些細な、されど大いなる歪み(二)

 久安三年(一一四七)四月八日。源義朝よしともが三男として生を享けた私は、次期長の子として大切に育てられた。

 『熱田の美姫びき』と謳われる母上と顔立ちが似ているためか、姫君のごとく蝶よ花よと持てはやされたほどだ。それは、三歳にて着衣が童水干わらわすいかんへと変わっても、変わらぬ日々だった。

 問題は、己の内にあったのだ。


「鬼武者。珍しい果実を食わぬか。お前が好む、甘味のものだ」

「……ありがとうございます。よしひらあにうえ」


 ……甘蕉バナナ……


「鬼武者殿。本日より菜根譚さいこんたんを学んで参りましょう」

「……はい、せんせい。よろしくおねがいいたします」


 ……菜根譚……


「若様。今年も花海棠が咲きましたよ」

「……うむ。みごとだな」


 ……花海棠……


 私たちの暮らしには、どれも馴染みのものだった。だが、いつからか、私の内に疑問の声が上がるようになった。

 ……これは、本来この世界に在るものか……?

 と。そして我に返るのだ。

 ……〝この世界〟とは……?

 と。


 私以外は、誰も気に留めぬ。それは、大人であれば些細なことだったのやもしれぬ。だが物心ついたばかりの童には、突如暗闇に放り出されるほどの衝撃だった。

 日に日に澱のように溜まっていく違和感は、私と皆を隔てるような……大きな歪みに感じられた。


 何も知らぬ童ならば、なぜだ! と声高に叫び、癇癪を起こすことも許されただろう。だが私は、すでに〝源氏の次期長の子〟という己の立場を理解してしまっていた。

 我が身に許せたのは、ただ胸の内で叫ぶことのみだったのだ。


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