第22話

 朝から晩まで、事務所ではそうした怒鳴り合いが続き、配達業者に無理難題を吹っかけ、どうにか仕事を回している有り様だった。

「この仕様書、なんかおかしいっすよ」

「おかしくないって。それ用の部品、購入しといてって言ったじゃない!」

「購入申請書まで作ってる時間ないって言ってるじゃないっすか!」

「それじゃあ納期に間に合わないってのがわからないの?」


 工場では、購買部門と生産部門の仲が圧倒的に悪かった。

「あの、それは私がやっておきますから」

 品質管理を任された葉月は、その軋轢に挟まれながら、仲を取り持つのに躍起になった。


 購買部門の飯塚は三年目の男性社員で、「〜っすよ」と「〜っすか」を多用する若手社員だ。一方の生産部門は、田端という十年目の女性社員で、仕事はできるが相手を慮ることを知らない、独善的な中堅社員だった。


 二人のいがみ合いを横目に、葉月はとにかく仕事を前に進めることだけを考えていた。為すべきことはひとつしかなく、それをすることでしか会社に報いることはできない。自分を拾ってくれたこの会社に対して、恩を返すには他に道はなかった。葉月はそれだけを思い、仕事に向き合っていた。

 結果的には、それが葉月の心を苛んだ。今なら、それがよくなかったということがわかる。全てをひとりで抱え込み、会社のためと言いながら、結局は自分を守るために自分を犠牲にするという矛盾が、葉月を追い詰めていった。





 沙也加と向き合いながら過去を覗き込んでいた葉月は、「サンドウィッチのセット、お待たせしました」という稔の声に顔を上げた。

「ありがとうございます。すいません」

 稔がそばにいるというだけで、過去の苦い記憶とも向き合える。稔への憧憬の心が募るだけ、過去への慚愧が柔らかく溶けていくのを感じる。

 皿に盛られたサンドウィッチは、葉月の心の内を知ってかしらずか、賄いとはまた違う瑞々しさを放っていた。


「ほら、食べなよ」

 沙也加はすでにサンドウィッチを片手に持ち、葉月をいたずらっ子のような目で見た。

「うん」

 葉月の返事を待っていたように、稔が緩やかに頭を下げ、カウンターに戻って行く。どうしてもその背中に目が向き、葉月は沙也加に悟られないように、すぐに目を伏せた。


 葉月の後ろに迫る過去の亡霊。自分がやりたかったこと。自分がやらなければならなかったこと。それら全てが葉月を縛り、湖の水を濁らせていた。それが過去のことであっても、自分の人生は消せない。向き合うしかない。沙也加と対峙しているこの瞬間に、自分らしく、生きていくしかない。


「稔さんのサンドウィッチ、美味しいよね」

「うん」

 葉月は静かに頷いた。過去と決別するために帰ってきた。浜松に帰ってきた時に心に描いたその言葉を、葉月は再びその身に刻んだ。





 沙也加の説明もほどほどに、まずは会合に参加するところから、葉月とまつりとの関わりは始まった。婦人会という組織は、言ってみれば自治会の中の総務的役割の部門のようだ。青年会は営業部隊で、子供会が生産部隊、そして本体が実行指揮をとる管理部門、組織体としては会社と変わらないように感じた。

 二週間に一回のペースで開かれる会合、沙也加と再会した日の翌週の土曜日が会合の日だった。前回の会合でおおよその分担を言い渡されており、今日はその方向性を決める会らしい。


「あら、会長の娘さん? 戻ってきてたの?」

 公会堂の大広間に集まった銘々の関心は葉月に集まった。事前に沙也加が葉月の参加を知らせていたものの、やはり現会長の娘の参入はそれなりのインパクトを持って伝わったらしい。

「はい。この四月から。よろしくお願いします」

 最初に話しかけてきたのは、婦人会会長の篠崎だ。自身は、克則とは別の中学で校長をしているらしい。淡いクリーム色のカットソーを羽織るあたり、五十代と思われる夫人然とした佇まいがあった。


 沙也加の言っていた通り、婦人会のメンバーは、その大半がミドル世代だった。若いのは自分と沙也加を除けばひとりだけで、その人も肩身の狭そうな顔つきで、大広間にぐるりと配置された座卓の端っこに座り、様子を伺っている風だった。

 知った顔が横を通り過ぎ、「佐々木さん」と呼びかけた。農業教室で見せる穏やかな笑顔を葉月に向け、佐々木が近づいてきた。


「葉月ちゃん、この間はどうも」

「お疲れ様でした」

「今日からだったね」

 農業教室での何気ないやり取りの中で、佐々木が同じ婦人会に属していることは知っていた。そして先日の農業教室の時、葉月は沙也加の手伝いをすることを佐々木に話した。


「葉月ちゃんって、意外と積極的なのね」

 勢いを増した太陽の光を受けて、佐々木は朗らかに笑った。ナスの植え替えをして二週間、先週の教室では畑に肥料を撒いた。すくすくと育つナスは、葉月の揺れる気持ちを斟酌することもない。

「そんなこともないですけどね。友達に泣きつかれた感じなので」


 葉月は軍手をはめた手で頬をさする。ざらついた感触がひりひりと肌を刺激する。

「沙也加ちゃんでしょ? そっか、同い年なのね」

「何をするのかほとんど聞いてないから、不安です」

 それは本音だった。詳しいことは何も知らない。沙也加が自分に何を期待しているのか、それさえもわからない。


 けれど、それでも、沙也加の話を聞いて、閃くものがあった。せっかく末席に加えてもらえるのなら、その価値を示すのも大切だろう、とも思う。沙也加は及び腰だったが、葉月は引かなかった。おぼろげ頭に浮かんだアイディアを佐々木に話すと、佐々木は一層柔和に笑った。

「まっすぐ、やりたいことをやりなさい。おばさんにはできないことも、あなたならできる」

 佐々木が座卓に座ったあたりで、篠崎がひとつ咳払いをした。


「それでは、始めます」

 さすが校長と言うべきか、篠崎のその一言で場が引き締まる。それまで隣同士談笑していた女性たちは、一斉に手元の紙に視線を落とした。葉月もそれに倣い、議題の書かれた書類を眺めた。

「先週までで、おおよその活動内容は整理できたと思います。今日は、改めて役割の確認と、それぞれの方向性を皆さんで検討し、間違いのないようにしたいと思います」


 まつりは外側からしか見たことがなかった。こうした議論の結果をイメージすることはできても、詳しい役割までは考えたこともなかった。

 ざっと内容を見るにつけ、沙也加が拝受した役割は、下の方、つまりあまり重要ではないもののようだ。上の方は、自治会長とともに地域の神社に挨拶する日程や、また周辺の学校に対する説明など、外せないものばかりだった。


 その辺りの内容は、会長の篠崎や佐々木の役割になっていた。連絡のタイミングや当日の流れの議論は滞りなく進んでいく。この辺りも毎年のことなのだろう。克則のアテンドを真剣に議論する姿は、娘としては気恥ずかしさもあり、また誇らしくもあった。


「ここまでは大丈夫そうね」そして、議題は優先順位の下位、つまり沙也加に与えられた仕事に及んだ。「お囃子の練習補佐、日程はおおよそ固まっていましたね」

 沙也加が慌てた様子でファイルを捲る。前回から今日まで、沙也加は沙也加なりに情報を仕入れ、自分の役割を果たそうとしていた。そうして必死に状況に食らいつく姿は、普段の飄々とした雰囲気とは違う印象を葉月に与えた。

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