第3話 ラノベの序盤でおっぱい押し付けられる主人公の気持ちがわからなくなった

「へえー。安野はウェブ小説の方に投稿しているのか」


「はい。高一の冬の終わりに初めてを捧げたのでそろそろ二か月になります」


「ウェブ小説の投稿の話だよなそうだよな?」


 安野はキョトンとしているので、悪意はないのだろう。天然なのか?


 聞くところによると、安野は『ヒノマリヤ』というペンネームを使い、ウェブ投稿サイト『ヨミカキ』でラブコメを書いているらしい。それも異世界ではなく現実世界の。


 確かに最近は甘々ラブコメが流行りだしているよな。複雑な設定や世界観があるわけではなく、あくまで主人公とヒロインの関係性の中だけで萌え要素、甘々展開を繰り広げている印象だ。


 俺自身結構好きだし。『俺にだけ甘い斎藤さん』読んでるとき、終始悶え、ニヤニヤしていた気がする。その様子をモニタリングされていたら間違いなく放送事故だっただろう。


「二か月経ってるってことはもう物語を一つは投稿したってことか?」


「一作品投稿させていただきました。ですが、評判がいささか芳しくなくて……」


「なるほど。それで昨日頭を抱えるほど悩んでいたってわけか」


「恥ずかしながらその通りです」


「それなら俺はまず安野が書いた小説を読みたい。それからじゃないと効率的なアドバイスはできないと思うんだが、どうだ?」


 安野は一瞬表情を緩めたものの、すぐさま元の澄ました顔に戻っていった。


「和瀬君がどうしても読みたいというのなら仕方がありませんね」


 声のトーンや態度でクール装うのは構わんが、全身から明らかに、読んでくれて嬉しいオーラが漏れ出ている。もうちょい隠すことはできんのか。


 これは気合入れて読まないとな。安野は真剣だ。


 桜の季節が終わりを告げ、木々に新緑が芽生え始めた四月下旬。まだ空は茜色に染まっていない。自宅で安野の小説を読むために俺は帰路に就いた。


 数学の補習課題はちゃんと終えて提出したぞ。


********


 翌日の放課後。俺は寝不足でふらついた足取りのままへ向かった。


 なにも、えっちい表紙やタイトルのラノベを風紀委員に取り上げられたわけではない。絶頂させて除霊するやつはちゃんと家に置いてある。


 じゃなくて。


 安野が風紀委員室なら誰も人が来ないし、密会するならうってつけだって言うからなんだ。安野が風紀委員長だからできる芸当らしい。以前図書室にいたのは、エアコンの修理で風紀委員室が使えなかったからだとよ。


 そんなわけで俺はふらふらになりながらも無事目的地へたどり着いた。すでに安野は緊張した面構えで椅子に腰を下ろしている。


 ところでなんで俺がふらふらになってるかって?その理由は今から教えてやるよ畜生め!


「あ、あの。目の隈がひどいですけど大丈夫ですか?とりあえずこれ。お水です」


「お気遣いありがとう安野。いや、ヒノマリヤ。読んだぞ。全部」


「昨日のうちにですか?まさか一晩で全部読んでくれるとは思いませんでした。恐縮です」


 ほんと安野は誰にでも腰が低いな。だからこそ今から俺が読んで思ったことを正直に話すのが少し申し訳なくなる。


 いや、でも安野は本気で上手くなりたいんだ。なら、適当言ってごまかすのはお門違いだろう。勇気を出せ俺。これは安野のためだ。


「はっきり言おう。わけがわからなかった」


「なぜこれほどまでに面白い小説が書けるかがですか?」


「い、いや、そうじゃない。逆だ逆。あまり酷評はしたくないんだが、安野のために言うぞ。何がしたい物語か理解できなかったんだ」


「え?」


 一体どこからそんな自信が湧いてくるのだろうか。安野の小説の感想をどう言おうか考えていたら朝になっていたほどだ。だから眠れなかったんだ。


 俺は苦笑を浮かべながらいくつか尋ねることにした。


「やりたいことはなんとなくわかる。序盤の主人公の康太の行動が実は最後の展開の伏線になっていて、その回収がしたかったんだろ?」


「そこに気づきましたか。さすが和瀬君です」


「そういう細かい伏線回収はウェブ小説ではそもそも気づいてもらえない可能性があるというのはこの際目をつぶるにしてもだな」


 それを聞いた安野はポカンとしていたが、彼女の反応を待たずに俺は言葉を続けた。


「それまでの過程がぐちゃぐちゃだ。渋谷のスクランブル交差点くらいカオス。何がしたかったんだ、この物語は。そもそもラブコメなのか?」


 自分でも安野をフルボッコにしている自覚はある。早く止めたい。でも言わなきゃ気が済まないし、誰かが安野の間違いを正さなければならないのだ。


「それに言葉遣いもライトノベル、いや、ウェブ小説向きではないと思う。微妙なニュアンスを的確に表現したいのはわかるが、難しい言葉を使いすぎるとそもそも読者に理解してもらえないだろ。なんだよ。蓋然性合理主義に則ったマイルストーンを正常に設定すれば、同床異夢の紳士淑女でも比翼連理に変異するって。意識高い系空回り社会人が書いたのかよ」


 安野から笑顔が消えたけど俺は止めないぞ。コワイ。


「あと、冒頭から登場人物が多すぎて、誰が誰だか見失いやすく、中身が入ってきづらい。読者が何を目的に読み進めればいいか、序盤ですでに行方不明」


 俺はすうーっと大きく息を吸い込み、本日最大の主張を放った。


「なによりヒロインが全然可愛くない!主人公を度々困らせる場面はメンヘラにしか見えない。ラブコメの特にウェブ小説においてこれは致命的だぞ!」


 やべえ。思わず熱くなりすぎてしまった。じゃあお前書けるのかとか言われそうだな。それでいて、書けないから反論できないんだよな。憂鬱すぎる。


 くそっ。俺だって批判はしたくなかったさ。


 でも想像と違いすぎて。完璧美少女の小説だから面白いはずだって、そう思ったんだよ。


 恐る恐る安野の方に目線を向けると、彼女は綺麗な水色の瞳に涙を浮かべてプルプルと肩を震わせていた。


「あ、あの~安野さん?」


「そ、そんなに言わなくてもいいじゃないですかぁ~」


 柔らかそうな頬が焼き餅みたいにぷくーっと膨らんできた。今にも両目から涙が零れ落ちそうだ。


 ほ、褒めなければ!何とかして褒めなければならない。


「あ、えーっと。ま、まあホラーサスペンスだと思えば内容は良かったと思うぞ。うん。簡単にサクッと読むためのウェブ小説じゃなく一般文芸なら……うん、まだやりようがあるんじゃないか?」


「ほ、本当ですか!?」


 安野は二重人格者もびっくりなほど急にパッと明るい笑顔になった。


「これならラノベ作家へのデビューもあと少しですねっ」


 どうして今の俺の酷評を聞いて、それほど楽観的でいられるのか。俺の目の前にいる完璧美少女の裏の顔はかなりのポンコツだったようだ。


 まあ、彼女の心が折れなかったのは良かったが。


 にしても気になる事が一点。


「どうしてもラノベじゃなきゃダメなのか?」


 彼女のポジティブさに気圧されながらも、純粋に疑問を口にした。


「はい。ラノベじゃないとダメです」


 彼女は躊躇いもなく、ただ真っ直ぐな目で答えた。


 まあ、安野が何を書きたいかという気持ち自体には文句を言える立場でもないため、その理由を追求するつもりにはなれなかったが。


「ふーん。そうなのか」と軽く流して、せめてもの助言をすることにした。


「でも安野はラブコメが書きたいんだろ?それならせめて可愛いヒロインを書けるようにはしておいた方がいい」


「私、ラノベとかアニメに出てくるヒロインの可愛さを理解できないときが多いんです。こう、現実味を感じられないというか……」


「現実味がなくても二次元美少女なら許容される事はたくさんあるぞ。って言ってもそれがわからないんだよな~」


 どうしたものか?と俺は腕を組み「う~ん」と唸っていると、一つ案が思い浮かんだ。


「じゃあ可愛いヒロインの行動や言動を実際にマネしてみるとかどうだ?そうすれば何かわかるかもしれないぞ」


「マネ……。異世界もので蔓延っている、ピンチから救われたヒロインが主人公に胸を押し当てるように抱きつくシーンとかですか?」


「言い方がきついな。それは定番っちゃ定番だが、そういうのは、その……マネできないだろ……」


 だってそれじゃあ安野が俺にお、おっぱいを押し当てなければならないことになる。俺もそこまで要求する気はないし、彼女も嫌に決まっているはず……だ。



「いえ。小説のためなら仕方ありません。可愛いヒロインとやらを……私に教えてください」



 そう言うと、安野は腰を上げておもむろに接近してきた。


「ちょっ。ちょっとまっ」


 俺の切羽詰まった抵抗も空しく、安野に抱きしめられた。言い方を変えよう。


 胸を顔面に押し付けられた。


 柔らかいのは柔らかいんだが、想像していたより張りがあって否が応でもその存在を意識してしまう。あと大きい。隠れ巨乳ってやつなのか?


 それに、女の子っぽい甘い香りが鼻腔をくすぐり、頭がとろとろに混ぜられた感覚になる。


 ……って堪能してる場合じゃないだろ。


 息苦しさと恍惚感の中、「んんんんんん~~~~」と悶えながら安野を強引に引き離した。




 ラブコメの神様。イベントは俺にじゃなく、安野が書くラノベの主人公に起こしてやってください。

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