応援コメント

第21話 祭りのあと」への応援コメント


  • 編集済

    生意気な新人ルークと、彼を教え諭すケヤキのやり取りが何とも微笑ましいですね。まるで兄弟か親子のようです。

    成長した隆也達家族をを始め、人の移ろいが書かれているのも本作ならではですね。
    ケヤキに挨拶に来る隆也や、祭りの後に掃除をする敬三と君枝を見て、この一家とケヤキの間にはしっかりとした絆があるのだろうなと思いました。

    本作は仙台市をモデルにされているのでしょうか?

    作者からの返信

    瑞樹さん、コメントありがとうございます。

    この頃のルークはとにかく生意気でした。それを、昔からこの公園に立つケヤキが先輩として色々と諫めていた感じがします。おっしゃる通り、まるで兄弟みたいですよね(笑)。

    この作品の主役はケヤキ達ですが、そのケヤキ達とともに生き続けているのが隆也とその一家です。ケヤキ達の目を通して、隆也一家の成長ぶりも描いてきました。そうですね、敬三と君枝は、まるで当たり前のように掃除をしていましたよね。彼らはケヤキを単なる公園の木と見ているのではなく、家族の一員みたいに感じているのかもしれません。

    仙台は定禅寺通りのケヤキ並木が有名ですが、確かに樹木の保全とか移植の部分は仙台を参考にさせていただきました。ただ、物語の舞台となった町は、自分が住んでる東北の片隅の田舎町をイメージしています。
    まあ、東北といえば仙台もそうなんですけどね(汗)。

    卵のお店のお話、楽しく読ませていただいています。また続きを読みに伺いますね。

  • その家の歴史が少しづつ積み重なり、繋がっていく様子を見守ることができるって、とても素敵ですね。時に嵐に吹かれたり足元を汚されたりで辛いこともありますが、穏やかな時間の中に立っているケヤキさん達が少し羨ましかったりもします。

    作者からの返信

    aoiaoiさん、コメントありがとうございます!

    ケヤキの目を通して、隆也一家を描いていますが、公園に立つケヤキとして、
    一家の歴史と、時代の移ろいをずっと客観的に見届けられてるのかな?と
    思います。
    嵐やゴミにも負けず、それでも公園の木として立ち続けなくちゃならない、
    という辛い部分もありますが、人間の生活と時代の流れをずっと見届けながら
    ゆったりとした時間を過ごせていられるのは、ある意味ぜいたくですよね。


  • 編集済

    丁寧な描写が印象的で味わい深く、人と植物との関係についても改めて考えさせてくれるエピソードだと思いました。

    関連して、人間や動物の挙動に対しての植物の反応をポリグラフで検出する研究した結果、植物には感情があり、思考するとして、著書などを残したアメリカのクリーヴ・バクスター博士のことを思い出したりしました。博士の研究は科学的には当時拒絶されましたが、それでも植物の進化の過程というのは長い歴史の中で環境に適応してきたということなどまで波及して考えると人と植物の関わりには奥深い歴史がありますよね。

    作者からの返信

    中澤京華さん、コメントありがとうございます。

    この作品の主人公は「ケヤキ」ですが、言葉にはできないものの、感情を持ち、色々なことを考えています。
    僕はこの作品を書くとき、公園のケヤキだったら、人間界で起きている出来事をどう見ているだろうか?という視点に立っているのですが、バクスター博士の研究結果の通りであれば、周囲にある木々たちは、ひょっとしたらこの作品のケヤキ同様の反応をしているのかもしれませんね。
    植物も長い歴史の中で進化し、人間の住む環境に順応してきているでしょうし。