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 自分の性別が曖昧なこと、恋愛感情を持っていない自分のことを他人とは違う特別な人間だと思っていたから、わたしはいつしか小説家を目指していた。だけど五年で挫折した。気づいたことは、わたしは凡人で、空が青いとか夏は暑いとか冬が寒いとか、そんなことしか感じられないし、それらを上手に表現する語彙がわたしの中には存在しないということ。


 小説以上にやりたいことがなかったから、就職活動はろくにせず、新聞の折込広告を見て、地元の、通信学習教材の梱包と発送をする工場に勤めることにした。それから五年。仕事になんの不満もなく機械の隣で機械のように働いている。ただわかったのは、工場で働いていようが、ブティックで働いていようが、何歳でも「女」は「女」で、自分は「女」の輪の中には入りきれない。


 きのうの誠司さんの姿が、目に焼き付いて離れなかった。仕事に集中しなければと思いながらも、誠司さんの姿が浮かんできてしまう。


「中条さん」


 わたしは目の前の卵焼きを箸で取ろうとして何度も失敗していることに気づく。ここは工場の食堂で、いまは昼休みだ。


 坂本さんは呆れたように笑っていた。


「大丈夫?」


「あ、大丈夫です」


 工場にいる女性は、四十代のひとが多かった。二十代はわたししかいない。


「なんか最近様子がおかしいけど、彼氏できたの?」


「いえ、彼氏では」


 また頭の中に浮かんできた誠司さんの笑顔に胸が苦しめられる。


「中条さんはなんとかセクシャルだから恋愛とは無関係なんでしょ」


 坂本さんの隣の原田さんはわたしを嘲笑した。


「あははは……そうですね」


 わたしはこの話題をすぐに終わらせたかった。


 工場に入りたてのとき、あまりに恋愛の話を振られるから「わたしはAセクシャルだから恋愛とは無関係なんです」とふてぶてしく言ったことがある。それは、わたしの人生で数少ない後悔していることのひとつだ。Aセクシャルとは「他者に恋愛感情や性的欲求を抱かない」セクシャリティのこと。わたしが高校生のときにテレビを観て知った。自分を説明するに適切だと思ったから、たまにそうやって他人に伝えていた。でも、この場では言うべきではなかった。工場ではすっかり「恋愛をしないおかしなひと」というレッテルを貼られ、恋愛ドラマの話やクリスマスなどのイベントが近づくと「中条さんには関係ないことか」とわざわざ言われることがあって、事実だとしても嫌な気持ちにはなった。


 誠司さんへの気持に気づいたと同時に、わたしは自分はAセクシャルではなく、ノンセクシャルなのではないかと思い始めた。ノンセクシャルとは「他者に恋愛感情は抱いても、性的な欲求を抱かない」セクシャリティのことだ。いままで好きになれそうなひとがいなかっただけで、Aセクシャルだと思い込んでいたのかもしれない。


 ベルトコンベアに教材を乗せながら、映画館で隣に誠司さんの存在を感じて胸が熱を持ったのを思い出していた。誠司さんは背が大きいし、顔が大きい。顔のパーツひとつひとつも大きい。だから、余計に存在を感じられるのかもしない。映画よりもずっと誠司さんの顔を見ていたくなる。だけど、触れたいとか、ひとつになりたいとか、一般的に恋愛感情を突き詰めたその先にあるものに到達しない。「いまは未だ」ではなく、「永遠に到達しない」。自分のことだからそれはよくわかる。

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