第9話 中里の今までの「仕事」

 最初の「仕事」。

 中里はその時、中等学校一年生。まだ十三歳だった。

 今の様に身体が大きくもなく、周囲に紛れ込んでしまえば判らない程度の少年だった。

 正直その時の彼には、自分がどんな「仕事」を言いつけられたのか、よく判っていなかった。

 「消去」とあの時の「声」は言ったが、自分の手で誰かを消してしまう―――殺してしまう、なんて考えることもできなかった。

 だから、毎日毎日「R」を飲んでいても、その年度の終わり近くなった頃、顔も姿も見せない「インスペクター」から「標的」を指名された時にも、自分がどうすればいいのか、さっぱり判っていなかった。

 そんな自分に、初めて意識の上に現れた「彼」はこう言った。


「オレに任せておけばイイんだよ」


 その声は中里にとって、奇妙に優しく感じられた。任せてしまえばいい、とその時の彼は思った。

 そうした方が、少なくとも自分が何かするより上手く行く、と思ったのだ。

 「彼」が自分の身体を支配している間も、中里自身の意識が無い訳ではなかった。ただ、目の前で起きていることが全て自分にとって他人事に見えた。

 それはまるで、TVのフレーム越しの光景の様だった。

 この時の標的は、三年生だった。

 格別成績が良い訳でも、格好良いという訳でもないのだが、前期部の新聞部長である彼の書いた記事には威力があった。それがもし、全くのでっちあげであったとしても、全校生徒に内容を信じさせるくらいの。

 中里は本も新聞も、とにかく活字とはまるで縁が無かったので、それは「仕事」の後で知ったことだった。

 フレーム越しの風景の中で、中里は自分が相手の背後から近寄り、頭に手を掛けるのを見た。そして容赦なく力を込め、背骨まで一気に反らし曲げ折って殺してしまうのを。


 ぼきぼきぼき。


 音が、聞こえたような気がした。

 常夜灯の光の下、玉砂利の中に、何が何だか判らない、という目をして三年生は海老反りに倒れていた。

 そしてそれを見たフレーム越しの中里は、「人間ってこんなに曲がるんだなあ」と感じただけだった。

 それだけだった。

 「彼」は汚れた手を洗いに水飲み場に向かった。

 するとそこには、見覚えのある赤い瓶が置かれていた。ふん、と言いながら、「彼」は中里に言った。


「寝る前には呑んでやるよ」


 そう言われて、中里は安心した。

 死体の後始末など、考えもしなかった。



 その翌年は、隣のクラスの少女だった。

 彼女もまた、取り立てて美人、という訳ではなく、頭がいい、という訳でもなかった。

 だが彼女は学校の中では目立つ存在だった。

 彼女の使う特有の「言葉」は、瞬く間に周囲に流行って行くのだ。あまりにそれが頻繁なので、「**語」と呼ぶ者も居るくらいだった。

 例えば先生のあだ名。学校のあちこちの場所の言い換え。彼女にとってトイレは「楽屋」だったらしい。

 とにかく目の前にあるものを、誰の感性でもなく、自分の見たままに、感じるままに、言葉に置き換えるのが得意だった。

 ある意味、風刺の才能に優れていたのかもしれない。

 しかし無論、それも中里には関係は無かった。

 その時の彼が気付いたのは、自分が殺した相手がどういう人物だったか、ということではなく、殺した相手が「唐突な転校」扱いとなり、それ以上にもそれ以下にもされない、ということだけだった。

 「唐突な転校」は皆、小学校の時に、身をもって知っているので、それが中等学校であったとしても、「そういうものか」で終わってしまう。その少女のことも、すぐに皆の記憶から消えていった。

 「彼」は誘い出された彼女を、自分もろとも屋上から突き落とした。叫び声を上げないように、わざわざ口を押さえつけて。

 そしてまた平気な顔で、身体にべったりとついた血を洗い流すために、水飲み場に向かった。

 そこにもやはり、「R」が置かれていた。

 その少女の表情にもやはり「何故」という色はあった。だが無論フレーム越しの中里にはその意味が判らなかった。



 三年目は中里のクラスメートだった。

 その男子生徒は前の年までは、ごくごく目立たない存在だった。しかしこの年、人を笑わせることにいきなり目覚めたらしく、口八丁手八丁で周囲を笑いの渦に巻き込むようになった。

 一方、その頃の中里と言えば、急に身体が大きくなりだした頃だった。そしてまた、その成長する身体に内側からの痛みを感じていた頃だったので、笑うどころではなかった。

 処置のせいもあっただろう。それは全身に一気に広がっていった。

 外側からの痛みを二年間忘れていた彼は、その内側からの痛みに、どうしようもなく、耐え難い思いをしていた。

 そんな中里の事情など、無論知らないその男子生徒は、ただいつも仏頂面をしている彼を、笑わせようとする努力を始めた。

 彼はがんばった。とてもがんばった。持ちネタの全てを使って、何とかして、中里を笑わせようとした。

 しかしその努力は無駄だった。

 後になれば、中里もその理由が理解できた。彼はあくまで中里を「笑わせよう」としていただけだったのだ。

 それはそれで、向上心に優れた、素晴らしいことだったかもしれない。だが相手を「笑わせよう」としても、「楽しませよう」と思わない「芸」に、内側の痛みに精一杯な中里は笑うことなど、できなかった。

 あくまでそれは、クラスメートが、自身のためにやっていることに過ぎなくて―――そしてそういうものは、「何となく」判ってしまうものなのだ。


 屋上の階段室の壁にその男子生徒の頭を打ち付けて殺した時、「彼」は月明かりの中、その染みが花の様だ、と言って笑った。

 そしてやはり「何故」という顔で死んでいる身体の上に、こんな言葉を投げつけた。


「オマエ言ったよな。コイツの居ない所で。『結局大したアタマも無いヤツにはボクの求める笑いなんて判んないんだよな』って」


 くく、と「彼」はその時本当に面白そうに笑った。


「オマエのつまんないネタより、このカベに残った模様の方がよっぽどオレには面白いよ」


  

 昨年は―――

 考えるのも、面倒だった。

 後期部に入った時点で、中里は自分の時間の曲がり角が見えていた。だがそれに関して、やはり彼は何も感じなかった。

 だから秋頃に、見知らぬ最上級生の頭を「彼」が楽しそうに潰した時も、フレームの向こうで、「あああとこれが二回続くのか」と思っただけだった。

 ただ「死んだ最上級生」は、どうやら園芸部の二人の友達の様だった。

 時々彼らの会話の中に「唐突に転校した奴」のことが出て来ることもあった。その時の表情や、「あいつ今どうしているかなあ」というぼやきを耳にするたび、中里は何故か自分の胸がざわつくのを感じていた。

 「あいつ」のことを懐かしそうに、楽しそうに話されればされる程、中里の中で、そのざわつきは大きくなって行った。

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