山形式キッス

 表参道と原宿の界隈は、人工的ではあるけれど、美しい自然で溢れている。

 こと、青山通り、表参道の交差点から明治神宮へ続く真っ直ぐな通りはみごとで、左右に新緑をたくわえた百五十本の欅並木が続く。

 その下には石畳の歩道があり、ウィンドウショッピングを楽しむ恋人たちや、外国人家族、奇抜なファッションをした人、はたまた足早に通り過ぎるキャリアウーマン風のかっこいいお姉さんなどなど、多様な人々がひっきりなしに行き交う。おそらく、この一瞬だけをカウントしてみても、村の人口より多い人がいるはずだ。

 昨年はじめてさくらとここへ来たが、奥野山村にはない景色に二人とも感動して、写真を撮りまくったもの。

 奥野山村のアンテナショップは、この表通りから少し入ったところにある。

 店舗自体の単独採算より、広告効果や消費者とのファーストコンタクトを狙ったものだが、不相応に贅沢な立地ではあると思う。現村長が周りの反対を押し切り、スタートした経緯がある。

 着物と袴の艶やかな姿をしたさくらが店頭の小ステージに立ったところ、外国人をはじめして皆が足を止め、僕らの狙い通りスマホで撮影をはじめた。今年は事前に警察へ相談してあったので、目だった混乱もない。

 さくらは愛らしく微笑みながら、さくらんぼの試食を皆々に配りつつ、記念撮影にも応じていた。

 ところで、山形のさくらんぼといえば、何といっても佐藤錦だ。

 佐藤錦はさくらんぼの王様とも賞賛され、粒が大きく、光沢をたたえたルビー色の実を頬張れば、口のなかいっぱいに甘い果汁が広がる。その名の由来は、百年ほど前、佐藤栄助さんという人が十六年もの長い歳月をかけて交配し、執念で作り上げた品種だったことによる。

 また一方、かの松尾芭蕉が「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠んだ最上川水系の潤沢な水源を利用しているので、さくらんぼの一粒一粒には、まさしく山形の土と水、お日様の恵みの全てが濃密に詰まっている。

 だから甘くて、瑞々しくて、唯一無二に美しい。

 ここでイベントをやる傍らで、表参道にあるパンケーキ屋さんとタイアップもしている。奥野山産さくらんぼを使ったメニューを期間限定で作ってもらったが、数時間待ちとなる長蛇の列が出来ていた。

 あとは風間さんの学友がテレビ局に勤めていたので、『王様のブランコ』という番組が撮影に来ていた。勿論、さくらんぼ大使であるさくらも映ったのであるが、リポーター役の芸能人の女の子たちが数人来ていたけれど、やっぱりさくらの方が遥かに上だと再確認もできた。

 午後は犬を借りてきて、ドッグ・リゾート・オクノヤマと農協のブライダルイベントが催される。さくらは再び先日のウェディングドレス姿になり、ステージの上に立つ。ところが何と、僕は新郎役として隣に立たされた。

 いざ壇上に立ってみたところ、皆の視線が一斉にこちらへ注がれ目のやり場に困る。かたや堂々と振舞えるさくらは、大したものだと思う。

 さくらんぼと桃がびっしりと敷き詰められたウェディングケーキが運ばれてきて、ケーキ入刀とファースト・バイトまでやらされた。

 最後はさくらがブーケトスをする。それを受け取った人には費用半額で利用できる権をつけたところ、女の子がどっと押し寄せてきて、さながら宝木しんぎを争奪する裸祭りの様相となった。

 イベント自体はかなり盛り上がったし、さくらんぼもよく売れていたが、さくらが隣で「まだ少し足りないなァ」と、ふと小さく呟いた。


「いやいや、上々でしょ。大成功だと思うけど」

「うーうん、もう少し次に続くような話題性がないと、こんなに予算をかけたイベントが単発で終わってしまう。何かバズるものが欲しい、何かないかな……」


 眉間に微かなシワを可愛らしく寄せ、暫く思案していたが、突と「あッ……これだ」と言って、ヘタでつながった二粒の佐藤錦を手に取った。


「いーい、耕太。やるよ」

「え、何を……」


 さくらはマイクの前に立ち、皆に呼びかける。


「皆さーん、ご存知ですかァ。山形にはこうした恋のおまじないがあるんですよ。山形では、運命の人は赤い糸ではなく、さくらんぼのヘタで結ばれていると、昔から言い伝えがあります」


 いや待て、聞いたこともないが。


「だから結婚式ではこうするんです。新婦が一粒をくわえ、そしてもう一粒を新郎がくわえ、キスをします。そうするとその二人は、佐藤錦のように百年の後も続くのだそうです」

「え……」

「これぞ『山形式キッス』と呼ばれ、結婚式ではたびたび行われています」


 完全なるデマだ。

 屹度、さくらが今思いついた出まかせ、真っ赤な嘘に違いないが、そこまできっぱりと言い切ってしまった限り、この大衆の前でやりきるしかない。

 キッスを。

 目算で軽く百人を超す、見知らぬ人々の面前で。

 だが、友として、あくまで同志として、さくらに恥をかかすわけにはゆくまい。

 些細な羞恥心などかなぐり捨て、すべては奥野山村のため、やり果せねばならぬ――

 さくらは僕にアイコンタクトを送ってウィンクをした後、さくらんぼの片方をくわえ、顎を上げ、目を閉じた。さくらんぼをくわえたさくらの唇が、木漏れ日を受け、艶を乗せてキラキラと輝いている。

 俄かに辺り一帯がしんと静まりかえり、道行く人は足を止め、皆がスマホカメラをこちらへ向けている。

 バクバクと鼓動が高鳴った。

 僕はふわふわとした心地のまま、吸い寄せられるように二歩三歩と歩み寄り、さくらの両肩に手を置き、さくらんぼのもう一方を口に入れる。

 それから、さらに唇を寄せ、さくらにキッスをした。


「おお……」


 観衆からどよめきの声が上がり、カメラのシャッター音がけたたましく鳴る。

 やはり恥ずかしかったので、キッスを引き離そうとしたが、さくらが僕の腕をつかみ「まだ、まだ撮らせよう」と無言で制止した。

 少なくとも十秒ぐらいは、キッスをしていたと思う。

 唇を離した後、さくらは瞳を潤ませながら、頬を桜色に染めていて、小さく漏らした溜め息に僕はドキリとさせられる。

 次に見えたのは、奥野山産さくらんぼのポスターにあるキャッチコピーだった。依然として変わらず、『ひとつ食べたらふたつ、ふたつ食べたらみっつ、あとはもう止まらない』という、いつ見てもひどくベタなものだった。

 そうだ。

 これで僕は、かれこれ三つ目のキッスを、さくらにしたのだと思い出した。


 さてその日、さくらのSNSは過去最高にバズった。

 しかも『山形式キッス』は、リアルタイム一位のホットワードにまでなっている。不思議なことに、山形県内から「あれ、知らなかったの」とか、「お婆ちゃんから教えてもらったことがある」「山形ではフツーだし」などとマウンティングをしたいがため、さくらがついた嘘に乗じるものさえ現われた。やがてあっという間に、さも百年前からあったかのように既成事実化して行く。ネットにおけるデマ拡散の恐ろしさを、まざまざと思い知らされたような気がした。

 さらに連鎖現象が続く。

 さくらんぼのネット注文はもちろんのこと、農協ブライダル事業とドッグ・リゾート・オクノヤマへの相談&予約受付はサーバーが落ちた。サーバーとネットワークを管理するデータセンターから、クレームが来るほどアクセスが集中する。

 結局その勢いに乗ったまま、奥野山村は超絶繁忙期へ突入し、実に昨年対比で十一倍のインバウンド効果をマーク。今年はとても活気があって、賑やかな夏を迎えた。

 そしてもれなく、僕とさくらのさくらんぼを食べあうキッス写真および動画は、地球三周分も拡散されることになった。



【同志のさくら――おしまい】

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