!」


 ミサキさんは頬を押さえたまま細く長く息をつき、すっと立ち上がった。さすがにからかいすぎたかと思っていたら、画面外に消えた彼女は右手に梅チューハイの缶を携え戻ってきた。

 ドンッ、と座り、プルトップを開け、缶から直のみし、言った。


「シラフで聞いてると、照れちゃいそうなので!」

「……猥談にはアルコールが必要だと」

「わいっ……言い方! えっちな話でいいじゃないッスか!」


 言うなり、またぐいーっと飲んだ。


「えと、ペース早くないですか?」

「早く入れないと恥ずかしくておかしくなっちゃいそうなんですよ!」

「いやでも、ああああ……あの、ほどほどに――」

「大丈夫ッス! まだ、あるので!」

「……じゃあ、聞きたいことがあるんで、おれも飲ませてもらいますね」


 最近は手元に置きっぱなしになっているボンベイ・サファイヤのボトルを取った。思春期を思い出すような胸の高鳴りをひた隠し、ショットグラスで一口――むせかけた。

 おれは喉奥の痙攣に負けじと表情筋に力をいれた。


「で、本題なんですが……あの写り込んでた、あれ、実際どうなんです?」

「実際、とは……?」


 お互い平静を装っているが、頬は上気している。酔に任せるつもりがちっとも酔っぱらえる気がしない。ミサキさんもそうだろう。

 おれたちはいま、共犯関係にあるのだ。


「その、どんな感じなのかぁって……」

「……なん――っていうか……実は、そういうふうに使ったことって、ほとんどなくて」

「使いはしたと」

「まぁ……」


 ふーっと、おそらく熱っぽいであろう吐息をついて、ミサキさんは言った。


「なんかムリヤリ感あるんで、そういう気分じゃないと、ちょっと」

「ムリヤリ感」

「強引にもってかれるような感じっていうか……」

「強引にもってかれる」


 オウム返しをしているだけなのに、おれの鼻息は荒くなった。我ながら気持ち悪い話をしてると思うのだが、酔っているのだと自分の胸に言い聞かせ、つづけて尋ねた。


「……女性の場合、どんな感じなんです?」

「………………チカチカする感じ、ッスね……」


 耳を撫でるような囁きだった。

 

「しすぎると、テレイドスコープみたいな」

「テレイドスコープ」

「え、遠華鏡ってやつッス。こう、きらきらー、ぐるぐるーって……ググってほしいッス!」


 言ってミサキさんは真っ赤になり、テーブルに沈没した。求められるがままに語りすぎたと、自ら気づいたのだろう。白旗のごとく振られるニットの萌え袖に、おれは身を乗り出した。

 降伏なぞ、認めるはずがない。


「……さっきの、しすぎるって話の方をもう少し……」

「……言いマスけど、したら次はそっちの番ッスよ……?」


 苛烈な反撃が予想された。

 望むところ。まるで修学旅行の夜だった。 

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