第26話 葛城薫という男(中)

 俺はとりあえず、葛城さんをみんなに紹介することにした。だが、何と言って紹介すればいいのか分からない。まさか死神とか言うわけにいかないしな。特に彰彦さんと親父は死神の存在を知らないわけだし。


 それにここはど田舎だから、近所の人たちはみんな知り合いと言って差し支えない。だから、近くの人が手伝いに来てくれた、とか言うのも通用しないだろう。


 俺がどうしたものかと頭を悩ませていると、葛城さんが、


「大丈夫ですよ。俺に任せてください」


と言い、何やら耳打ちしてきた。


 ……それで本当に大丈夫なんでしょうね? 不安しかないんだが……。でもまあ仕方ない、悩んでても何も解決しないしな。とりあえずやってみるか。







「こんにちは。更級くんの友人の葛城かおると申します。大阪出身です。働く更級くんを偶然見かけて、お手伝いしたくなったので、よろしくお願いします」


 葛城さんは、例のごとく丁寧に挨拶した。「くん」付けで呼ばれることに多少の違和感を覚えるが、まあ仕方ないだろう。というか、葛城さんって「薫」って名前だったのか。知らなかった。結構似合ってんな。


「えー……というわけで、葛城くんに作業をちょっと手伝ってもらうってのはどうかな? たまたまこっちに旅行で来てたらしいんだが、どうしても手伝わせてほしいって聞かなくてさ……」


 なんか知らんが、どうやら葛城さんは俺の友達を装うことにしたらしい。まあ、葛城さんは見た目も割と若いし、ちょっと年上の友達ってことにすればギリギリ通るかな……。俺、嘘つくの苦手なんだよな。バレなきゃいいけど。


「へえ、慎哉。お前、こんなイケメンのダチがいたのか。知らなかったぞ。紹介してくれたって良かったのによ」


 姉貴が葛城さんを物珍しそうに眺めながら言った。……おい、あんまり人の顔じろじろ見るなよ。失礼だろうが。


「透ー? それ、どういう意味?」


 彰彦さんが膨れっ面をして、姉貴を横目で見ながら言った。


「あー、悪い。別に他意はねーよ。あたしにとっちゃお前が一番だからな」

「そっかあ、良かったー。そうだよね、僕たち愛し合ってるもんねー」


 彰彦さん、よく人前で「愛し合ってる」とか小っ恥ずかしいことを平気で言えるな、と思ったが、今更何も言うまい。とにかく、姉貴には後で事情を話しておこう。


「ほう、わざわざ協力を申し出てくれるとは。今時の若者にしては見上げた根性だな」


 親父、その人アンタより何十歳も年上だからな。明治生まれらしいから。……ということはおくびにも出さないようにしなければいけないのだが。


 なんだかんだで、葛城さんはあっさりと受け入れられた。







 数十分作業をした後、俺と葛城さんは木陰でしばしの休息をとった。二人して、ごくごくと喉を鳴らして水を飲んだ。乾ききった身体の隅々まで水分が行き渡っていくにつれ、失われかけた活力が湧き上がってくる。


「ああ、やはり働くということは素晴らしいですね! 清々しい気持ちになれます」


 葛城さんは晴れ晴れとした表情を浮かべている。……この人はガチのワーカホリックなんだろうか。これ以上こじらせたら大分ヤバいことになりかねないな。あ、でも、もう禁断症状みたいなの出てたし手遅れか……。


 俺はあまりにくたびれて口を利く元気もなくしていたが、その時ふと葛城さんが真顔でこちらに向き直り、少し声を落として話しかけてきた。


「今はお盆休みですが……更級さんは、ご先祖のお墓参りには行かれましたか?」

「ええ、まあ」

「そうですか」


 葛城さんはどこか安心したようだった。俺は、どうしてそんなことを聞くんですか、と尋ねようとしたが、俺が口を開く前に葛城さんは言葉を継いだ。


「更級さんのご家族には、戦争に行かれた方はいらっしゃいますか?」

「……え、あ、はい。俺の祖父はロシア……当時のソ連に抑留されていた経験があるそうです。何とか帰れたそうですが、散々な目に遭ったと何度も聞かされました」

「良かった。無事お帰りになられたのですね」


 葛城さんは少し寂しそうな笑みを浮かべた。そして、


「……少し、俺自身のことを話してもよろしいですか?」


と、目を伏せ、躊躇ためらいがちに言った。頭上に生い茂る木の葉が、彼の顔に影を落とし、心なしかその表情をより一層暗くしているように見えた。


「えっと……ええ。でも、どうしてですか……?」


 なんとなく事情の察しはついたが、俺は念のために確認することにした。


「この時期になると、どうしても思い出してしまうんです。……生前のことを」


 やっぱりそうか。じゃあ、葛城さんは戦争で……。


「それに、若い世代に語り継ぐ……と言うと少々大げさですが、あの惨禍を記憶に留めておいていただきたいのですよ。とはいえ、一個人の経験に過ぎませんが。更級さんは信用の置ける方ですから、立ち入った話をしても良いかと思いましてね」


 どうやら、いつの間にか俺は葛城さんの信用を獲得していたらしい。全く自覚はないが。……戦争の話はしんどいからちょっと苦手だが、葛城さんの手前、そんなことを言うわけにはいかない。俺は覚悟を決めた。せっかく話してくれるっていうんだから、きちんと聞かせていただこう。


「それでは、少々長くなりますが……」


 葛城さんは、遠い目をして、一言ひとこと、ゆっくりと語り出した。止む気配のない蝉の声が、やけにうるさく思えてきた。








「以前にもお話ししましたが、俺は、明治の終わりに大阪で生まれました。兄弟が多くて、家は決して裕福とは言えませんでした。俺は次男だったので、丁稚奉公に出されました。弟や妹を養わなければならなかったのです」


 葛城さんの首筋を、汗が一筋伝った。


「……それで、縁があって結婚して、二人の子どもにも恵まれました。生活は楽なものではありませんでしたが、つまるところ俺は、人並みの幸せを享受していたんです。……赤紙が来るまでは」


 葛城さんは大きなため息をつくと、おもむろにペットボトルを口に持っていった。葛城さんの喉仏がわずかに動いた。


「俺は徴兵検査で甲になりました。優等の体格ということです。……その当時は、素直に喜んだのですがね」


 徴兵検査って、確か甲乙丙丁に分けられたんだったか? 甲ってことは、すこぶる健康だったんだな。葛城さんは明治生まれにしては背も高いし、立派な体格してるしな。そういや俺の祖父さんも甲だったって言ってたな。あ、そうそう、かの太宰治が、なんかの私小説風の作品で、自分は丙種だったから、前線の兵士に対してすごい引け目を感じてたみたいなこと書いてたっけ……。


「昭和20年の春、俺は出征しました。家族が駅まで見送りに来てくれましてね……妻も、『お国のために気張りなはれ』と言ってくれました」


 出征する人の見送りのシーンは、いろんな文学作品で読んだことがある。例えば、小学校でやった記憶がある『一つの花』だ。あれに出てくる娘はまだ小さかったから、状況がよく分かってなかったんだろうな。葛城さんの子どもたちも、そんな感じだったんだろうか。


「……わては、お国のために命を散らすことこそ、至上の名誉なんやっていう教育を受けてきたんです。せやから、戦って死ぬことなんてちっとも怖くあらへんと思うとったんですよ。でも、やっぱり心のどこかでは、もう一度生きて家族に会いたい思うとったみたいで……」


 いつの間にか大阪弁になっていることに気づいているのかいないのか、それは分からなかったが、葛城さんの口ぶりはだんだんと感情的になっていった。

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