第8話 幼馴染ってやっぱ大事なのは距離感だよな

「ちょ、ちょっとそこはダメだって」


「じゃ、じゃあどこに入れればいいんだよ」


「そんなの私が言わなきゃわからないの?」


「悪いな。俺こういうの得意じゃないんだ」


「…………そこの大きいのをこの穴に入れて……」


「よし、ここだな……」


「そんな慎重にしなくても……じれったいから早く入れて」


「わかったよ、ほら」


「ちょ、界人。それじゃあ距離が近すぎだよっ」


「いや、でも仕方なくないか?」


「ダメ!これじゃあ……その……ルール違反……だよ?」


「あーもうめんどくせえなー。だから数学は嫌いなんだよ!」


 もはや私物化されている放課後の風紀委員室で俺は安野に数学を教えてもらっていた。


 今取り組んでいるのは、点と直線の距離の少し複雑な問題。


 安野が工夫して穴埋め形式でわかりやすく教えてくれているのだが、aはゼロ以上でなければならないというルール、またの名を条件があったり、大きい数字から代入しないといけなかったりと、数学が苦手な俺からすれば非常に面倒くさいのだ。


 ただ、やはりさすがと言うべきか、安野は教えるのがとても上手く、俺でも理解は確実に追いついている。


「うーん。飲み込みは早い方だと思うし、ちゃんとやれば高得点も絶対狙えるよっ」


 幼馴染ムーブの一環か、ギュッと安野は違和感なく俺に抱きついてくる。


 よくやるよな。まだそれほど親しくない俺なんかに。まあ、ヒロインのマネしてみろって言ったの俺だから安野の頑張りを無下にするわけにはいかないしな。


 小一時間ほど勉強を見てもらい、安野のおかげで勉強という面においてはかなり有意義な時間を過ごせた。


 次は俺のターン。


「で、安野。今日一日幼馴染やってみてどうだった?」


 今日の振り返り、勉強で言う復習みたいなものだ。定着は大事。


「うーん。何個か気づいたことはあったよ」


「お。それは良いことだな。例えば?」


 安野は顎に手を当て、微笑しながら言葉を発した。


「一つは物理的にも精神的にも近い距離感かなー」


「おう。良い着眼点だと思うぞ」


 持論だが、幼馴染はやはり近い距離感がヒロインとしての強みだと考える。物語の序盤から主人公を下の名前で呼べるし、過度に思えるボディタッチも許されてしまう。


 俺は作家じゃないからわからないが、幼馴染というのはかなり動かしやすいキャラなのではないだろうか。そしてそれはキャラだけに止まらず、物語も幼馴染を筆頭に動いていくといっても過言ではないのではないか。


 この幼馴染キャラというのを安野が上手く書けるようになった時点でラブコメの神様は優しく手を繋いでくれるだろう。


「もう一つはヒロインと主人公に過去の関わりがあるってことかな。これは特に星山さんと御影君を見てて思ったよ」


「まさにそれだ、安野。個人的に幼馴染の一番の武器はそれだと思ってる。他のヒロインが運命的な出会いをしたその時すでに幼馴染は二歩も三歩も先を進んでいるんだ。ただ、それゆえ主人公のことをよく知っているという物わかりの良さがかえって足を引っ張り、最後は自らヒロインレースを降りることが多々あるのではないだろうか。それに…………」


「あーはいはい。もうわかったからお口チャック」


 安野はまるで昔からやっているかのような迷いのない手つきで俺の口をギュッと摘まんだ。


 そして、ややふてくされたように目線を斜め下に逸らす。


「でも、私と界人には過去がないからかそれほどしっくりこなかったなぁ」


 十秒ほど経ってようやく口を封印から解放してくれた。


「それだけ幼馴染には『昔』ってのが重要なんだよ。それがわかっただけでも十分だと思うぞ」


 俺の返答に呼応したのか、安野はあどけなく微笑んだ。


「じゃあ私と界人が昔から知り合いだったら良かったのに……」


「え!?」


「ん?どうかした?界人?」


「いや、なんでもない……」


 勘違いするな和瀬界人。今のはあくまで幼馴染の気持ちを知りたかったってだけだ。


 決して俺に興味があるとかそういうのではないからな。


 俺はその迷いを振り払うかのように議論を続けた。


 時に安野からも意見を飛ばしたりと、この時間で得たことは確かに彼女に吸収されていっただろう。


 一通り話し終えて、俺は帰路に就こうとしていたが、隣の安野から意味深なセリフが聞こえてきた。


「ちょっと待ってよ。まだ幼馴染イベントは終わってないよ」


「ん?いや、だってもう下校時間だし、帰るだけだぞ」


 すると、安野はからかうような声音で言った。


「どの駅まで行くんだっけ?」


「ああ。そういうことか。まあ安野がいいって言うなら構わないが」


「言っとくけど一緒に帰るだけじゃないからね」


「え?」


 可愛らしく口元に手を当て、いたずらが成功した子供のように胸を張った。


「界人の家にお邪魔しに行くからっ」


「……………………はあ?正気か?」


「小説のためならこんなの苦でもなんでもないよっ。ヨネスケになる覚悟はできてる」


「こいつ晩御飯食う気満々じゃねえか」


「幼馴染は何と言っても自由に主人公の家に入れるのがいいんでしょ?」


「いや、まあそうだけどなあ」


「心配は無用だよ。私空手と合気道には覚えがあるから、急所の四つくらい簡単にいたぶれるよ」


「蘭姉ちゃんと和葉姉ちゃんの二刀流とか大谷翔平もびっくりだな。頼むから股間へのデッドボールだけはやめてくれよ」


「界人が変な気起こさなかったらいいんだよ」


「ならまあいいけどさ。あまり遅くならないうちに帰れよ」


 そうして緊急クエスト。幼馴染襲来を遂行することになった。

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