入庁式と入組式

「それではただいまより、令和二年度、奥野山村役場と奥野山農協の合同入庁入組式をとりおこないます」


 村民会館の中会議室には、上等なスーツを着た村長、組合長、各重役と村議会議長、県議会議員などなど、おじさん達がいかめしく左右に座っている。思わず肩に力が入っていたと気がつき深呼吸をしたところ、鼻息がかすかに震えていた。

 もう一度周りを見渡す。

 窓の外では桜がほぼ満開となり、一面、春陽が桜を明るく照らしていた。桜の花びら自体が桜色なのか、はたまた数々ある光彩のなかから、桜があえてその色を取り出して僕らの目に見せてくれているのか、どちらなのだろう――とおかしなことを思う。

 そして賑やかな桜色を背景として、卒業式のときよりも、少しだけ大人になったさくらが座っている。黒色のシンプルなレディーススーツに真っ白なシャツ、少しだけ踵が高い黒い靴。タイトなスカートが腰から腿にかけての曲線を強調していた。

 知っている。さくらは華奢な割に大腿四頭筋がついているのだ。なぜかといえば、冬にスノーボードへ頻繁に通うからで、しかもバッジテスト一級の腕前。来年はインストラクター・ライセンスを狙っている。ちなみに村営スキー場のイメージキャラクターでもあるのだ。

 スキー場でリフト待ちをしていると、たいてい調子に乗った東京の大学生たちからナンパされるのであるが、頂上へ行ってからさくらが滑る様子を見れば、彼らは呆気に取られ、あとは声を掛けてこなくなる。その様子を見るたび、可笑しくてたまらない。僕はどうかといえば、さくらほどのトリックやジャンプはできないけれど、普通には滑られる程度。いつかヨーロッパの山岳コースを滑るのが二人の夢だ。

 ところで、今日は四月一日。

 僕にとっては入組式であり、さくらにとっては入庁式の日。

 農協の建物は、村役場合同庁舎と同じ敷地内に隣接しているので、合同で開くのが通例となっている。いずれにとっても三年ぶりの新人だから、僕らは手作りの花飾りがなされた会場で、中央に二人きり、大歓迎を受けることになった。ここを地盤とする国会議員からも、わざわざ祝電が届いているという。

 さくらが首を傾けて、小さな声で訊ねてきた。

 入庁を機に、肩下まで切って、ゆるりとパーマをかけた髪がふわりと零れる。


「ねぇ、耕太。もしかして緊張してる」

「う、うん」

「大丈夫だよ。耕太なら」

「ありがとう……」


 そう。さっきからひどく緊張しているのには理由がある。僕とさくらはそれぞれ、この式典のなかで所信表明をしなければならない。二人で一緒に原稿をつくってきたけれど、こうして大人たちの前で話すのは初めてなので、不安しかない。

 僕は手のひらで人の文字を書いて飲み込んだ。だけど何も改善せず、むしろ緊張が膨らむばかりだった。

 いよいよその時がきた。僕は正面のスピーカー席に立ち、みんなの顔を見渡す。

 視線がこちらへ注がれていた。

 余計に足が震えを増し、生まれたての小鹿の様相になったが、さくらがじっとこちらを見て「がんばれ」と目で応援してくれている。

 やれそうな気がしてきた。


「コホ……ほ、本日は、こ、こここ、こんな――いえ、このような身に余る式を催していただき、まことにありがとうございます。私は三月まで歴史ある奥野山高校で学び、諸先輩方が築いてこられた奥野山の素晴らしさを身をもって知り、三年間をすごしてまいりました。これからは、私も奥野山村の農業と発展、そして未来への礎となり、貢献したいと若輩者ながら志しております。まだまだ未熟ではございますが、なにとぞご指導とご鞭撻のほど、心よりお願い申し上げ、奥野山農協入組の所信表明とさせていただきます」


 終わった。なんとかやり果せた。僕はふわふわとした心地のまま、深々と頭を下げる。しかし――

 ゴツンッ!

 やってしまった。勢いよく挨拶したのはいいが、派手に講演台で打ち付けてしまった。なんてベタな真似を。方々からクスクスと笑いがこぼれた後、力強い拍手が送られてきた。よくわからないが、つかみはOKだったらしい。

 さくらも可愛らしく微笑み、頷きながら拍手してくれていた。

 次はさくらの番。

 流石というべきか、人前に立つことが多いさくらは堂々としたものだった。


「本日はあたたかい入庁式でお迎えいただき、心より感謝申し上げます。さてこの春、例年のごとく小中学校を共にすごした同級生たちの大半は、進学または就職を機に、他県や関東へ出て行きました。毎年、どうしてなのかと思いながら成長してまいりましたが、高校の卒業式でふと気付きました。きっと、彼らはまだ奥野山の魅力が視界に入らず、知らぬまま出て行ってしまっているのだろうと。これはとても残念なことです。私、在原朔良は、まだ奥野山村を知らない日本全国と海外の人々にこの美しさを伝え、そしてここで生まれ、各地へ散って行った方々に奥野山村の魅力を発見してもらえるよう、尽力したいと考えております。少しおおげさな言い回しとなり大変恐縮ではございますが、これが私の志。未来への夢です。しかしながら高校を卒業したばかりで、まだ社会の右も左も存じ上げません。どうかご指導とご鞭撻のほど、なにとぞお願い申し上げます」


 熱弁だった。四方から拍手喝采が沸き起こる。

 きっと日頃から忸怩たる思いがあるのだろう。村長は涙まで流し、スタンディングオベーションを送っていた。

 ところで村長は、さくらを利用したアピールを数々構想しているそうで、すでに観光課への配属が決まっている。まずはホームページの刷新がさくらの最初の仕事となるのであるが、村長は自ら熱心に入札を開き、東京のWEB制作会社と千五百万円の年間契約を結んだと聞く。

 かたや農協の仕事は地味だ。明日からは三十七歳の先輩と一緒に、研修がてら農家さんめぐりをする。

 何はさておき、嬉しいのはさくらが近くにいること。

 さくらはモスグリーンの新型ジムニーを一月に発注したが、手の込んだカスタマイズをしてもらっているのでまだ届いていない。しばらくは僕が運転する軽トラで、一緒に同伴出勤することが決まっている。

 今の気持ちを一言で表すならば――

 最高だ。

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