2日目、3日目

「負けないで〜もう少し〜さいごまで〜はしりぬけて〜」

 なにごとかと思い目が覚めた。真っ暗闇の中スマホを探しながら、やっとここが閉鎖病棟で、スマホもなにもないのだと気づく。そうだ、ぼくは入院していたんだ。

「負けないで〜ほらそこに〜ゴールは〜近づいてる〜」

 段々と状況が飲みこめてきた。いまが何時か分からないが、頭のおかしい女性がZARDの「負けないで」を大声で歌っているらしい。この曲は聞いたことがある。確か母がよく歌っていたっけ...

「負けないで〜もう少し〜さいごまで〜はしりぬけて〜」

 何度目かの歌声で気づいたのだが、どうやら最後の歌詞まで到達せず、「ゴールは近づいている」まで歌うと、「ふとした瞬間に〜」という冒頭にまで戻ってしまう。

 変な区切りかたで歌うんだなとおかしく思っていたが、これが何十回と続く頃に、ようやく部屋に灯りがついた。やっと7時になったらしい。

 その後も何度も何度も、ノイローゼになるほど「負けないで」を聞かされたあと、看護師が止めたのだろうか?歌声が止んだ。

 しかし歌声が止んだころにはほかの患者たちも起きはじめたらしく、今度は代わりに、老人たちの喚き声と絶叫が響く。

 ぼくはまだ鳴り止まない頭のなかの「負けないで」を聞きながら、小学生のころ虐められて笑っていた知的障害者を思い出し、気分が悪くなる。

 朝起きてトイレにこもるといういつもの癖で大の方の用を足したあとに気づいた、昨日の小便がまだ残っていることに。

 さっそくナースコールを押したが、看護師は相変わらず来ない。

 朝食は8時半からだったが、その間中ずっと糞尿の立ちこめる匂いの中で過ごさなければならないのか?

 いったい、ぼくと障害者とはなんの違いがあるのだろう?ぼくは間違えて入っただけだ。ぼくは看護師側の、健常者側の立場であっても、あの虐められている障害者どもの立場ではないはずなのに?

 一旦そう思うと、どうしても植松聖に関して考えざるを得ない。

 彼のしたことは正しかったのか、否か?

 現にぼくがいま糞尿の匂いの立ちこめる精神病棟にいて、延々と「負けないで」を歌うあの気狂い女性や、あの喚き声を張り上げる障害者、老人たちを考えると、彼のやったことは無理からぬことだという気がする。

 なにしろニュースで見た限りでは、彼は看護師だか介護士だかで、この阿鼻叫喚の地獄を同じく見ていたのだ。この現状を見た以上、彼がしたことは正しいか否かはともかく、誰かがやらねばならなかったのではないだろうか?

 ぼくはぼく自身の考えにうっとりしていた。それだけが糞尿の匂いのする部屋と、あれら障害者どもとの一線を画すものだと思える。

 しばらくすると朝の点呼で看護師が見回りにきた。

「すいません、昨日の晩から言ってるんですけど、トイレが流れないんですよ」

「はあ」

「看護師に報告すれば流してくれると言ってたんですが、流してくれませんか?」

「今忙しいので」

 どうやらこいつもぼくを障害者だと思っているらしい。

「ぼくは間違って入っただけなんですよ、健常者です。あなた達の側なんですよ!分かりますか?」

「分かりました」

 そう言って出て行ったが、五分経っても、十分経っても、十五分経っても、トイレの水が流されることは無かった!

 これがあの幻覚剤の、バッドトリップの続きならいいのに。もう一度目が覚めると、今度はちゃんと現実にいて、令和にもなって精神病院で行われている喚き声や虐待やあらゆる理不尽さの一切は嘘だと判明する...

 もちろん、そんなことはなかった。給食のような四角いパンを食べながら、相変わらず糞尿は流されずに残っていた。糞尿の匂いをかぎながらなぜパンを食わなければならないのか?それに、ケツを拭いた手を洗うことすら許されないときた!部屋と洗面台との間に一つ目の扉が、洗面台と通路に二つ目の扉がかかっていて、部屋と洗面台への扉の鍵すら看護師どもが持っているからだ!逆らうことが不可能なのは分かっている、あの拘束ベルトでぐるぐる巻きにされた図解を見た以上は!

 食事を運んできた看護師に文句を言ったが、相変わらずトイレが流されることは無かった。せめて手を洗わせてくれと言ったら、「まだ主治医の許可が降りてませんので」だと!

 植松聖は、なぜ障害者と同じく、この無能で役立たずの看護師どもも殺さなかったのだろう!

 話し相手が欲しい。誰でもいい。この地獄、独房の愚痴を聞いてくれる話し相手。

 しかしそんなものは現れないので、ぼくは相変わらず植松聖と、一切の汚さ、そして閉鎖病棟も精神病院も日本も地球も爆発することについて考えている。一ヶ月経てばここを出られる。そして普通の高校生として、言葉が理解される友人や同級生とともに、普通に過ごす。そう、普通に過ごすこと。ぼくはなにかの間違いでここに入っただけなのだから...

 そんな妄想をしていると、シャワーの音とともに、老人の声が聞こえてきた。すると今日は週に一度の入浴日なのか。

「拾いなさい!それを!」と二重の扉を隔てて看護師の怒声が響く。「自分で後始末をつけなさい!」あとに老人の情けない音が続く、「こら!漏らしたものを拾え!」泣き声。「泣いとんちゃうぞ!漏らしたもん拾わん限りそこから出さんからな!」

 会話の端々からなにがおきているのかおおよそ推測できた。おそらくシャワー室で老人が糞便を漏らしたらしく、看護師が老人に自分の糞を拾えと怒鳴っているのだ。

 しかし、この糞尿の匂いがただよう部屋の中で、ぼくと障害者とどう違うのだろうか?立場が逆だったらぼくが糞便を拾う羽目になるとでもいうのか?まさか!

 いや、いや、認めたくもないが、いくらぼくが健常者だと言っても、看護師には信じてもらえず、未だにトイレの水は流して貰えないのも事実だ。その事は部屋中に漂う糞尿の匂いによって、否が応でもその事実を絶えず突き付けられる。ああ、市販薬が欲しい。もう一度だけ、あの幻覚作用を....

 大体、これはあんまりにも不公平ではないか?障害者は暴れることが出来るし、看護師はそれを叱ることができる。では、このぼくは?あの拘束テープでぐるぐる巻きにされた図解を見て、暴れることもできず、看護師側にもなれない。こんなのは全て間違っている!これほど理不尽なことがあるだろうか!?絶対に間違っている!


 怒りに我を忘れている海藤を見ながら、「本当に怒りというのはこのように作用するのか?」「この人物がたまたま神経過敏なだけではないのか?」と、疑問をもたれる方も多いだろう。

 もちろん、同じ状況下に置いてみても大人はこうはならない。例え海藤のように人間扱いされない状況にあっても──多少のショックはうけ、憎悪こそするだろうが──わたしたちは怒りが虚しい徒労に終わることを、理不尽が社会に存在することを、怒りのコントロールを知っている。

 きっとどこかで妥協し、自分に言い聞かせ、一ヶ月という期間を耐えられるだろう。わたしたちは15歳の海藤と違い、一ヶ月がどれだけ長く、またどれだけ短いのかを経験上よく知っている。

 そこで、視点を海藤のいる地下1階から地上4階までつり上げ、同じ精神病棟内でも、静かに憎むタイプの大人の人間を少し取り上げよう。彼は海藤が一般病棟に移った際に出会う人物であり、同じく当時筆者が一般病棟に移ったときの友人でもある。


 福良は四人部屋の一般病棟で、知的障害者のロクちゃんと神経衰弱をしながら、ひどく退屈していた。21歳の大学生だったが、精神病院には話す相手がいないのだ。

 四人部屋の前にいる人物は──どうやらちょっと見た限りでは同年代っぽいのだが──話しかけても返事をしないし、斜めにいる人物は、60近くに見える老人で話す話題すら見つからなかった。

 そこで隣のベッドにいる気さくな性格のロクちゃんと話しをしていたが、しかしロクちゃんは将棋のルールを教えても翌日には忘れてしまうため、結果二人でトランプなどして過ごしている。

 彼はもともと大学に入った頃から酒を飲むようになったが、決定的なのは母が死んだ事だった。その時期に酒を飲み過ぎて気付いたら留置所に入っていて、そして次の日には精神病院に入っていた。精神病院は一時うつ病で不登校になった時期にかかりつけで通院していたから、入院がスムーズに運んだのだろう。

 尤も、彼の頭にあるのは母の死よりも、ナマの現実に立ち会った時にアルコール依存症になる人とならずに済む人という問題だったが。

 いったい、ナマの現実に立ち合ったとき、アルコールに逃げる人と逃げずに済む人とは、どういう差があるのだろうか?

 彼はその答えを探すためにAA(断酒会)に通っていたが、AAのメンバーが語るアル中体験──身体が動かなくなり、糞尿を漏らしながら、それでも4リットル焼酎のボトルを転がし、這いずって舐める──などはまるで彼の問題に役立ちそうになかった。

「苦しい体験はみんなで分かち合えば楽になるのよ」AAの主催者の女性はそういったし、臨床心理士の女性も同じことを言った。それは彼も認めることだが、しかしうつ病体験などは、あの臨床心理士や精神科医などにいくら打ち明けようと、治る気配が無かった。

 ──ああ、酒が欲しいな...うつ病になってから6年というもの、精神病院に通い新川医師の指示に従い、様々な抗うつ薬を試し、1年ほど断酒までしたが、まるで治る気配がない。それどころか、ますます事態は悪くなっている。最近では歯磨きやシャワーを浴びるのすら大変な労力を必要とする。

 やがて、精神科医やカウンセラーどもへの疑いの目、うつ病一つ治せないのになにが医者だという疑惑、憎悪、怒りが、静かに、ゆっくりと浮かんでくる...

 取り敢えず彼の抱えている意思の強さ弱さや依存性という問題は、海藤が一般病棟に移るまで置いておこう。

 それにしても地上四階と地下一階では、福良が知的障害者と神経衰弱できるほどの差があるのだろうか?海藤は神経過敏になり障害者を憎んでいるのに?

 福良が精神科医を憎み、海藤が障害者を憎むほどの差は、大人と思春期の青年というだけなのだろうか?では、海藤が一般病棟に移ったときは?

 海藤は不幸中の幸いか、抗うつ薬の副作用でやっと眠りについたところだ。


「負けないで〜もう少し〜さいごまで〜はしりぬけて〜」

 相変わらず大声の「負けないで」のせいでぼくは目が覚めた。

 「負けないで」はポジティブな言葉だが、百遍も「負けないで」と聞かされていたら、ネガティヴな別の意味の言葉に聞こえてくる。

 ここが動物園だと思った初日の考えは正しかった。まわりの障害者どもは動物なのだ。

 中1の頃キチガイだとかツンボだとか発する同級生がいたが、その言葉を発した途端空気が冷えた事を思い出す。多分彼は空気が読めなかったのだろう。彼だけ小学生7年生として中学に上がった為に、今まで当然のように使っていた差別用語が周りを凍らせる事が分からなかったのだ。

 何遍目かノイローゼになるほどの「負けないで」が止み、灯りがつき、代わりに目覚めた障害者、老人どもの喚き声を聞きながら、ぼくはいつもの癖でトイレにこもろうとしたとき、昨日の糞尿が流れていることに気付いた!ああ、再三の努力は無駄ではなかった!

 小便をしながら、しかし、この小便も看護師に何度も報告しなければ流されないのだと思うと、気分が悪くなる。

 朝食と共に看護師が来て、「今日は10時から新川先生の診察があるので、呼びに来たら廊下に出てください」と告げられた。

 いや、もしかしたら、この保護室の糞尿が流れない現実を訴えれば、なにか変わるかも知れない!そう思い、一昨日初めて会った新川医師との会話を思い出そうと努める...いや、じっさいには新川医師の言葉は思い出せなかった。早く終わってくれと言わんばかりに足を小刻みに揺らす新川医師が思い浮かぶだけだった。代わりに、何故か(よっぽどトラウマだったのだろうか?)、胃の痛みと共に、あの日の親父の言葉が浮かんでいた──

 あの日親父に「ああ、あの母子家庭の子か」と言われたとき、ぼくがキレたのは何故だろうか?ひょっとしたら、常日頃親父に言われていたように、ぼくが甘ったれているからなのだろうか?確かに、ぼくが西野に近づいたのは、彼が変人で一緒にいれば退屈しないからだった。けれどよくよくなぜキレたのかと考えると、シングルマザーの彼の方がぼくより不幸が大きいという安心感によって近づき利用しただけだと言えないだろうか?まるでひ弱ないじめられっ子が、体の大きな友人を盾として後ろに隠れるように?

 親父の「お前はさっきから言い訳のように受験受験いうけど、わしがお前に受験勉強を強制したことなんか一度でもあったか?」という言葉。

 認めたくないが、言われてみれば無かった。それではこれは、ただぼくがぼく自身に受験という課題を与え、それを隠れ蓑にしていただけだったのか?それでは一切は、ぼくの一人相撲にすぎなかったのだろうか?

 時計を見て、まだ8時半の朝食から20分しか経ってないことに気づいた。現在8時50分。10時にはまだ70分もある!退屈だが、しかし退屈とは違うなにかの苦痛...そうだ、焦りだ。ぼくは焦っていたのだ!一日でも早く高校へ戻ること、友達と普通に喋ること。時間が軽やかに流れていくこと。こんな重く苦しいなかではなく。

 閉鎖病棟にイラつきを感じながら、もしぼくが、あのとき自殺願望を断固として否定し、精神病院入院にさいごまで反対すればどうなっていただろうか?精神科医や親に意見が通じただろうか?まだ家に居場所はあるのだろうか?いや、なかった。ここから逃げる道はどう考えても見つからないのだ...


 しかし、気をつけよう!こうして海藤のように自分を見つめ直し、意識し、検証し、振り向き反省し後悔しだすこと、それは自分の中のマゾヒスティックな感傷を目覚めさせ、自虐的、自傷的、意識的人間に、分かりやすく言えばメンヘラに近づく第一歩なのだから!

 そして、考えたことを喋る相手がいないこと、誰にも自分の言葉を理解されず、伝達できないこと。このフラストレーションがたまると、やがては承認欲求の化け物、自己顕示欲の怪物になるだろうから!


 やっと10時になり、看護師が呼びに来て廊下に立たされる。新川医師が診察してるであろう扉の前には、ずらり20人ほどの老人どもが並んでいた。おそらくこいつら全部障害者なのだろう。そして、ぼくだけが健常者なのに、誰にも理解されないのだ!このロボットのように規則正しく並ぶ老人の障害者どもと、なぜ健常者のぼくが同じように並ばなくてはならないのか!?

 20人待ちでだいぶ時間がかかると予想していたが、1人あたり3分か5分で次々と順番が進み、障害者どもと同じように並ばされる嫌悪感を、あれら障害者や看護師どもに感じているうちに、いよいよぼくの順番が来た。

 入るなり新川医師は足を小刻みに揺らし、腕を組みながら、ぼくはパイプ椅子に座ると、すっかり新川医師に発すべき文句──トイレが看護師に再三繰り返しても流れないことや、ぼくだけが健常者なのに誰にも理解されないことなど──を、すっかり忘れ、頭の中が真っ白になってしまった。一見優男風に見える新川医師が明らかにこの診察を一刻も早く終わらせたいという態度が見て取れたからだ。

「体調はどうですか?」

「普通です。全く自殺したいという気はありません!...ああ、でも夜中患者がうるさくて中々寝れないのは困ります」

「寝れないというのは途中で起きてしまう感じですか?それとも寝るまでに時間がかかる?」

「前者です」

「では今夜から抗うつ薬と同じくロヒプノールを出しておきます。消灯時間前に看護師が届けます」

「ロヒプノールというのは?」

「睡眠薬です」

 しばらくロヒプノールとやらの説明を聞かされたが、問題は睡眠薬などではなかった。一番の苦痛、焦り。ぼくは睡眠薬の説明と軽い診察に答えながら、焦りの原因を話す機会を今か今かと待ち構えていた。

「先生、せめて教科書とノートと鉛筆だけでも渡してくれませんか?高校の授業に追いつけなくなるのも困りますし、勉強もしたいし...」

「そうですね、分かりました。あと、今後の事でケースワーカーをつけます」


 ケースワーカーとやらは何の意味か分からなかったが、部屋に戻りこれで少しでも遅れを取り戻し勉強できる!と思ったのも束の間、部屋に立ち昇る尿の悪臭が鼻についた。ああ、そうだ、新川医師に言う文句を今頃思い出した....

 夕食時、看護師が教材やノートを渡してくれた。悪臭に耐えれば、勉強に集中できるだろう。そしてぼくは普通の高校に戻り、普通の友人と普通のくだらない会話をする...普通の生活。食事を食べ終え、勉強に取り掛かろうとしたとき、

「こら!逃げるな!」と看護師の怒声が響いた。「ああああ!あああああ!」という診察室で並んでいた老人よりはもっと若い男の声、バシッ!バシッと鞭で打つような音が続いたあと、若い男の絶叫するかのごとき泣き声......

 とてもじゃないが勉強できない状況だということに気付いた。しかし先ほどの音はなんだったのだろう?まさか看護師が鞭を持っているわけでもないし、ではあれはビンタの音だろうか?けれどもビンタであんな鋭い音が出るのだろうか?

 いや、ここで考えていても仕方がない。看護師の怒声や障害者の絶叫が聞こえなくなる頃に勉強しようと思ったが、ああ!その頃には消灯しているのだ。

 ぼくはまた地球が、一切の汚いことが爆発する想像をしていた。そして国1と書かれたノートに、日記をつけた。

『閉鎖病棟3日目、植松聖は障害者と共に、この役ただずの看護師どもを全員殺せば良かった。ここでは全てが汚い。できれば閉鎖病棟も精神病院も、両親が住んでいる大阪も日本も、そして地球すらも爆発してしまえば良い!!!!!』


 当時の筆者の日記には、『5/3 閉鎖病棟に入っていると人権や自由という事について考える。ただ人権や自由という言葉は恥ずかしい事とされている』(原文ママ)と書かれてある。

 何故当時の筆者の日記を引き合いに出したかと言えば、海藤(高校生、15歳)と当時の筆者(高校中退、17歳)とはだいぶ立場にズレがあると思うからだ。

 というのも、海藤の立場に立って考えて見たとき、日記のように“人権”や”自由“や“平等”といった言葉は高校生にとって”恥ずかしい“ものであり、海藤はそれらについて考える事に対し無意識的に抑圧しているように思われる。

 しかしながら、海藤が意識していないだけで、海藤の恨み──自分を人間として扱ってくれないことの恨み──は、彼の感じている健常者や障害者といった言葉を入れ替えるだけで、そっくりそのまま“自由”や”人権“という言葉にとって代わり、自由、人権、平等を奪われた人間にとっての闘争になるのではないだろうか?

 これらの言葉は殆どの高校生や大学生、社会人がいわゆる中二病と呼ばれる時期に黒歴史として卒業してしまうのが常だが...

 また、筆者はこの頃ゲイで売春をしていてとある事情により閉鎖病棟に入れられたが、その立場からか看護師や医者よりも障害者側に随分感情移入していたように思う。そのため海藤という“普通の”高校生を登場させなければ中立さが保たれないだろう。

 尤も、海藤の口を通して筆者の言葉を代弁させようと思っている訳でもなければ、むしろ私は人生のレールから外れて急に精神病棟へ迷い込んだ海藤の行方を、小説を通じて見たいと思う一人に過ぎない。


 消灯前、相変わらず流れない尿の悪臭が漂う部屋で看護師に貰ったロヒプノールという睡眠薬を飲むと、尿の悪臭も頑強な扉も新川医師も看護師も障害者も焦りも親も、全て交わり、とろけ、融和し、和解し、平和を味わい、気づくと、ぼくは眠りに落ちていた。

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