「因果律」後時空

とある脇役の日常から


 一人弁当のどこが悪だというのでしょう。

 教室の角。後方廊下側の自分の席に座る私は、毎度のようにそう自分に言い訳しながらお弁当箱を開きます。


 今日のお弁当は敷き詰めたキャベツの上に昨日の残りである青椒肉絲チンジャオロースをダイナミックに乗せた簡単仕様。世で語られる女子力スカウターを通せば惰弱の一言が表示されイジメに発展しかねない見た目ですが、誰に批評させるでもないので構いません。一人メシバンザイ。


「…………いただきます」


 弁当など腹に入ればいいのです。


 そんなゴツ盛り弁当から顔を上げ教室を見渡せば、机をくっつけガヤガヤとおしゃべりに花を咲かせる級友たちがいます。よくご飯を食べながら会話ができるものです。私なら二日に一度は喉にご飯を詰まらせるに違いありません。


 自分の発言すべきタイミングを見極めご飯を咀嚼そしゃくし、加えて相手の発言に適度な相づちを打つ。とても高度な技術だと思うのですが、同級生の女の子たちのほとんどはこの技能を習得しているようです。いったいどこでこの免許は取得できるのでしょう。


 まぁそんな技術、どんな物語にあっても脇役Nくらいでしかない私には必要ないものです。むしろ使ったら持病の肩こりが悪化しそうです。


 申し遅れました。わたくし京葉高校二年三組所属、佐貫さぬきたまと申します。ピチピチの十六歳でぅ違ぇ、今日が誕生日なので十七歳でした。スリーサイズは──いえ、誰もそんなのに興味ないですよね。調子に乗りすぎました。しかも数値とか知らないし……、あ、身長は女子にしては高いほうです。


 自分で言うのもなんですが、私は日陰者ボッチ属性です。クラスでも浮いて……いえ、たぶん級友に認識すらされておりません。体育祭では全員参加のクラスリレーにすら私の番がありませんでしたし。もはや担任にも名前を覚えられていなかったのでは? その担任も五月の終わりに行方不明になってしまったので、真実は闇の中です。


 肩書としては輝かしき華の女子高生であっても、自分の内から香り立つ卑屈者の気配は誤魔化せません。


 顔は平凡、髪の毛ももっさり、身体はガリガリと良いところのないネガティブ少女でありますが、そんな私にも一つだけ他人に自慢できることがあります。


 私は生まれも育ちもこの町です。小さな田舎町ですが、いや田舎町だからこそ、地元の有名人というものが存在します。個人が有名というよりお家が有名なのですが、町で一番大きな日本屋敷に住んでいらっしゃる人がクラスにいます。


 実はその人と私、小学一年生から今まで、ずっとクラスが同じなのです。しかもほんのちょっぴりだけ交友があったりするのです。


 この関係をどう呼べばいいのか分かりませんが、とにかくこれは私にとって唯一の自慢なのです。


 さて昼休みが終わる時間になりました。次の授業は体育です。早々に男子を教室外に押しやり、女子たちは体操服に着替えます。


 カーテンを閉めるのでみんな大胆に制服を脱いでいきます。私はもちろんコソコソもぞもぞとしか着替えられませんが。誰に見られてなくても肌を晒すのは抵抗があるのです。


 私ほどではありませんが、どのクラスにもそうして肌を見せたくないと思う人はいるでしょう。たとえ同性しかいないとしてもです。


 クラスで目立つグループの中にもそういう人はいますし、逆に見せつけるかのように服を脱ぎだす人もいたり。


 しかし我が二年三組には、さりげない所作だけで他の誰よりも人目を引くお方がいるので態度は関係ありません。


 その少女はちょうど教室の中央付近で今まさにセーラーの上を脱いでいます。彼女は自分に衆目が集まっていることに気づいていないようです。


 溶けかけの雪みたいに白く透明な肌が電球に照らされています。あまりの美しさに女子なら誰もが羨望の視線を向けてしまうほどです。長い髪の毛は光を透かす茶色で、角度によっては金色に輝いて見えたり。遠くから眺めていると妖精かなにかと見間違えてしまいそうです。


 お顔も筆舌に尽くし難いほど整っていて、私なんかと比べるなど恐れ多いと感じるほどでした。


 スカートを下ろす瞬間など、下に体育用短パンを履いていると分かっていてもドキリとしてしまいます。


 ゆったりと着替え終わり誰とも会話しないまま教室を出ていくその姿を見送り、私も教室を出て体育館へ向かいました。


 前を行く可憐な少女は樺冴かご深月みつきさん。彼女こそこの町の有名な一族、樺冴家のご令嬢です。もとはお貴族様だったとかなんだとか。休日に見かけると高級そうな着物を着ていらっしゃることが多いです。なぜかいつもはだけてますが。


 彼女の家には不穏な噂がたくさんあります。近づくと呪い殺されるとか、関わると不幸になるとか。実際に彼女の家を訪ねて行って帰らなかった人もいるらしく。


 調べればもっと残虐で恐ろしい話もあるでしょう。そんな話が、この町の人間には信じられているのです。友達のいない私ですらそれらの噂を知っているのですから、交友関係の広い子たちはなおさらでしょう。


 そのせいか深月さんも学校ではいつも一人です。友人がいるようにも見えません。明確に避けられているし、彼女も他人を避けているようです。そもそも学校も休みがちで、連日来るようになったのは今年の五月頃からでした。ちょうどクラスに転校生がやってきたころですね。


 そんな孤立した深月さんと、私はとある接点があります。それがこの体育の授業です。


 ボッチにとって一番辛い時間はなんでしょう?


 クラス替えに伴う自己紹介? 一人弁当? それともたまにクラスメイトに話しかけられて思わず奇声をあげてしまった瞬間でしょうか。


 それらも十分辛いのですが、もっと厳しい時間があります。それは週にニ、三度は必ず訪れる、「好きな人と二人組作って」タイムです。これには同意してくださる世のボッチも多いのではないでしょうか。


 なんなんでしょうね、「好きな人と」って。そんなすぐ相方を見つけられるならボッチになどなっていません。教育機関は子供の繊細な心をなんだと思っているのでしょう。


 クラスの女子がたとえ偶数でも、休む人が複数いても、なぜか必ず一人は余る人間が出てくるというのに。


 なんて、私のことですが。


 でも私は体育に限り、この時間が嫌いではありませんでした。その理由が深月さんにあります。


 さっきも言ったとおり、深月さんは孤高です。一人なのです。避けられているのです。つまり、二人組を作るときに余るタイプの人です。彼女はそれをまったく気にしてないようですが。


 なぜかこの町の先生たちは、体育の準備体操を二人一組でやらせたがります。なんでも町の偉い人……菅野すがのさん? というかたが昔に決めたとかなんとか。


 そんな因習を受け継いでいるので、体育のたびに「好きな人と二人組作って」が爆撃のごとく号令されます。しかも準備体操に限り見学者も強制参加です。なんのための見学措置なのでしょう。先生の頭は筋肉に侵されているに違いありません。


 さて、同じクラスに余る人間が二人。すると先生はどうするか。もちろん、この二人を組ませるのです。


 本来なら余ったもの同士。こいつと組むのかぁ、嫌だなぁとなってもおかしくありません。


 けれど私はむしろ、この瞬間が楽しみでした。なぜなら、凄まじい顔面偏差値を持つ美少女と合法的にくんずほぐれつな準備体操ができるのですから。


 最初に彼女と組まされたのは小学一年生の時。暗い噂の多い子ですから、私も警戒しておりました。ですが嫌な顔一つせず私なんかと準備体操をしてくれてるかわいい子を邪険にできるほど、私はクソではありません。それにぼんやり空を眺めがちな体力の無いこの女の子が、噂のような恐ろしい人間にはどうしても見えなかったのです。


 二年生になるころには、体育のたびに彼女は私のパートナーになってくれるようになりました。しかも先生の号令前から率先して。たぶん余りがちで便利な相手と思われているのでしょう。一人でいると先生方はうるさく絡んできますから。まったく余計なお世話だというのに。放っておいてほしいものです。


 体育の時以外で深月さんと会話したことはありません。たぶん彼女は私の名前も覚えていないでしょう。それでも、私は町の有名人と同じ時間が過ごせるだけで誇らしくすらあったのです。


 休みがちな彼女ですから、私一人で孤独に屈伸してることのほうが多かったんですがね。


 今日も準備体操の時間となり、深月さんが私のほうへやって来ます。


「よろしくお願いします」


 私は丁寧に頭を下げます。なんだか深月さんからは高貴なオーラが出ているので、底辺庶民な私はいつも自ら挨拶してしまうのです。


「うん、よろしくー」


 深月さんもそう片手を上げてくれます。以前はうなずくだけだったのですが最近はほがらかに笑みを返してくれるようになりました。転校生の平賀くんと話すようになってからは、ほんと雰囲気が柔らかくなりましたね。


「あっ、まただー。動かないで」


「え?」


 深月さんが私の肩に手を伸ばします。私のほうが背が高いせいか、彼女は背伸びの要領で顔を近づけてきました。なんだか私の背後にある何かに触れているかのような体勢です。うっわ。何だこれお人形みたい。毛穴一つない、神様が丹念に仕上げた天使のよう。


 私がドギマギしているうちに、深月さんは私の肩の辺りを払いました。顔が離れていきます。


「えっと……ほこりついてたよー」


「あっ、ありがとうございます」


 何と親切なのでしょう。昔から彼女は必ずこうして私の肩についている何かを退けてくれるのです。小学生のころからずっとです。やだ、私の肩ってば汚れすぎ……?


 やはり顔の良い人間というのは空気すら清浄にするのか、彼女と一緒にいると肩の凝りまで良くなります。深月さんに長期間会えない夏休みなんかは、肩が重すぎて体調不良になるほどです。呪われるどころか救われている気がしてきますね。


 こうして体操を終えた深月さんはいつものように見学へ戻っていきました。やはりまだ病弱なのでしょうか。まぁ今日の授業はバレーボールですから。あの白百合のような細腕が傷ついたらと思うと、休んでくれたほうが気が楽ではあります。


 影が薄いなりにボールを必死に拾って、その日の授業は終わりです。なんとも平凡で当たり前の日々。つまらない日常ですが、深月さんという彩りのおかげで毎日を頑張れる気がします。


 放課後になっても私に声をかける友達はいません。いつだろうと友達いないんですがね。オールウェイズ一人ぼっち。虚しいのでさっさと帰りましょう。


 教室から出るとき、中にちらりと視線を向けます。そこには同じく孤高であるはずの深月さんが、クラスメイトと何やら談笑中でした。


 前は間違ってもこんなことはなかったのに。あの子たちだって、ずっと深月さんを避けていたのに。


 最近お昼に深月さんを訪ねるようになった一年生の影響で、みんなそこそこ深月さんに話しかけるようになったのです。実は体育のときも以前にはなかった複数の視線を感じておりました。あれは、深月さんと組もうかと検討している人たちの視線なのでしょう。人気者は引く手あまたですから。


 少女の孤高はもう終わりです。これからはきっと、普通の高校生のようにクラスへ馴染んでいくことでしょう。


 それは同時に、体育限定パートナー枠のリストラを意味していました。


 これまでだって、私は彼女の友人なぞではありませんでした。談笑すらしたことはありません。ただ余った者同士が、ほんの一時(物理的に)背中を(体操のいっかんで)預け合っただけなのです。


 もとから暗くて卑屈で、下手したら一日誰とも喋らず家に帰ってしまうような人間ですから。みんなに好かれゆく深月さんとの時間はいつか消えて、存在すら忘れられてしまうことでしょう。


 彼女がよく笑うようになったことは嬉しいことです。でも、やっぱり寂しい気持ちは抑えきれませんでした。


 眩しい光景に目を焼かれた私は、科学のノートをみんなへ返却するクラスメイトの横を抜けて帰路につくのです。


 どうせ、誰にも名前なんて覚えられていません。ノートは持ち主不明で教卓にでも放置されることでしょう。明日の朝から回収して、それから課題を済ませればいいだけです。明日の科学は三時間目。友達がいない私は休み時間をまるまる自習に使えますから、十分に間に合います。


「はぁ……」


 校門を出て、私は大きなため息をつきました。


「はやく卒業したいです……」


 分かってはいるのです。私はどこまでも陰険で、暗いオーラをはなっていて、友達の一人もいないよくいるボッチ。深月さんの友達になど相応しくはないのです。同じ空間で約十一年間を過ごしたとはいえ、雑談すら交わしたことはないのですから。


 あぁ、なんだか涙が浮かんできました。意地でも泣いてはやりませんが。ボッチにだってそれなりの矜持きょうじはあるのです。


 涙腺が緩んだせいか、なんだか息がしづらくなってきました。体がまた重くなって、心なしか景色も暗く感じます。元から鬱気味の人間ではありますが成長するにつれてそれが酷くなってきているようでした。


 このまま、平凡すら手放して死んでみてもいいかもしれない。どうせ私の人生に価値なんかなくて、死んでも誰も泣きはしないでしょうから。


 そんな思考さえ浮かんできます。


 視線がふっと車道へ向いた瞬間でした。私の腕を誰かがグッと掴んだのです。踏み出そうとしたのを引き戻され、私は緩慢に振り返ります。


「いたいたー。探したよたまちゃん」


 そこにいたのは深月さんでした。眠たげな瞳を細め、私に笑いかけています。なぜ彼女がここにいるのでしょう。


 というか、いま私、名前を呼ばれましたか?


「はいこれ、課題あるから必要でしょ?」


 そう言って差し出されたのは科学のノートでした。記された名前は「佐貫さぬきたま」。私のノートでした。


「なっ、なんで私の名前……」


 驚きのあまりそうこぼしてしまいます。誰にも相手にされない空気みたいな私のことを、なぜ彼女が知っているのかと。


 すると深月さんは、不思議そうに首をかしげて笑いました。


「小学校から同じクラスじゃん。体育のときもいっつも甘えさせてもらってるのに、たまちゃんの名前忘れるわけないよー」


「それで、届けに来てくれたんですか……?」


「うん」


 当たり前みたいに頷かれ、私の思考は止まりました。なぜ? とか。馬鹿な、とか。そんな疑いの感情が日に照らされた氷のように溶けていきます。


 あぁ。この子はやっぱり恐ろしい人間なんかじゃない。だって声をかけられて、名前を呼ばれただけでこんなに心が暖かくなるのですから。


「それと、ごめん。ちゃっと目を瞑ってもらっててもいいかなー?」


「へっ? あっはい」


 感動に胸をうたれていると、深月さんはちょっと真剣な表情になりました。わけが分からないまま従うと、彼女のものと思しき手が私の肩に触れてきます。


 まさかまたほこりでもついていたかな。そんな考えを浮かべていると唐突な突風が吹きました。肩の辺りを後ろへ。強風にあおられた私を深月さんがおさえます。直後に耳元でグチャリと、水っぽい音がしました。


 まるで熟れたトマトを高所から叩きつけたような音です。

 なんの音か分からないのに、背筋に冷たいものが走ります。


「あの……」


「うん、もういいよー」


 肩から手が離れると、なんだか身体全体が軽くなったような気がしました。


 許可が出たので目を開けます。柔らかに微笑んだ深月さんがいました。振り返っても、トマトが落ちたような形跡はありません。聞き間違えだったのでしょうか。


「ところでたまちゃん」


「はい。なんでしょう」


「身内に霊感ある人とか、いる?」


 不思議な質問でした。なぜ急にそんなことを訊くのでしょう。疑問に思いながらもせっかくの深月さんからの質問なので私は正直に答えます。


「そういう話は聞きません。私もまったくありませんし……」


「それはよく知ってる」


「? あっ、でもお婆ちゃんは何だか不思議なものが見えたそうです。幽霊……ではなかったらしいですが」


 親戚の集まりでそう話していたはずです。私は幽霊など信じていないので、話半分で聞き流しておりました。なので詳しいことはよく覚えていません。そのお婆ちゃんも昨年亡くなってしまいましたし。


 曖昧な答えでしたが深月さんは納得したらしく、大きく頷いてポケットから何かを取り出しました。


「なるほどねぇ。じゃー、たまちゃんにこれあげる。なるべく持ち歩いてね」


 困惑する私の手に握られたのは、小さな根付ねつけでした。丸くて真っ黒な石の下に小ぶりな鈴がついています。シンプルなのにどこか厳かな、綺麗なストラップです。なんだか高級な香りがする気がします。


「頂いていいんですか?」


「うん。狗神わんこの加護――いや、有名な神社のお守りだから。大切にしてねー」


「家宝にします!」


 根付をぎゅっと握りしめて言うと、深月さんは嬉しそうに笑ってくれました。


「じゃあ、真信まさのぶを待たせてるから」


 用事はこれだけだったのか、きびすを返してしまいます。名残惜しいですが、そう言われては彼女を引き止めることはできず……。というよりボッチがスタンダードの私に人を引き止めることなどできません。


 ひらひらとゆれる手へ控え目に振り返すと、深月さんは最後に猫のように目を細め、一言だけ残していきました。


「いつもありがとう。体育のとき、またよろしくね?」


 どこか艶っぽいその表情に見惚れているうちに、彼女の背中は角の向こうに消えてしまいました。


 嵐のような人でした。本人は優雅に舞う気まぐれな蝶のようですが、関わるこっちは心臓が早くなっていけません。


 そんな彼女と会話できたことが夢のようです。しかも、ノートを届けにわざわざ追いかけてきてくれたのかと思うと、嬉しくて口元がにやけてしまいます。


 ノートをカバンに仕舞い、握った根付を光に透かしました。玉の中に黒い霧が渦巻いているように見えます。まるで生物のようです。けれど気持ち悪いとは思いませんでした。むしろ見つめているとなんだか切なくなります。


 結局、私と彼女の関係がなんなのか、適切な言葉は見つかりません。


 友達と言うには恐れ多く、知人で済ませるのも侘しいものです。


 一言で簡潔に表すならば、そう。

 クラスメイト。

 それが一番しっくりくるに違いありません。


 だから私はひっそりと、今まで思いもしなかった言葉をもらしました。


「卒業したくない……」


 もう二週間で夏休みがやって来ます。それが明ければ、私達はそろそろ受験や就職活動の準備に取り掛からなくてはなりません。忙しさに追われて他人を気にする余裕もなくなっていくでしょう。


 私と深月さんは長い人生の中でたまたまほんの一時すれ違っただけ。高校を出てしまったら今度こそ、もう会うこともなくなることでしょう。


 きっとそれだけの関係で。でも、彼女が私の名前を覚えていてくれた。それだけで嬉しくなるのです。それを感じれただけで……


「でも、人生で一番、素敵な誕生日です」


 たとえ卒業して深月さんと離れても、彼女の幸せを願うだけで心は満たされることでしょう。


 驚くほど気分は明るく、沈みゆく夕日も輝いて見えます。何より貰ったお守りおもいでがこんなにもあたたかい。


 私は飛び跳ねたい気分になりました。言ってしまえばガラにもなく浮かれているのです。なんだかこれからは、人生の全部が上手くいく気がします。


 だって私は、あの樺冴かご深月みつきさんとお知り合いで、クラスメイトなのですから。どんな困難も、その事実があれば乗り越えていける気がするのでした。



       ◇   ◆   ◇



真信まさのぶお待たせ」


 少女が声をかけると、電柱に寄りかかっていた少年が目を開け、穏やかに微笑む。


「うん、ちゃんと渡せた?」


「ばっちりー」


「そっか良かったよ。でも……、そうは見えないけど、佐貫さぬきさんってそんなに凄いの?」


 並んで歩きながら少年が尋ねる。その歩調は少女に合わせてゆるやかだ。


「うーん、たまちゃん本人は気づいてないけどねー。にすごく好かれやすいんだよ。私も昔から気づいた時には散らしてたけど……、最近はホントに集まりやすくなってて。たまちゃんの何かが強まったのか、それとも精神状態が乱れてたのか……」


「でももう大丈夫なんだろ?」


 少女が難しい顔をすると、少年はその空気を吹き飛ばすような明るい笑みを浮かべる。そこには少女に対する絶対的な信頼がありありと浮かんでいた。


 少女もそれに励まされるようにして顔を上げた。


「そりゃあねー。なんといっても、狗神わんこの一部を加工して込めた御玉だから。低級の悪霊なんか近づくだけで消滅するよ」


「そんな凄いの渡してよかったの?」


「うん。いつまでも側にいてあげることはできないし、それにたまちゃんのことはずっと前から見てたから。幸せになって欲しいんだ。私が一方的にそう思ってるだけだけどねー」


「じゃあ二人は幼馴染みたいなものだね」


 少年は思ったことを口にした。すると少女は、虚を突かれたように目をしばたかせる。少年の言葉を頭の中で反芻はんすうしているようだ。


 やがて少女は、頬を赤く染めながら首を傾げた。


「そうなの……かな?」


 大切に仕舞っていた自分だけの宝物を、予想外に褒められた子供のような反応だった。その様子が微笑ましくて少年は大きく頷く。


「そうだよ、ずっと一緒だったんだから」


 そう少女の顔を覗き込み、


「幸せになってくれるといいね」


 告げると、返ってくるのは優しい笑顔。


 そんな少女を満足げに見つめ、少年は前に向き直った。


 少年は思う。彼女がその生い立ちと立場ゆえに今まで諦めてきたものを、今からでも少しずつ掴んでほしいと。


 話しかけたくてもできなかった。

 仲良くしたくても許されなかった。

 ただ見守るくらいしかできなかった。


 その呪縛はもう、彼女には存在しない。そんなの自分が許さない。


 彼女が──樺冴かご深月みつきが当たり前の少女のように振る舞えるこの日常を、少しでも長く守りたいから。少年は幾度目かの決意を固める。



 夏休みは近い。

 かの後見人が持ち込んだ厄介事に起因する大事件は、知らず彼らの目前にまで迫っていた。




        とある脇役の日常から 了


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