湯本 康二 6

 そこまで話したところでふと思い当たった。いや、話すことで記憶の整理ができ、そのおかげで分かったと言った方がいい。


「そうか……」


 急に黙った俺に、一ノ瀬さんが不思議そうな顔を向けた。


「どうかされましたか?」

「あ、いや、写真ですよ。その写真をどこで失くしたのかずっと分からないでいたんですが。そうだ、確かに俺はあそこで、テーブルの上に写真を置いたままで、遼太郎の家を出て行ったんだった」


 あのあと家に帰ると兄は、その写真はお前にやるから、と言ってきた。ネガもあるので元々複数枚印刷するつもりだったらしい。もしかしたら友達にでも配るつもりでいたのかも知れない。

 俺は兄の申し出に曖昧に返事をしてそのまま部屋にこもった。その日はもう写真について考えるのも、心霊写真のことを自慢げに話す兄と会話をするのも嫌になっていた。できることなら今日のことを忘れてしまいたいとさえ思っていた。

 そしてそんな風に考えないようにしていたことが功を奏したのか、まあ、いいことのように言っていいものか分からないが、俺はそのまま写真の所在を本当に忘れてしまったのだった。

 あとになって、ふと気になり探したこともあったが、何処かにしまったものだと思い込んでいた俺にはもちろん見つけることは出来なかった。


 その時、来客室にノックの音が響いた。職員室側の内扉が叩かれた音だった。


「はい」


 反射的に返事をしたものの、ノックされる心当たりは無かった。


「失礼します」


 入って来たのは石原だった。


「石原、なんだ、どうしたんだよ?」


 石原はすました顔で何も言わなかったが、その手には盆を持っていて、盆の上には湯呑みと急須がのっていた。


「あ、ああ、お茶か、わざわざ悪いな」

「すみません恐れ入ります」


 一ノ瀬さんは石原に向かって頭を下げ、石原もそれに返事をするように会釈をした。

 テーブルにお茶を置いた石原は、もう一度一ノ瀬さんの方をチラリと見て、そのあと俺の方も一瞥した。なぜかこちらに向けられた視線には睨んでいるような力強さがあった。


 あれ? なんか怒ってるのか……。

 あー、そう言えば残りの仕事を任せて来たんだっけか。そんなに多くないはずだったが、まあ、ちょっと、あれだな、押し付けたみたいな感じになってたかもな、だったらいい気分じゃないよな。


 俺は気まずさを覚えて石原に話しかけた。


「ああ、石原、もう飯食ったか?」


 すると石原は少し間を、意図的に俺に対して圧力をかけるかのような間を置いてから言った。


「奢るって言ってませんでしたっけ?」

「え? あ、ああ。そうだな。そう言う約束だったな」


 石原は俺の返事を聞くと、もう一度一ノ瀬さんに頭を下げ「失礼します」と言って部屋を出て行った。

 石原が後ろ手に閉めた扉の音が少々大きく聞こえたのは、心理的なプレッシャーのせいだろうか。一ノ瀬さんがなんでもないような様子だったので、たぶんそうなのだろうと思う。


 一つ咳払いをした。


「すみません。なんか」

「何がですか?」

「あ、いや、ははは……」


 小首を傾げた一ノ瀬さんに対して笑って誤魔化して、テーブルの上に視線を落とした。

 テーブルの上には俺が用意した麦茶のグラスと石原が持って来たお茶の湯呑みと急須。それと一ノ瀬さんの手土産のドラ饅。

 少し迷って湯呑みに手を伸ばし口に運んだ。


「熱っ!」


 信じられないくらい熱かった。

 しかし少し遅れて湯呑みを手にした一ノ瀬さんは普通にお茶を飲んでいる。


 俺のだけ?


「ふふ、なんだか可愛らしい人ですね。石原さん」


 唐突に一ノ瀬さんがそう言った。


「え? ええ、ええ、まあ」


 麦茶で舌先を冷やしつつ、なんとも返事に困って曖昧に答えた。


 それから俺は、さっきより少し雑多になったテーブルを前に、また昔話を再開した。

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