第5.2話 リリスの情景 中

 私に屈託のない笑顔を送った少年。

 それがレント。

 レント・ヴァンアスタだった。

 私の胸元ぐらいまでしかないその身長で握る剣は成人用のそれ。なんともアンバランスだが、なぜか少しだけ様になって見えた不思議な少年。


「はい。これあげる。」

 原初の悪魔だとか女神だとかと、様々な意味で畏怖されていた私の前で呑気に腰を据えカバンを漁っていた少年は、こちらに向かって何かを差し出してきた。

 凡そ私の記憶が知らないそれを。

「これは?」

「干しパンだよ。おいしくないけどお腹減ってるでしょ」

 正直なのか、はたまた正直すぎるのか。

 美味しくないという文言と共に私に何かを渡してくるのはこの子が初めて。

——本当に不思議な子

 

私の知っている干しパンは、黒く、重く、それでいて変な匂いがした。

 しかし、手元にあるそれは随分と私の記憶とは違う。

 パンのはずなのに黒くはなく茶色く照りがあり、軽い。

 それは凡そ私の知るパンですらない。

 

——もしや毒でも

 私の記憶に、断片ですら姿を現さないそれを見てもおかしなところは見当たらない。

 魔法を当ててみたって、何か変なところも一切出てこない。

 なによりも、近くでリスのように、音を立てて食事にふけっているこの子の姿を見ればそんな疑念すらが無駄なことだと思えてしまい腰を岩部に据える。

 ただ、流石に子供といえど完全に信用しきっているわけでもないので、人一人分あけて。

 

「ふぅ」

 決意を込めた溜息を一つ吐き、口元に干しパンを運ぶ。

——そういえば食事をするのは何百年ぶりだろう

 さっきまで疑心に囚われていたくせに、隣にいる子に毒気をむかれてしまったからか、そんなくだらないことを思うあたり私も大概なのだろう。


 カシッ!ー

 一口。

 決して大口なんていくことはなく、ついばむ程度に食べたそれはしっかりと乾いた音を立てた。

 口の中の水分は取られるし、味は保存重視なのか決して良くはない。ただ、

「...おいし」

 自然とそんな言葉が口からこぼれた。本当に漏れ出した程度の言葉で、横でカリカリと干しパンをかじる少年には一切聞こえてはいないようだったが、確かに私の口から洩れた。

 

 私の知る干しパンに比べれば数十段上を言っているのは間違いない。

 それでも保存重視で作られているこれがおいしいなんて言うことがあるはずがないことくらい、どれだけ文明が進めどわかる。そんな味だった。


 これよりおいしいものは、幾重と食べてきたはず何に自然となにか満たされる気持ちになり言葉が漏れたのは初めてだった。おそらく満たされたのが食欲なんていうありふれた欲求ではないことはわかるがその名前がよくわからない。

 だから知ろうと思って、何度か口にパンを運んでも答えはいまいち出ないままで、

——もどかしい

『カシッ、カリカリ』

 気になる気持ちとは裏腹に無言で干しパンを食べる時間が刻々と過ぎていくばかりだった。


 なんとも言えないこの時間が続いていく中で、最初に口を割ったのは少年だった。


 「お姉さんは、どうして閉じ込められてたの?」


 そう聞いてくる顔には、凡そ私がどんな扱いを受けてきた者なのかを知る影もない。

 ただそれは私を、原初の悪魔と呼ばれるものだと認識していないだけ、そう思った。


「私はリリス。少し訳があって寝ていたの。」

「リリスさん?......寝てた?」

「そう、寝てたの」


 名前を聞けば驚くかもしれない。

 そんなことを考えて、質問の答えと共に名前を伝える。


「えっ!?」


 案の定焦った顔を見せた。

 大方、封印を解いたことに気づいたのか。

 これで結局この子も、私を恐怖の対象としてみてくる。

 もしくは何かを願ってくるのかもしれない。

 剣を向け、魔法を向け、敵意を向け、憎悪を向け、都合のいい願いを望む。

 みんなそうだったのだから。


 驚きで立ち上がってこちらを見つめているその姿を、ただただ見つめる。


 敵意を向けられても、都合のいい願望を押し付けられても傷すら付けずに帰してあげよう。

 不思議と今までで一番気分がいいからそのお礼に。

——どうやって無力化するか

 頭の中でこの後の動きを考えつつ、少年の一挙手一投足に視線を送る。

 

——いよいよね

 なにか口が音を出そうとしたから、それをしっかり聞こう。そう思った時だった。


「す、すいません。起こしちゃって。閉じ込められてると思って!.....それで....」


 謝罪してきた。

 それも睡眠を妨げたことを。


「えっと、原初の悪魔って呼ばれてるわよ」


 何をムキになっているのか。自分の称号というでもないそれを言うも少年に驚く姿はない。

 それどころか、そんな私に笑って見せて


「僕は、レント・ヴァンアスタ。勇者候補です。」


 そう名乗って見せた。



「なるほど、今はそんな風になっているのね」

「うん、だから修行のためにダンジョンに来てたんだけど、このダンジョンは魔物もいなくて」

「なるほど」


 レントからはいろいろなことを聞いた。

 この世界の状態。 

 そしてレント自身のこと。

 レントのいる国で行われている選定という職分けのこと。統治体制のこと。

 だから、七歳という年齢にはそぐわないであろう装備と、そぐわない筈なのに合っているようにすら見える、謎のまとまりの正体もわかった。

 今から数百年前に頭角を現した魔王という存在。それを征伐して見せたもの、勇者。

 その者の持っていた魔力の波長や、精神面で最も近かった男、それがレントだったというわけだ。


「でも、勇者だったらなんで一人なのよ?」


 まだまだ勇者について完全に理解したわけではないが、無知であったってこの勇者というものがどれだけ希少なのかはわかる。

 そんな重要人物であればもっと周りが固めて、身動きだって制限される。

 役は違えどずっと私もそうだったのだから。

 ただこの場には間違いなく、彼しかいない。だから気づけば聞いていた。

 

 すると、さっきまで楽しそうに話していたその顔に途端に影を落とした。


「なんだか遠ざけられてるみたいで。」


 勢いを完全に失い、寂しそうにつぶやいたその言葉はドッシリと私の脳に響いた。

 あまりに尊い存在ゆえなのか、それとも力をつけるその姿にだろうか。

 周りはそれに畏怖するようになり、距離を置くようになる。

 この子も私と同じ道を歩んできたのだ。

 まだ、勇者としては幾ばくも時を過ごしていないが、その中で嫌というほどそれを経験してきたのだろう。


 何よりも、遠ざけられていることを寂しいそうに言うこの少年を見て気づいてしまったのだ。

——私も寂しかったのだと。

 虚無感には確かに襲われていた。しかし、それは呆れや圧倒的な喪失感からきているように思っていたが、実際は違っていたのだ。

 私はただ、ただ寂しかったのだ。


 この少年。レントと同じように、周りに距離を置かれ化け物扱いされることが。


「それでも、それでも剣を握るの?」

 意地悪な質問だろう。

 こんな使命感だけでダンジョンという危険なところで剣を磨こうとしている少年に聞くのだから。

 答えはわかり切っている。

「うん。勇者だから」

 どこまでも寂しそうに、ただそれでいてしっかりと信念をもって言う少年は確かに勇者なのだろう。

 だから、私がその道を閉ざすことはしない。

 ただ、

「じゃあ、私が剣を教えるわ。 魔法だって教えてあげる」

「え?」


 対等な相手がいない生活ほど空虚なものはないだろう。

 それは私だって同じなのだ。

 せっかく自分に畏怖しない、特殊な少年に出会い気持ちに変化が出てきた。

 だからこそ、私もこの子と共に進んでみたい。そう思った。

「本当!?」

「ええ」

「お願いします!」

「こちらこそ」

 こちらに目を輝かせて見せるレントの頭を撫でてやる。

 初めて誰かを撫でたが上手にできていただろうか。

 ただ、気持ちよさそうに目を細めてくれたから、きっと大丈夫だ。



 このとき私は、レントの師匠になった。



 

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