第41話 選言(2)

イェツラーと名乗る男は、ようやくバーン達のいる1階に辿り着いた。

「さっきのレディの父親がなかなかいい返事をくれないので、圧力をかけるために仕方なくとった行動というところだ。ま、私の趣味ではなかったが」

臣人は丹田に溜めた気を一気に外に向かって解放した。

ようやく自由に動けるようになった。

足を一回、ダンッと踏みならすと脇目も振らず男のところイェツラーを目指した。

「おんどれぇ!黙って聞いてりゃ!」

「臣人!?・・・ダメだ!」

バーンは臣人の行為をやめさせたかった。

が、その声が届くより先に彼はイェツラーのそばに着いてしまっていた。

臣人は最大限に氣をのせた右正拳をイェツラーの腹部に向けて放った。

(もろたぁっ!!)

イェツラーは体をくの字に曲げていた。

両手は上げずに下ろしたままで。

臣人の腕は深く深く体にメリ込み、確実に急所を捉えているように見えた。

「!?」

妙な手応えだった。

自分の腕から顔を上げてイェツラーの顔を見ると苦痛に歪んだ顔ではなく、冷淡な笑みを向けていた。

自分のコブシをよくよく見ると彼の身体のほんの2cm前で空気の壁に止められていた。

(バーンと同じ術!?)

臣人は自分の目を疑った。

以前自分が見たものと同じ感覚だった。

綾那が稲荷に取り憑かれていた時、彼女を守るために敷いた術式と同じだった。

「役不足だよ。下がりたまえ」

イェツラーは右手をすっと上げると、人差し指を臣人に合わせた。

指先から出た鋭いが臣人の身体を貫いた。

「ぐっ」

延髄を直撃するような痛みが全身を襲った。

膝をついて倒れそうになるのを必死で堪えた。

臣人は力尽くではなく、呪力による応酬に切り替えようとした。

胸の前で手を組むと早口で真言を唱え始めた。

「ナマサマンダ・ボダナン・カロン…ビギナラハン・ソ・ウシュニシャ・ソワカ…」

「あきらめが悪いね」

困った顔で一度目を閉じた。

再び目を開けるとじっと臣人を見つめた。

「今の君では、私にすらかなわないよ」

何を!?と睨みつけたその瞬間。

異変に気がついた。

「かはっ」

臣人は喉を掻きむしった。

「がぁっ」

声が出せない。

それ以前に息ができなくなっていた。

「呪文の響きは言霊そのもの。音の振動だ。振動とは大気の震え。震えるべき大気が無くなれば、当然、神と一体化はできない。つまり『力』が使えないということさ」

「臣人っ!?」

何の抵抗もできずに苦しんでいる臣人をバーンは心配した。

(まさか!?臣人の周りの空気を、抜いたのか!?)

バーンは魅了眼で臣人を見ると、大気の精霊が彼にだけ敵意を向けていた。

さっきまで味方してくれていた精霊が彼を攻撃していた。

イェツラーは何の呪文の詠唱もしなかった。

ただ、目を一度閉じ、開けただけのように見えた。

見る間に臣人の顔が紅潮していく。

どんなに吸い込もうとしても肺に酸素が入ってこないのだ。

バーンは急いで彼の方へ右手をかざした。

「…動け、下れ、汝ら自らを、汝の創造の秘密の叡知を預かる者として、われらに用いよ。…EXARP!」

言い終わるか終わらないうちに大きな風のうねりがバーンから臣人の方へ流れ、そして包み込んだ。

「あぅ、は、はぁ…」

臣人は肩で息をしていた。

力無く床に両手と膝をつき、胸一杯酸素を吸い込んだ。

全身汗だくになっていた。

一体何が起こったのかわからなかった。

それでもなお、臣人の戦意は衰えなかった。

落ち着いてくると顔を上げで、下からイェツラーを睨んだ。

(なんやぁ、コイツの『力』は!? わいは、一発カマしてやることもできへんのか!?)

「…臣人…」

大丈夫か?とバーンが声をかけたが、答えられる余裕はなかった。

悔しさと空しさが込み上げてきた。

「くそっ!」

固く握りしめたコブシを思いっきり床に打ちつけた。

ダンッと大きな音があたりに響いた。

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