第29話「激突!高野山3」
高野山には、「高野六木」という寺院の建築用材として使う為の木が制定されている。
それは、スギ、アカマツ、ヒノキ、コウヤマキ、ツガ、モミの六木である。
植樹によって制定されたこれらの樹木は、現在は木材の資材として、高野山の収入源の一部になっている。
その為に伐採を定期的に行い、山中に拓けている場所が有る。
その拓けている場所の切り株の一つに、僧形の男が腰かけて目を瞑っていた。
裏高野の退魔師の一人、寂亮である。
寂亮は数時間前の事を思い返していた。
慧春尼が、高野山全体に住む退魔師100人を堂に集めた。
今までに無い事で有る。
何が有るのかと退魔師全員が訝しんだ。
慧春尼は、開口一番に言った。
「本日これより、この場に居る全員で、お山に入ってもらいます」
お山、つまり高野山の山中に入れという意味だった。
「何ゆえでしょうか?大阿闍梨様」
何処からか質問の声が飛んだ。
「これより後、陰陽師の道摩殿がお山からこちらに向かいます。その道摩殿と、お山にて手合わせをしてください」
「大阿闍梨様。それは全員でという事でしょうか?」
また質問が飛んだ。
「ええ。そうです。全員でです。ただ、どのルートから向かわれるのか分かりません故、全員で散り、出会い次第お手合わせをお願いしてください」
「1対1で、順番にという事でしょうか?」
寂亮が聞いた。
「皆にお任せします。1対5でも、1対10でも好きなようにして下さい。武器も制限いたしません」
涼し気に言う慧春尼だったが、退魔師達には不穏な空気が立ち始めていた。
寂亮が更に聞いた。
「本日は、100名程集まっておりますが、1対100でも?」
「ええ。勿論構いません」
「この事は、先方の道摩殿もご承知おき済みの事で?我ら卑怯者の誹りを受けたくは御座いません故に」
「そうだ」「そうだ」
他の退魔師達からの声が上がる。
慧春尼は意に介す様子はなく、尚、涼し気に言った。
「いいえ。知りません。ですが問題有りません。それとも皆さん怖気づいてしまわれましたか?1対100などと」
慧春尼は、使いに出るのを渋る子供を諭すかの様な口調で言った。
「いや、それは・・・」
そう言われては、寂亮も他の退魔師達も、返す言葉が無かった。
「では、もう異存はないですね。それから陽が昇るまでは、お山から出てはなりません。もし破った場合、その場でその者は破門と致します。以上です」
慧春尼はそう言ってその場を後にした。
残された退魔師達は憤慨していた。
1対100でも自分達が相手では、道摩の相手にならないと言われたも同然だからだ。
道摩の名は全員が知っていた。
その腕前が相当なものである事も、噂で聞き及んではいる。
だが、例え最強の退魔師で、裏高野のトップである慧春尼からの話であっても、
到底、承服出来る事では無かった。
その場に居た全員が誓った。
打倒、道摩を。
寂亮は他の退魔師達よりも更に激しく、打倒道摩を誓っていた。
それはひとえに、慧春尼に自分を認めさせたいからである。
慧春尼は、裏高野の全退魔師から畏敬の念を受けている。
寂亮もそう思っている。
だが、それ以上に寂亮は、慧春尼を女として見ていた。
慧春尼の顔を思い浮かべるだけで、下半身が熱くなる。
力ずくで犯し、思いを遂げたいと考えた事も有った。
又、他の退魔師でそれを実行に移そうとした者も居た。
慧春尼は法力だけでなく体術も裏高野一である。
手合わせをしても、文字通り指一本触れさせずに投げ、打たれる。
武器も同じだ。
しかも、何をされたのかやられた側も見ている側も分からない。
まともにいっては敵わない。
慧春尼は、身長160センチに満たない。
体重も45キロ未満。
体のラインも、女性らしさの全てを体現していると言っていい柔らかさが、法衣の上からでも分かる。
体格差を活かして最初から抑え込めば、後は筋力の差でどうとでもなる。
所詮は女。
そう考えて夜這いを、良寛という僧が仕掛けたのである。
良寛は元々が相撲部屋に居た者で、素行の悪さから破門され、裏高野に拾われた。
196センチ150キロ。
裏高野一の巨漢で怪力の持ち主である。
結果は―
慧春尼が寝泊まりをするお堂の前に、朝、良寛が伸びていた。
慧春尼の身の周りの世話をしている僧が見つけ、慧春尼に報告をした。
良寛は慧春尼が来る前に、介抱され目を覚ましていた。
慧春尼が到着し、良寛を見た。
いつも通りに涼し気に、艶然と微笑む。
良寛は慧春尼の顔を見ると、
「ひぃいいい。許して下さい許して・・」
そう言って失禁し、気絶してしまった。
介抱した者によると良寛は四肢を折られていた。
良寛は夜這いをする直前に、同じ宿坊の者に今から慧春尼を犯しに行くと豪語し、
制止する者を、殴り倒して事に及ぼうとした為に、それがすぐに発覚したのであった。
それ以来同じことを考える人間は居なくなった。
慧春尼は一言もこの件については話していない。
良寛は程なくして、何も語る事無く高野山を去った。
寂亮は、良寛の半分の体重も無い。
力ずくで、とはいかない事は良寛で証明済みだ。
しかし寂亮は、諦めていない。
道摩の事を語る慧春尼に、今までに見た事のない何かを感じていた。
道摩に対する暗い嫉妬が湧いた。
―いつかモノにしてやる。あの、何があっても動じない涼し気な顔を、俺のモノで快楽で喘がせてやる。見ていろ慧春尼。絶対に道摩を倒し、お前に認めさせてやる!俺がお前にふさわしいって事を!
寂亮がそこまで思って眼を開けると、下の林から何者かが凄まじい速さで飛び出して来た。
寂亮の顔が闇の中で卑しく歪む。
―来たか!道摩!殺してやる!
道摩は超感覚で、自分が向かう先に、凄まじい殺気を放っている人間を感知していた。
それでも避けて通る事は考えていない。
その道が最短ルートだからだ。
既に棒は捨てていた。
道摩が走り高跳びの要領で支えの棒として使った為に、折れてしまったのだ。
暗い林を飛び出して進むと、男が見えた。
寂亮である。
寂亮の後ろに獣道が有る。
そこが最短ルートであった。
寂亮が構えた。
まだ4メートル程の距離がある。
道摩が急に足を止めた。
軽く頭を振って、左手を肩の辺りに上げて何かを掴んでいる。
それは先に分銅が付いた、黒く塗られた鎖で有った。
寂亮は、愕然とした。
闇に紛れて不意打ちで放たれた分銅に反応するばかりか、鎖まで掴まれた。
それもいとも簡単に。
こうなっては、道摩から力で鎖を手許に戻すしかない。
寂亮は思い切り鎖を右手で引いた。
だが、びくともしない。
すぐにプライドを捨てて、今度は両手で引いた。
道摩は変わらず片手のままで、そこを動かない。
寂亮は手を離すわけにはいかない。
離せば逆に、見えない分銅で4メートルの距離から攻撃されてしまう。
道摩は、寂亮の力をコントロールしていた。
寂亮が力を入れて鎖を引く瞬間に、ほんの僅かだが重心をずらし鎖に力が伝わらない様にしている。
寂亮が力を入れようとすればするほど、筋肉が強張り、連動性が失われ、力を発揮することなく道摩の術中に嵌まり込んでゆく。
寂亮は綱引きの要領で鎖を引きたくなるのを我慢していた。
もし、その状態で道摩に手を離されては、後ろに倒れてしまうからである。
道摩はその隙を見逃してはくれまい。
足を前後に開き、背を立てたまま、腰をゆっくり落として、最大限の力で引こうとした。
力を入れたその瞬間。
掴んでいた鎖の手応えが無くなった。
―勝った!
道摩の手から鎖が離れたのだ。
次の瞬間、猛烈な衝撃を右肩に受けた。
その勢いで寂亮は後ろに倒れた。
何が起きたのか理解出来なかった。
黒い影が、倒れた寂亮の上を飛び越えて行く。
凄まじい速さで獣道を駆け上がる道摩を、寂亮は呆然とただ見送るしかなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます