モノ申す!(2)





 朝とは逆に四階分の階段を超特急で駆け下り、蹴破りそうな勢いで職員室ドアを全開にするや否や。


「関口先っっ生ーーー! どういうことですかああぁっ!?」


 燃えたぎった怒りの炎を消そうともせず、彩香は叫んでいた。


 突然ノックもせずに開けたばかりか、ろくに挨拶もなく脇目もふらずに窓際奥の体育教師の席へ突進する小柄な二年女子を、何ゴトかと他の教職員たちが振り返る。


 どこかでカップが割れたような音も聞こえたが……まあよし、とスルーを決め込み、心の中で謝罪するに留めた。申し訳ないがそれどころではない。


「あたしクビ? ハイジャン、クビ!? なんでですかっ? 100も頑張るならOKって言いましたよねっ!? 頑張ってますよね? もう跳んじゃ駄目ってこと!? 説明してください! クビですか? 何っっですか、なんでですかっ、このハテナーーーー!!」


 一気にまくし立てて、結果的にそのまま沖田侑希から奪い取ってきてしまった書類をこれでもかというほど中年体育教師の鼻先に突き付けてやる。


「西野……見えん……」


 べったり顔面に貼り付けられたも同然の文字など当然読めるはずがないのだが、頭に血が上りきった彩香はもちろんお構いなしである。


「クビなんですか!? グッチ先生ーーーーーーーーっ!!」

「落ち着け……」


 それこそ首でも絞めかねない勢いに、まったくおまえは……と呆れたように関口が口を開いた。


「クビだとしたら名前も載せるわけないだろうが」

「じゃあこのカッコハテナは何故なにゆえにっ!?」

「去年さんざん言っただろう。途中からだったし、あくまで『仮』だからな?と」


 三年生部員が引退し、走高跳女子が一学年上の先輩ひとりだけになってしまった、昨年秋。

 他に希望者がいないなら是非やらせてみてほしい、と自分から手を挙げた。


 もちろん経験があるわけではなく、およそ跳躍に向いているとも思えない低身長での意気込みに、この顧問も外部コーチも部員たちも一様に目を丸くし、なだめすかし、なんとか思いとどまらせようとした。100だけでいいじゃないか、と。


 ――が、共通の基礎練習に加えて専門技術のトレーニングにも参加し始め、短距離走のタイムも落とすことなく他のチームメンバーと同じメニューをこなそうと奮闘し、一日一日完遂していくうちに、誰も何も言わなくなっていった。


 まだ目標の高さに届いていない自分ではあったけれど、それは――


(認め始めてくれた、と……思ってたのに)


 悔しさから、思わずキュッと下唇を噛んでいた。


「憶えてるだろう? 新入生でもし――」

「『背もあって……素質十分な後輩がもし入ってきたら、交替』――」


「そうだ。念押ししたよな? ……確かに西野おまえはバネはある。でも厳しいだろうが、自分の身長に対してどれだけ跳べるかを競う競技じゃない。わかるな?」


「……」


 跳んで然るべき絶対的なラインというものはある。

 同じように技術があるとしたら、バネがあるとしたら……長身の選手が有利なのは考えるまでもない。


 すべて承知で、それでも跳びたいと思った。

 だからこそ……跳びたかった。

 無理とされた壁を越えることができたら、もしかしたら――と夢を見た。


 ――わかっては、いる。


 伏した視線を足元に落としたまま、握りこんだ拳にわずかに力が込められる。

 わかってはいるが、納得しきれない自分もいて……。

 自分の努力の及ばないどうにもならないことで、スタートラインにさえ立てずに負けを言い渡されるのは――


「でも、チビなのはあたしのせいじゃ……」


 言葉半ばで、それこそぼやかれて相手がどうにかできる問題ではなかったと気付く。

 ……が。中途半端に吐き出してしまった愚痴をどう取り繕ったらいいかも解らず、悔しさを抑えることもままならない。

 ますますうつむく彩香の頭に、でんっと重量がかかった。


「そうだなあ。だから、異例の譲歩で跳べてるだろう?」


 おまえしつこかったもんなあ、と中背のわりには熊のようなゴツイ手が頭をグリグリと撫でてくる。


「無理だ無駄だあきらめろ、と言われても食らいついて頑張ったもんな」


(ヤバい……嬉し泣きしそう)


 頑張りを認められてはいたということだ。

 けど妻子あり四十六歳の教師がこの励まし方ってどうなのよ……と、涙をらえるために少しでも気が紛れそうなことを考えてみる。


「まあ、そう気に病むな。女子で希望者いなかったら今までどおり跳ばせてやる」

「……逆に誰か来たら即クビってことですか?」

「当然だ。でもそうなったらなったで100に専念できるからいいじゃないか」


 どっちでも部としては構わん、という響きに思わず両頬いっぱいに空気を取り込み、不満をアピールしてみせた。


「ヒドいー」

「酷いのはおまえだ。いくら興奮してたとはいえ、何ださっきの入室の仕方は。しかも普通、先客がいたら気を遣うだろう」


「え」


 呆れ顔で先ほどの爆弾入室を指摘され、頬の空気が瞬時に抜ける。


(先客……?)


 頭に血が上りすぎてまったく気が付かなかったが、もしや自分は割り込みをしてしまっていたのだろうか?

 だとしたらなんと申し訳ないことを!


 まったく本当に鉄砲玉だなおまえは……と関口が大きくため息をつきながら彩香の背後を指し示してくる。

 その指差された方向をたどって、自身のすぐ後ろを振り返る。


 ――と。



「――――」



 やや見上げる角度で、目は点となった。


 そこにいたのは、ありきたりな濃紺だが左胸に確かに洸陵我が校のエンブレムが施された制服ブレザーに身を包み、わずかに驚いたような顔でこちらを見下ろしている男子生徒。


「あ……」


 やたら背の高い、嫌味なくらい顔形の整った、前髪長めのその人物は――


「あ……あ……」


 無意識に一歩二歩と後ずさり、もれ出た声も思わず震えてしまう。

 よく見ると微かに左頬が赤いその男は、紛れもなく昨日公園で蹴躓き、上にまで乗ってしまったあの……。

 あの――!


「なんだ気付かなかったのか。こんなデカい図体が目に入らないなんて、よっぽど興奮してたんだな西野」


 呑気に感心し、関口がデスク上に頬杖をついた。


 一方、口をぱくぱくさせて頬を引きつらせている彩香に向かって。

 何たることかその男子生徒は、昨日と同様――

 にっと口の端を上げ、端正な顔に不敵な笑みを浮かべてみせた。


 大きく目を見開いたまま、彩香がおもいきり息を吸い込む。


「へ……へン……っ」


 変態! こいつ変態なんですっ!

 と指差して叫ぼうとした口が、突然ガバリと大きな手のひらに塞がれた。


「!?」

「図体って、それヒドくないスか先生ー? 俺ブタや牛みたいじゃん」


 気付くと、ケラケラ笑う変態に後ろから腕をまわされ、顔の下半分がしっかりと覆われていた。


「ふっ、ふぐごごー!?(なっ何ごとー!?)」


「このやろう……。何もしてこなかったくせにブタにもならず、背ばかり伸びやがって」


 彩香のパニックを知ってか知らずか、関口がのうのうと会話を続行する。


「えー、それって僻みとか言わないスかー?」


 頭上、それもかなりの至近距離から、変態のからかいを含んだ愉しげな声が響いた。

 その息遣いや微妙な声の振動さえ伝わってきそうな密着具合に、彩香は目眩を起こしそうになる。


(うっっっぎゃあああああああああああ!)


 なまじ異性とまともに引っ付いたことがないだけに、事態は限りなく混迷を極め、深刻かつ切迫している。

 口を塞がれたそのままの形で、ショートボブの後頭部は変態の広いブレザーの肩(身長差的には胸か)にがっちり押さえつけられ、いつの間にか手首まで取られている。


「ふっ……ふぐぐふぬへんぐんー!(放せこの変態!)」


 辛うじて自由の残っている右手で必死に変態の大きな手のひらを引剥ひっぺがしにかかり、可能な限り手足をバタつかせてはみるが、まったく状況は変わらない。


「ふぐげー!(先生ー!)」


 呑気に歓談してないで助けろ、と殺気立った(つもりの)目と気配で訴えてはいるのだが、くぐもった唸り声にしかならないせいか完全にスルー状態である。


(っていうか、なぜだ!? 他の先生たちもなぜこの状況を止めない!?)


 うら若くか弱い小さき乙女が、こんなに体格差のある男子生徒に羽交い締めにされ自由を奪われているというのに。


 まさかよくぞ黙らせてくれたと声なき感謝すらされているのでは!?と思ってしまう。

 心当たりが無いわけではない不安を胸に、救いを求めて周囲に視線を走らせてみるが、どの教職員も皆一様に顔を伏せデスクワークに勤しんでいるらしい。


(そ、そもそもこんな変態、校内に野放しにしてていいのか!? ――いや、それよりも何よりも……っ)


 呼吸困難も相まって顔面はすでに湯気でも立ち上りそうなほど真っ赤になっている。


(くっつきすぎだって! 変態アンタと違ってこっちは純朴な一般市民なんだよ! 頼むから放してくれえええええ!!)


 ふうっと意識まで遠のきそうになった、その時。


「さあ、じゃれてないでもう行け二人とも。明日からたぶんまた嵐だぞ」


 さすがにいろいろな意味で死にそうになってきたところに、時計を見ながらさらりと関口顧問が退室を促した。

 ヒラヒラ手をはためかせて二人を追いやろうとしている。

 

「ハーイ」  

「ふげぐごごがはぐげぐほーぬぎげぐんぐっぐー!?(これのどこがじゃれてるように見えるんですか!?)」


「じゃあ本当にいいんだな? 早杉」


 踵を返したその長身に向かって、関口が確認とばかりに問いかける。


「うーい。良きに計らっちゃってくださーい」 


 未だフガフガ唸っている彩香を事も無げに押さえ込んだまま、首だけねじ曲げて変態は軽やかににこやかに応答してみせた。






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