3話 負けヒロインは告白をなかったことにする

「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 兎和とわの渾身の絶叫が僕の回想をブチ破った。

「なっちゃん、今思い出してやろ! うちの告白思い返してたやろ? やめろや、そういうの、死体蹴りとか!」

「え、あ、いや、思い出してなんか……ないよ。うん……な、ない、全然……」

「嘘ヘタか! ああ、やっぱり思い出してたんやんか! うちの出来たての黒歴史振り返ってたんやんか! 恥ずかしい、もういやや! もう死ぬ、もう殺して!」

「落ち着けって。大丈夫だから。よくあることじゃん、こんなこと」

「あってたまるか! 人類初じゃこんな珍事件。だってやぁ、だってやぁ、偉そうに女子達招集しといてやぁ、東京弁で颯爽と最後の最後に割りこんどいてやぁ、けけけけ、結婚しようって………あああああ、あかん! この流れは絶対OKされなあかんやつ! 死ぬ、マジで死ぬ。午前中に死ぬ」

「死ぬな死ぬな。そんなことないって」

「うっうっうっ………めっちゃ慰められた。あの後フラれ組のオフ会でめっちゃ慰められた。みんなフラれたはずやのに、うちだけめっちゃ………うっうっうっ」

 なに、その地獄みたいな会合。


「はぁー、時間を戻したい。なんで告っちゃったんやろ。こんなはずじゃなかったのに」

 女の子座りでフローリングにへたり込み、木目を指でくすぐる兎和。

「みんなズンズン告白していって、見てたらめっちゃ可愛いってなって、きゅんきゅんきちゃって、このままじゃなっちゃんが取られるって思ったらもう好きな気持ちが止めれんくて」

「う、うん。わかったからもうやめよう。なんかすごく恥ずかしくなってきたわ……」

「おい、なめんな! 絶対うちの方が恥ずかしいわ! だから一晩かけて記憶に蓋をしたのに。掘り起こすから! なっちゃんが掘り起こすから! 楽しいんか、死体に塩塗り込んで楽しいんか!」

「ご、ごめんって、そんなつもりじゃなかったんだよ」 

 そうか、朝から過剰なまでにいつも通りの空気を押し付けてくると思ったら。

アレそういうことだったのか。なかったことにする気だったんだ、とんでもないこと考えたな。

「そーでもせんとマジ無理やから。マジ発火するから。お願い、なっちゃんも協力して」

「いや、協力って。何すれば……」

「一緒に忘れてくれたらいいの。なかったことにしてれたらいいの。ね、今から手叩くから、そしたらそれで今までのこと全部なし。ぜーんぶ今まで通り。OK?」

「無理だろ、そんなん」

「行くよ、せーの!」

 ――ぱんっ。

 と、乾いた音がリビングルームにこだました。小さな掌と不釣り合いなほどの大きな音が鼓膜を突く。

「なっちゃん、何ぼーっとしてるの。早くご飯食べない遅刻するよ。まったくもう、世話のかかる弟な・ん・だ・か・ら☆」

 そして、この切り替えである。

 すごいな、この人。女はみんな女優とはよく言ったもんだ。

「ほらほら、ぐずぐずしてるからお味噌汁冷めちゃったじゃん。はい、かして。熱いのと取り換えてあげるから」

「いや、いいよ。別に」

「いいからかして」

「大丈夫だって――あっ」

 味噌汁椀を取り合って空中で互いの手が触れ合った。細くて冷たい兎和の指。一瞬にして兎和の顔が茹で上がる。

「……………やだ(テレっ)」

「ちょ、赤くなるなって。全然リセットできてないじゃん!」

「あばばばばば! ごめん、今のなし。もっかいやらせて。今度こそ忘れるから」

「もう無理だろ」

「はい、スタート! なっちゃん、どうしたの? またボーっとして。まあ大変! もしかして熱でもあ・る・の・か・な☆」

 怖いんだけど、この人。人格どうなってんの。

 兎和ってこんな不安定なヤツだったっけ? 世話焼きでしっかり者でいつも年上面してくる兎和のイメージがどんどん崩れて行く。

「しんどくてもちょっとくらいはご飯食べた方がいいよ。お味噌汁だけでも飲・ん・だ・ら?」

「え? あ、うん。わ、わかった。食べるわ」

 これも無言の圧力と言うのだろうか。兎和の謎の迫力に圧倒され、僕も茶番の片棒を担ぐ。

「わ、わー。うーまーい。きょ、今日の玉子焼きー、ホントにー、う、うまーいよー」

 演技力がプランについてこないのは、この際目を瞑ってもらおう。

「そうでしょー。わたしも自慢のデキなのー」

「うーん、うまいわー。す、すげー、うまいわー。と、兎和はきっとー、いいお嫁さんになるよー」

「え…………………………やだ(テレっ)」

「だからやめろって、そういう反応は!」

「いや、今のはあんたやろ! 完全にあんたやろ!」

「うん、今のは完全に僕だった。マジでごめん」

 プロポーズ断っといて言うセリフか。

 くそう、難しい。忘れたいけど忘れたら地雷を踏む。なんだ、この無理ゲーは。

 

 つーか、なんかもう恥ずかしいんですけど。居たたまれないんですけど。

 ここはいったいどこなんだ? 先週までの平和な食卓はどこにいってしまったんだ。内臓を内側から撫でまわされるようなムズ痒さが収まらない。兎和と二人でいることが恥ずかしくて仕方ない。

 てゆーか、冷静に考えてみたら、この状況って一体なんだ。

なんで家族でもない男女が朝から二人っきりで食卓に並んでんだ? なんで家族でもない女子の手料理を毎日食べてるんだ? なんでこんな異常な状況を今まですんなり受け入れていたんだ?

一度意識してしまうともう止まらなかった。なんだか同じ空気を吸うのも気恥ずかしくてまともに幼馴染の顔が見られない。それは向こうも同じなようで、不安げな二組の視線が当てもなくテーブルの上をさまよっていた。

「ねえ、なっちゃん……」

「な、なに?」

「なんか、喋ってよ」

「おう、そうだな……喋るよ」

「うん……喋って」

「喋るよ、喋る。えっと………………………………………………………………」

 びっくりするほど言葉が出てこなかった。

こんなことは初めてだ。何か話そうとすると内臓のムズ痒さが一気に喉元まで上がって来て言葉をからめ捕ってしまう。

 良くないな。このままではいけない。だって兎和との同居生活は少なくとも高校卒業までのあと一年半は続くのだから。それまでずっと内臓がムズ痒いままなんて耐えられない。なんとかして先週までの穏やかな日常を取り戻さないと。

その為にはやっぱり会話だ。会話で空気を取り戻すんだ。そしてそれは僕の役目だ。ここで一歩を踏み出すのは僕の役目だ。兎和はもう充分過ぎるほど勇気を振り絞ったんだから。充分過ぎるほど傷ついたんだから。

 意を決して視線を上げた。

「兎和っっっ!」

「うわあっ、びっくりしたぁ! なに?」

「うまいよっっっ! この玉子焼きっっっ!」

「玉子焼き? ああ、ありがと」

「玉子焼きだけじゃないから、言っとくけど! ほら、味噌汁もうまいっっ!」

「……はあ、そうですか」

「ご飯もうまいしー、漬物もうまいしー、なんと、牛乳もうまい!」

「牛乳を褒められてもちょっと………」

「ああ、そっか。じゃあ、それは牛に言っといて」

「うちが?」

「いや、違うか。僕が言っとくわ。ガツンと言っとくから、牛に。安心して」

「さっきからずっと何言ってんの?」

 ごめん、僕にもさっぱりです。

 くそう、もうぐっちゃぐちゃだよ。日常を取り戻すつもりがさらなる迷宮に迷い込んでしまった。わからない、先週までの僕達はいったいどんな言語でどんな会話をしていたんだ。


「もう、なっちゃんは………ヘタやなぁ、色々………ふふふ」

 しかし、グダグダなりに喋った甲斐はあったようだ。

 朝からずっとぎこちなかった兎和の顔に、初めて自然な笑みが浮かんだ。

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