テッテレーワーク

 ひょんなことから始まったテレワークとは名ばかりのビデオチャットで話してるだけな在宅勤務の初日は、双方ともに下半身マッパになるという謎の痛み分けで終わった。

 これはまずい。

 ミサキさんとのあいだで羞恥・機密情報レベルの均衡はとれたが、依然として室長に求められたテレワークらしい活動はできていない。

 おれは今日すなわち二日目こそは社会人らしい活動をしようとカメラの前に腰を下ろした。モニター端っこに映る自分をチェック。髪型よし。服装よし。背景よし。

 よっしゃ見てろよミサキさん。

 接続開始。応答を待っています。回転する謎のリング。立ち上がるダイアログ。オーケイ。


「――!?」 

 

 つながったと思った次の瞬間、黒縁メガネの奥でミサキさんの眉が寄っていく。大きなマスクは顎の下、尖らせた唇にストロー、手元にエナジードリンクの缶。ヤバイ。

 ミサキさんが映像を認識し終えたそのとき、


「――ブッッッッッ、ハッッッ!!」


 口からライトグリーンを飛沫しぶいた。

 一瞬にして液体にまみれた画面の奥で、ミサキさんが肩を揺らしていた。口元を拭いながら顔をあげ、


「ブハハハ! パリピ! パリピがつないできおった!」


 ふたたび爆笑した。

 そう、おれは部屋の照明をパープルに変更、ハンズで購入したUSBミラーボールを卓上に設置し、2020サングラスと安っぽい金のぶりんぶりんで仮装していた。

 ミサキさんの息が落ち着くのをまって、おれは言った。


「テレワーク、ポン! ポン!」


 ミサキさんが沈没した。

 おれは満足してサングラスを取った。


「いやー、ウケて良かったー。滑ってたら大惨事ですよコレ」

「フ、フヒ……や、そりゃウケるッスよ。フィルターじゃなくて物理なんスもん!」


 ミサキさんは卓上を指差して言った。


「つか、なんスか、その小っさいミラーボール!? わざわざ買ってきたッスか?」

「ウケるかなって」

「バカすぎッス――てか、手ぇべたべたになったッス」

 

 言ってケタケタ笑いつつ、ミサキさんは手のひらでフレームを挟むようにして眼鏡を取った。視線をカメラの奥――つまりこちら――に投げ、口を開いた。


「あ――」

 

 呼びかけるような一音を発してすぐ口をつぐんで、ミサキさんは愛想笑いを浮かべた。


「スイマセン。ちょっと拭くもの取ってきマス」

「あ、はい」

 

 と、返事をしつつ、おれは思った。

 ――誰か、いる?

 画面の手前側――カメラの死角に視線を投げるような仕草、それに言いかけてやめたような感じ。ミサキさん以外の誰かが部屋にいて、いるのを隠そうとしているような。

 友だち……な、わけない……こともない?

 見た感じワンルーム……にしては、少し広いだろうか。というかワンルームなら拭くものくらい手元にありそうだ。

 となると、やはり……実家?

 ないないない。

 などと、とりとめのない思考をしていると、耳の奥に微かな声が聞こえてきた。


「……ちょっ……メだって……待たせ……ら……!」

「……んん?」


 おれは耳を澄ました。


「……から……! ダメだってば……! ちょっ……あっ……!」


 ミサキさんの声だ。間違いない。

 間違いないが、カメラ越しに話しているときと違って少し鼻にかかったような小さな声だ。マイクの切り忘れである。

 ミュート。ミュートしろ。気づいて!

 おれは願った。


「……あンっ! ダ……ってぇ……!」


 ふつふつと、モヤモヤと、ジメっとした感情が湧いた。動揺した。黙っているべきなのかどうかも判らなくなった。微かに聞こえる、抑えたような笑い声と、なにやら甘ったるい気配。息苦しくなってきて、つい、おれは咳払いしてしまった。

 ビクッ、と震えるような息づかいがあった。

 風を切る音が聞こえ、画面の向こうに、ミサキさんが戻ってきた。キッチンペーパーのロールをもっていた。少し頬が赤くなっているような気がした。


「……えっと、おまたせしたッス」

「あ、う、うん……」

 

 なにやら、とてつもなく気まずかった。

 おれの咳払いでミュート忘れに気づいたのだ。間違いない。

 それまでに、なにか、していたあるいはされていたのだ。ユルいニットの肩口がさらにユルユルになっているのが証拠。


 おれは、黙々とテーブルとカメラを拭くミサキさんを注視しつづけた。モヤモヤした。黙っているのがキツい。聞くべきなのか。聞かないほうがいいのか。

 プライベートに首を突っ込むのかよ。

 そう思うと、口の中に粘ついた唾があふれた。

 ごくん、と喉が鳴った。

 ミサキさんの手が止まった。間。耐えられそうにないくらい、重い沈黙。

 おれは口を開いた。


「あ、あーと……あの、えーっと……」


 聞こうとしただけ、エラいと思う。

 言葉はでなかったけど。

 ミサキさんは困ったような上目遣いでこちらを見つめ、やがて、


「――テッテレー!」


 テーブルの下から小さなプラカードを出した。


「……えっ?」


 ドッキリ大成功、とサインペンで書いてあった。手書き丸出しの、あたかも今さっき突貫でつくりました的なペラい奴だ。


「え、えっと……て、テッテレー!」


 あれだ。ドッキリの定番のSEだ。口で言ってるけど。

 おれは何度か瞬き、プラカードの文面を確認した。


「えっ?」

「えっ、あの、えっと……滑った……ッスかね……?」

「び」

「び?」

「ビビったぁぁぁぁぁぁぁ~~~……」

 

 おれは安堵の息をつきながら、ひっくり返った。気まずい空気が払拭されたがゆえに――というよりも、安心した自分に驚いて、ぶっ倒れたのだ。


「なんだよもう! 焦ったじゃん! めっちゃ焦ったじゃん!」

「えっ、えぇ~? いや、いくらジブンでも仕事中にそういうことは――」

「えっ?」

「えっ?」

「……カレシ、いるの?」

「えーと……?」


 ミサキさんは驚いたように瞬いて、ほんのり頬を赤らめた。


「て、テッテレー……とか……」

「いや、それもういいから」

「えっ」

「や、えと、いるんですか?」

「え……えぇ~~~……?」


 ミサキさんは頬杖をつき、片手で顔を煽ぎながら言った。


「えっと……そっちはどうなんスか?」


 チラチラと投げられる視線に、おれは正直ドギマギしながらも何とかそれを隠して言った。

 

「いる」

「えっ?」


 こちらへ向き直った黒い瞳に、おれは言った。


「テッテレー」


 ガンッ! と派手な音を立てて肘をつき、ミサキさんは顔を伏せた。


「……あ~もう……焦ったじゃないスか~……」

「えっ、焦ったって、なんで」

「なんでって……」


 ミサキさんは弾かれたように赤らんだ顔をあげた。


「や! そっちこそ! さっきのビビッたってなんでッスか!?」

「いやいやいや、さきに仕掛けてきたのそっちだからね!?」

「は!? だって……だって……」

「だって?」


 おれが追求すると、画面の向こうでミサキさんはますます赤く茹で上がり、


「……テッテレー禁止ね?」

「うぇっ!?」

「禁止」

「……じゃあ黙秘しマス。断固、黙秘、デス」


 ミサキさんはそっぽを向いて、深くため息をついた。パタパタと萌袖を振って顔を煽ぐ姿があざと可愛くて、なんかからかってやろうと思ったら急にミサキさんが振り向いた。


「か、かわ……?」

「えっ」


 ミュート!

 おれは自分の口を塞いだ。死ぬほど顔が熱くなっていた。

 ミサキさんの眼鏡レンズが湯気で曇った。袖口で拭い、呻いた。


「あ、あ~……自分、ちょっと眼鏡を拭いて、えと、着替えて……」


 言って立ち上がる姿と、目に映る肌色に、おれは言った。


「あ、あのさ!」

「うぇ!? な、なんスか?」

「……下、ちゃんと穿いたほうがいいのでは?」

「えぇ……?」


 あからさまに残念そうな相槌ののち、カメラを覗き込むようにミサキさんが屈んだ。目が、例のチベットスナギツネすら目をそらしてしまうような眼力を湛えていた。


「残念でしたっ」

「えっ?」

「今日はちゃーんと穿いてマス!」


 ばっ、と自信満々にめくられたニットの下を見て、おれは言った。


「ちょ!? なんも穿いてないじゃないスか!」

「えっ!? えぇっ!?」



「テッテレー」

「……自分、次に会ったとき、叩いていッスか?」

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