26話 勝ちヒロインもクレープを食べる



「あそこ……行きたい」


「え? あそこ?」

 改札を出た途端、驚きの声が漏れた。


 姫乃ひめのがそれまでの会話を無視して突然そう言い出したからだ。姫乃が会話をぶつ切りにすることはさして珍しくはないけれど、まさかあそこに行きたいと言い出すとは思わなかった。

 姫乃が真剣な目で見つめているのは、女子達がきゃいきゃいと楽しそうに列を作るワゴン売りのクレープ屋。


つい昨日、僕と兎和が立ち寄ったまさにその店だった。


「姫乃ってスイーツとか興味あったんだ?」 

 レモンティーにしか興味がないと思っていたけれど。

「……うん。いいかな?」

「もちろん、いいけど」

「じゃあ………」

 姫乃はコートのポケットからスマホを取りだすと、ツイツイと指を滑らせて、

「ス、ス、ス、ストロベリー……生…クリームを。食べたい」

 何度か言葉に詰まりながら、昨日の兎和とわと同じクレープを指定した。


「おー、これが……クレープ」

「初めて見たのか?」

 苺と生クリームがこれでもかと盛られたクレープを、新種の動物でも見るような目で眺めまわす姫乃。しばし迷ったのち、恐る恐るといったふうにてっぺんのクリームに齧りついた。

「……まむっ」

「どう、味は? 美味しい?」

「甘い」

 そうだろうな。

「甘すぎず、甘い」

 だからどういう味なの、それ。

「夏も食べる……?」

 味を知りたいなら食ってみろ、そう言うかのように姫乃は歯型の付いたクレープをずずいと差し出した。


「じゃあ、一口だけ」

「うん、あーんして」

 昨日は結局食えなかったからな。ちょっとだけ頂こうか………そう思って口を開こうとし、顎が硬直した。


 待てよ。これ、どこを食べたらいいんだろう。


 クレープのてっぺんには姫乃の小さな歯型が遠慮がちに穿たれている。

横だよな? 普通はその横を齧るべきだろう。でも、僕彼氏だし。間接キスを避けたと思われたら、それはそれで姫乃を傷つけることになってしまう気がする。じゃあ、やっぱり同じ場所を掘り進めるか。


「はい、あーんして」

 でも、キモくない? 単純に。

 例え彼氏でも下心丸出しで同じとこ齧られたら引くよな? 下手したら一撃でフラれかねん。 

「夏、あーん」

うわー、どっちだ。この二択問題正解はどっちだ。

横を食べるか? 掘り進めるか? ちくしょう、横だ。横で行く! いちばちかで口を開けると、


「きゃあ」

「ふべっ」


 足をもつれさせた姫乃の手元が狂い、鼻に生クリームがめりこんだ。

正解は鼻で食べるでした。

「ご、ご、ごめんなさい! どうしよう、これ」

「ああ、うん。大丈夫だよ」

「そんな、大丈夫じゃないよ。ごめんね、本当にごめん」

「いや、ほんとに気にしなくていいから。こんなん全然平気だから」

 だって二度目だし。

 

 偶然にもつい昨日、同じ場所で同じ物で予行練習は済ませてある。

 兎和の言ったとおりだった。練習は大事。二度目なので、鼻に詰まったクリームもエレガントに吹き出すことに成功した。

「あ、ティッシュある! これで拭くね。じっとしてて」

「……お、おう」

「何?」

「いや、別に……」

 なんか、必死な顔が可愛いと思ってさ。

そんなことを言ったらまた怒られるのだろうか。ティッシュを握る姫乃の指が、僕の頬と唇に触れる。

「姫乃……」

「何?」

「必死な顔も可愛いぞ」

「ばか……」


 やっぱり怒られた。

 クリームまみれのティッシュが、ぐいっと鼻に入って来た。  


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