第6話「公安と探偵」

池の水を抜いてから三日後。

県立公園は警察による厳戒態勢が敷かれていた。

一連の事件に対する捜査は、何の進展もなく時間だけが過ぎていた。

そんな中、県警本部で市川警部補は事件に対する事務処理に追われていた。

「市川警部補、ちょっといいかね」

市川警部補が振り向くと課長が渋面で立っていた。

「何でしょう?」

「うむ。ちょっと、一緒に応接室まで来てくれ」

「はい」

課長の後ろに付いて歩きながら、市川警部補は訝しんだ。

捜査から外されるのだろうか?と。

だが、市川警部補はそれならそれで構わないと思っていた。

―荷が重すぎる。

今回の事件については、その一言に尽きていた。

証人はいる。

証言もある。

だが、それ以外の手掛かりが皆無なのだ。

おまけに犯人像が、都市伝説に出てくる様な物ばかり。

自身までもが直接目撃したが、未だに信じられない思いであった。

そんな風に市川警部補が考えを巡らせていると、応接室に着いた。

応接室に入ると、スーツ姿の男達が二人座っていた。

二人の入室を認めるとソファーから男達が立ち上がった。

「こちらの二人は、公安部の」

「山村です」

「高橋です」

スーツ姿の男達が、課長の紹介の途中で名乗った。

「こちらが今回の事件の担当者の、市川警部補です」

「市川です」

市川警部補が挨拶をすると、二人がうなづく。

着席すると、山村と名乗った男が切り出した。

「今回の件で、公安から人を派遣させていただきます。そこでK県警には、全面的に協力をお願い致します」

「捜査を、公安と共同で行うという事でしょうか?」

市川警部補が聞いた。

「はい」

「で、お二人がこちらにお見えになって、捜査に参加されると?」

「いえ。そうではありません。公安から明日、別の人間を派遣致します。その人間に協力して欲しいのです。」

「ほう。それは構いませんが、何故です?公安が絡むってことは、右翼や左翼絡みですか?とてもそんな事件には思えませんが」

「市川警部補。申し訳ないんですが、我々が捜査に参加する理由はお話し出来ません」

「随分と勝手ですね。理由も話さずに全面的に協力しろってのは」

「市川警部補よさないか」

課長がなだめる様に言った。

「課長はよろしいんですか?こんなやり方をされて」

「市川警部補。良いも悪いもない。これは警察庁からの指示なんだ」

市川警部補は憮然とした表情で肩をすくめた。

だが、二人の公安の刑事はそんな市川警部補の様子にも、意に介さずに話しを続けた。

「明日12時に、こちらの県警本部の市川警部補宛に、こちらから人を派遣致しますので、その人物の言う事には協力を惜しまないで下さい。また、明日お伺いするのは一人ですが、状況次第で明日以降も他の人物がお伺いする事になるかもしれません。その際には、同じくご協力をお願いいたします」

「分かりました。で、その人物ってのはどんな人で、名前は何て人なんです?」

市川警部補の問いに、公安部の二人は首を振った。

そして山村と名乗る刑事が答える。

「明日になればわかります」

「あんた達いきなり来て、捜査に加えろ、協力をしろ、人は出すがどんな人間かは教えないって、どういう事なんだい?」

「市川警部補よさないか」

課長が会話に割って入り、市川警部補を宥める。

すると、今まで黙っていた、高橋と名乗った公安の刑事が言った。

「市川警部補。申し訳ありません。お怒りはごもっとも。ですが我々も知らないのです」

「なに?あんた達も知らない?」

「はい。知らされておりません。私達はメッセンジャーに過ぎないのです」

その言葉を聞いて市川警部補は納得した。

本当に二人はただのメッセンジャーなのだろう。

命令に従っただけ。 

公安の取り扱う事件は秘匿事項が多く、同じ課に居ても同僚が何の事件を扱っているのか分からない事が殆どである。 

恐らくは、二人共事件についても何も知らされてはいないのであろう。

捜査に二人が参加しない事がその証拠だ。

市川警部補はそう思った。


翌日の12時。

その人物は確かに、時間ぴったりに市川警部補の下を訪れた。

「田中です」

市川警部補の目の前に居る男はそう名乗った。

市川警部補は戸惑った。

恐らくだが、警察関係者ではない様な気がしたのだ。

市川警部補には、どこにでもいる様な普通の30代の男に見えた。

警察官特有の雰囲気がないのだ。

公安ならば確かに、潜入捜査や、監視、尾行等が主な任務になる為に、

一般人に紛れる様なタイプが多い。

だが、それでも同じ刑事ならば、それとなく感じるものが有る。

この男にはそう言ったものが一切感じられないのである。

「あんたがその……例の?」

「はい」

田中と名乗るその男が返事をした。

市川警部補は我慢出来ずに聞いた。

「ちょっと聞いてもいいかい?」

「はい」

「あんた、なにもんなんだい?」

田中は笑って答えた。

「探偵ってところですかね」

「探偵?」

「はい。特殊な事専門の

―特殊か。

確かに特殊と言えば、これ以上にない程特殊な事件であろう。

だが、この男がどれほどの役に立つというのだろうか?

「で、何を協力したらいいんだい?」

あれこれ悩むのが嫌いな市川警部補は、ストレートに切り出した。


市川警部補は拍子抜けした。

男の申し出がこれといってなかったからだ。

事件の有った場所の詳細な地図。

男の要求はそれだけであった。

「それだけでいいのかい?」

「ええ。後は、一人で公園に入る許可さえ頂ければそれで」

「あんた一人で?」

「ええ。私一人で」 

田中は当たり前だと言わんばかりに言った。

「上から、全面的に協力しろと言われているんでね。こちらとしては全く構わないんだが、一人では命の保証は致しかねるが、それでも?」

「はい。自分の身は自分で守れますし」

「そうかい。一応あんたの為に行っておくが、拳銃抜いた警察官が二人いても、その内の一人は殺されているんだがな」

「でも、一人は助かっているんですよね?」

「……まあそうだが」

「大丈夫ですよ。早速ですが、今から公園に案内していただけますか?」

「分かった」

―自信満々だな

市川警部補は、改めて田中を見た。

身長は170センチそこそこ。

体重は60キロあるかといったところだ。

何か武道やスポーツをやっている様な体つきではない。

何が田中のその自信を支えて居るのか、市川警部補には見当も付かなかった。

―勝手にしろ

忠告はした。市川警部補はそう思った。

一時間後。

市川警部補と、田中と名乗る男は県立公園に着いた。

県立公園は厳重に警察官達によって封鎖され、誰も入れない様になっていた。

入口に着くと市川警部補が警察手帳を見せ、

田中を中に入れるように指示をした。

田中は持参したボストンバッグを手に、悠々と公園の中に消えていった。


田中は公園に入ると、市川警部補が用意した、公園内の事件が有った場所が記してある地図を見ながら歩き始めた。

田中は最初に目指すべきは、「口裂け女」の事件の起きた場所だと考えていた。

公園内で最初に起きた事件だからという理由と、懸賞金が500万円掛かっているからであった。

田中は公安から依頼料を得ている。

だが、それとは別に懸賞金も得るつもりであった。

自分の能力ならば、十分事件解決は可能で有ろう。

田中には自信が有った。

護衛なども必要が無い。

下手に警察官などが協力して懸賞金が減らされてはかなわない。

そんな風に思案しながら歩いていると、目的地に着いた。

事件現場にはまだ、殺された吉野巡査の血痕が残っている。

田中はその血痕に近づくと、ボストンバッグを地面に置き、身を屈めて目を瞑り血痕に手を着いた。

すると、田中の目に事件当日の様子が浮かんできた。

田中は残存思念を読む、サイコメトラーなのであった。

―凄いな。恐ろしくタフな女だ

田中の素直な感想であった。

それともう一点。

―本物なのか?

「口裂け女」の特徴そのものではある。

事前の情報との相違がないのだ。

それが気になった。

通常であれば、目撃談などと言うものはそれほど信憑性がない。

例え見たとしても、記憶などというものは、往々にして当てにならないからだ。

だが、今見た映像は伝説の「口裂け女」そのものだ。

そして、村田巡査部長の証言そのままでもある。

田中が思考を巡らせていると、不意に人の気配を感じた。

顔を上げると、数メートル先に赤い服を着た背の高い女が立っていた。

―いつの間に。

公園は全ての出入りが出来ない様封鎖されている。

公園の周りには、警察官が配置されているのだ。

田中は、異様な雰囲気を女から感じ取っていた。

―ご本人様の登場か

田中は、女から目を離さない様にしながら、地面に置いたボストンバッグのチャックを開けた。

女はゆっくりと田中の方へと歩いてくる。

近づいてくる女を見て田中は確信した。

―間違いない。

サイコメトリーで見た「口裂け女」だ。

右手には包丁が有り、陽光を跳ね返し不気味に光っている。

「止まれ」

田中は、女に向かって強い口調で言った。

女は、田中から2メートル程の所でピタリと止まった。

女は田中をぼんやとした様子で見つめながら、

口元にある白い大きなマスクに手を掛けた。

どうやら、田中の命令に従って止まった訳ではなさそうであった。

女がマスクを外した。

耳元まで大きく裂けた口が現れた。

「わたしキレイ?」

女が問いかける。

「そんな訳ないでしょう」

田中がそう言った瞬間、女が間合いを詰めてきた。

田中はそれをみて素早く後ろに数メートル跳んで下がった。

常人では考えられない様な跳躍である。

そして、地面に着くと同時に叫んだ。

「行けッ」

次の瞬間、「口裂け女」の体に、数十本の包丁が突き刺さっていた。

その包丁は田中が地面に置いた、ボストンバッグから飛び出したものであった。

田中のもう一つの超能力、サイコキネシスで飛ばしたものである。

後ろに跳んで逃げたのも、この能力を使って後ろに跳んでいる。

「口裂け女」は、全身に包丁が刺さったまま動かない。

だが、血が出たりはしていない。

口裂け女の体が急に膨らんだ様に見えた。

その瞬間、「口裂け女」の体に刺さっていた包丁全てが抜け落ちた。

田中は一瞬驚いたが、すぐに、

「面白い。何発でも行きますよ。どっちの包丁が強いか試してみますか!」

田中がそう言うと、すぐに抜け落ちた包丁が宙に浮かび始めた。

そして「口裂け女」の体に再び一斉に襲い掛かる。

きいーん。きいーん。

田中の超能力で操られた包丁群が襲い掛かるたびに、美しい金属音がした。

見ると、「口裂け女」が自らの包丁を操り、凄まじい手捌きで田中の操る包丁を叩き落している。

「口裂け女」の手捌きはとても人間業とは思えなかった。

だが、田中も叩き落された包丁を、落とされた端からすぐさま、攻撃に転じさせていた。

じりじりと、「口裂け女」は包丁の攻撃を躱しつつ田中との距離を縮めてくる。

田中はそれを見て、包丁の狙う先を変えた。

急所ではなく、足の腱に狙いを変える。

包丁数十本では、細かいコントロールは利かせにくい。

足元に一気に襲い掛からせた。

全ての包丁が、「口裂け女」の脚に刺さった。

田中にはそう見えた。

だが、気が付くとすぐ目の前に「口裂け女」が立っていた。

田中には早すぎて見えなかったが、足元に包丁が殺到した瞬間に、「口裂け女」は助走もなしにジャンプしたのであった。

包丁は間に合わない。

田中は、超能力で「口裂け女」を目の前から吹き飛ばした。

「口裂け女」は数メートル吹っ飛んで転がった。

 ―やった。

田中の意識はそこで切れた。

何故なら、田中の体は縦に真っ二つにされていたからだ。

「口裂け女」が、吹き飛ばされるより早く、田中の体を包丁で斬っていたのであった。

真っ二つにされた田中の体がゆっくりと左右に倒れた。

田中の体が倒れると同時に、「口裂け女」も消えていた。

後に残されたのは、大量の包丁と真っ二つになった田中の死体のみであった。


田中が公園に入ってから5時間が過ぎた。

辺りは既に暗くなっている。

市川警部補は焦れていた。

―時間が掛かり過ぎている。

このまま待つべきか、それとも呼び戻しに行くべきか。

人員を割いて探しに行くのは避けたいところである。

何故なら、公安の接触は現場で知る者が居ない。

それに警備が手薄にもなる。

市川警部補は決断した。

―仕方ない自分で探しに行くか。

正直、気は進まなかった。

この公園に一人で、しかも夜に人を探しに行くなどしたくはなかった。

連絡先を交換しておけばよかったと、今更ながらにして思う。

だが、この状況下では恐らく田中は生きてはいまいとも思った。

公園内は車一台分ならば、なんとか幅が有り通れる。

公園の樹々の剪定等は、業者が軽トラックを乗り入れて行っている。

市川警部補は、車を公園に乗り入れて田中を探しに行く事にした。

最初に向かうと決めたのは、「口裂け女」の現場で有る。

田中は探偵だと言っていた。

ならば、事件を最初から追うであろう。

捜査の基本は警察も探偵もそうは変わらない。

市川警部補は、慎重に車を進め現場付近に近づいた。

すると、車のヘッドライトの先に何かが見えた。

車の速度を落とし、更に近づいてみる。

「うっ」

市川警部補は、目を疑った。

地面に横たわる縦に半分になった田中を見つけたのであった。

市川警部補は、急いで車を降り確認に向かった。

改めて確認し、市川警部補は嘔吐した。

殺人課のベテランの市川警部補でも、こんな死体を見るのは初めてであった。

一刀両断。

正にその言葉がぴったりである。

どのような刃物と腕前が必要になるのか。

少し先には、大量の包丁も落ちている。

市川警部補には、そのどちらについて何も見当が付かなかった。


連絡は、課長に直にすることにした。

公安から派遣された人物が殺されたとなれば、その旨を伝えてもらわねばならない。

連絡をすると、その場で公安からの指示があるまで待機するように指示を受けた。

市川警部補は、車の中で待機することにした。

車の中で、煙草に火をつける。

「ン?」

何かが車のヘッドライトの光の先に見えた様な気がした。

もう一度目を凝らす。

今度は、はっきりと見えた。

―居る。女だ。

顔は見えないが、右手に包丁を握っている。

―あれか。

市川警部補は、すぐに村田巡査部長が話していた犯人像を思い出していた。

―どうする。

市川警部補は、自分の迂闊さを呪った。

刑事課の刑事は、通常、拳銃を持ち出すには申請書を提出しなければならない。

だが急に出る事になったので、書類を出す面倒を嫌い拳銃を所持していなかったのだ。

―車を降りて職質するか?

市川警部補の考えがまとまらない内に、女がゆっくりと向かってきた。

―決めた。

市川警部補は、車のギアをバックに入れて車をスタートさせた。

バックで進むにつれてヘッドライトの先の女の姿が少し小さくなる。

女の全身が見えた。

顔にマスクをしているのが確認出来る。

―このまま逃げきれる。

市川警部補が、そう思った瞬間。

女は市川警部補の乗る車へと走り出した。

ヘッドライトの光に映る女の姿がグングン大きくなった。

道は左手の池に沿って微妙にカーブしている。

市川警部補はバックしながらアクセルを少しだけ踏み込んだ。

道幅は、車一台分。

底の浅い池に落ちれば、女から逃げる事は出来ない。

スピードメーターは時速40キロを指していた。

バックで走るには、かなりのスピードである。

だが、女の姿は遠ざかるどころか距離が縮まっている。

オリンピック選手並みの脚の速さで有った。

もう少しで追いつかれる。

市川警部補がそう思った瞬間、女は消えていた。

市川警部補はすぐに急ブレーキを掛けて車を停めた。

いつの間にか公園の出入り口に着いていたのであった。

「ふうー」

市川警部補は、深く息を吐いた。

コンコン。

運転席の窓をノックする音がした。

驚いて見ると、先日の公安の二人組、高橋と山村が立っていた。

市川警部補は、すぐに車を降りた。

「やけに来るのが早いな。あんた達……もしかして、最初からここで張っていたのか?何でもいいが、あんた達が寄越してきた男は死んだぞ」

「お聞きしました。市川警部補が無事で何よりです」

と山村が言うと、

「で?どうするんだい?今度はあんた達が中に入るのかい?」

市川警部補が聞いた。

公安の二人は首を振って、山村が答えた。

「いえ。誰も入るなとの上からの指示が出ていますので」

「なに?じゃ、俺が入るのも見ていたのに止めなかったのは何故だ?もう少しで殺されるところだったぞ」

「すみません。市川警部補がまさか入っていくとは思わず、それに少し離れたところから観察しておりましたので、お止めするタイミングが合いませんでした」

市川警部補は、二人を責めるのを止めた。

勝手に入った自分も悪かったのだ。

慌てずに、課長に連絡をしてから動けば良かったのだ。

「まあいい。あの男の死体はどうするんだい?」

「しばらくは放置します。明日の昼間に、我々の偵察用ドローンで現場検証を行います。その後に、新たな人材を送ることになるかと思います」

山村が、何の感情も見せずに市川警部補に事務的に告げた。

「死体を放置って・・鑑識も何も入らせないってことか?・・まあそうだな。その方が賢明かもしれんな。あんな化け物じみた奴が本当に居るんだからな」


翌日。

市川警部補は、課長に昨夜の件を報告書として記録に残すべきかどうかの相談をした。

課長の返事は市川警部補にとっては、YESでもあり、NOでもあった。

報告書自体は作成しろとの事だが、作成した書類の扱いについては、公安での取り扱いになるとの事であった。

市川警部補にとっては作り損である。

殺されるかもしれないリスクを負ってまで、公園内に様子を見に行ったのが馬鹿らしくなる。

市川警部補がそんな風に思っていると、課長から新たに指示がきた。

二日後に、公安からの紹介で新たな人物が派遣されてくるとの事であった。

―対応が早い。

市川警部補はそう思った。

―最初から、あの男が失敗するのは想定内だったのか?それともリストアップを複数既にしていたのか……



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