第36話『海竜の襲撃』


 船に近づいてきた波が急に曲がった。三本の波がこの船を中心に円を描く。海竜がこちらを狙っている。俺は船底に立ち上がり銛を構えた。

 約十メートルの距離で三匹の海竜がこちらの様子を窺うように泳いでいる。どいつが最初に出て来る? 銛を持つ手に力が入る。

 櫓を漕ぐティコは船のスピードを緩めない。船が丁度、港の中心へ来た。


 バシャ! 突如、背後から水の撥ねる音が聞こえた。海竜が顔を出した! 俺は振り向きざまに銛を投げつけた。――しまった! 想像より銛が重く右に逸れた。

 だが、海竜はチャプンと音を立てて海中へ逃げてしまった。


 成る程、海竜の性格はハンターなのだ。相手が弱ったところを確実に仕留めにくる。反撃している限りは襲われないという事だろう。


 俺は急いで紐を引き投げた銛を回収した。


「にーちゃん、後ろ!」


 ティコが叫んだ!


 ――くそ! ぐずぐずしている暇はない! 俺は手にした銛を投げつけた。今度は大分後ろに着水した。


 すぐさま隣にもう一匹が顔を出す。俺は回収を諦め、船底のもう一つの銛を手にし投げつけた。ちきしょうめ! 船も揺れるし的が小さくてなかなか当たらない。すぐに紐を引いて回収した。


「にーちゃん、後ろ!」

「あっ!」


 どんっ! と船が揺れた。今度は船縁に直接海竜がぶつかってきた。海中から顔を出し船縁に嚙みついてきた! 船がミシミシと音を立てる。俺は船底に倒れ込みながら銛を投げつけた。


 ガー! と海竜が声を上げる。俺の投げた銛は左目へ突き刺さった。海竜は血を流しながら海の中へと消えて行った。


 さらにもう一度、船が大きく揺れた。今度は舳先の方からその長い首が姿を現す。


「にーちゃん! 海にだけは落ちんなよ。落ちたら終わりだかんな!」

「……」


 返事を返す余裕がない。


 これは命がけのモグラ叩きだ! 俺は急いで船底を這って落ちている銛を拾い上げ投げつけた。威力が足りず銛は船縁へと当たった。しかし、海竜は噛むのを諦めて海中へと逃げて行った。


 ハーハーと呼吸が乱れる。たった五度の投擲だが揺れる船の上だと勝手が違う。足を踏ん張りながらなので余計に体力を使う。


「後二匹だぜ」


 そう言ってティコは櫓を漕ぐ手を速めた。船が一気に加速する。もうすぐ港の防波堤を越える。


 船の周りをぐるぐると回っていた波が前後に分かれた。前後から同時に襲い掛かるつもりだ!


「ティコ! 後ろに行ったぞ」

「わかってる。こっちは任せとけ!」


 来るならこい! 俺は船底で立ち上がり前に回った海竜を見据えた。


 ザパン! と前方五メートルの海面にそいつが現れた。一気に加速をつけて突っ込んでくる気のようだ! 俺は大きく前へと踏み出し銛を投げつけた。

 銛は海竜の僅かに前の海面へ着水した。だが、そこが丁度、胸元のはず!


 ガー! 大声を上げ海竜が咆哮した。

 左右に大きく体を振って刺さった銛を外し、海の中へと潜っていった。


「ティコ!」


 後ろを振り向くと後方からも海竜が迫って来ていた。ティコは櫓の上に体を乗せ、体全体で器用に操り海竜の頭をはたいた。海竜の長い首がくの字に折れた。目を回したのかそのままの姿勢でズブズブと海中へと没していった。


「これでしばらくは大丈夫だよ」


 ――ふう~、一安心だ。



 船は防波堤を越え湾へと出ていった。直径二キロほどの小さな内海。朝日を浴びて海面が輝いている。風もなく波の穏やかな朝だった。振り返ると王都ルクリヤーは霧に覆われているように見えた。未だに幾本もの煙が立ち昇っている。俺たちはその光景を尻目に西へと進路を取った。


 船は海岸線沿いに西へと進んだ。あまり岸から離れるとまた海竜に襲われる。かと言って岸は高い岸壁になっており近づきすぎるのも危険である。ティコは巧く櫓を操り岩場の隙間を抜けて行った。


 岸壁の上は森になっている。俺が王都にたどり着くまでに歩いた鬱蒼と茂った魔獣の住む森である。王都の住人は基本この森には手を出さない。この森の奥には俺の見た人型や四つ足の魔獣以外にもっとやばい生き物がいるらしく、それらを刺激しないようにひっそりと暮らしているそうである。


 船は湾の端へと向かって進んだ。湾の端は岬になっている。この岸壁の唯一の登り口がそこにある。

 昔は森で伐採した木材の運び出しをしていたこともあるそうだが、あまりに頻繁に犠牲者が出るので今では誰も近づかない場所だそうだ。丸太二本をロープで括り付けただけの簡素な桟橋が見えてきた。


 ティコは桟橋へ船を横付けした。船をロープでしっかりと結び桟橋を渡り上陸した。大きな岩を伝い上に立つ。そこには二畳ほどの腰の高さの石積みの空間があり小さな石の祠が祭ってあった。どうやらここから岩伝いに岸壁の上に行く事が出来るようだ。

 岬の先端へ立った。風が強い。眼前には広い海原が広がっている。視界の先には小さな島が一つだけ見えた。


「ここはね、遠洋に航海に出るときにお祈りをささげる場所なんだ」


 小さな祠のレリーフには女神の姿が彫り込まれていた。ティコはその前に膝をつき両手を組んで祈りをささげた。

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