第4話 鬼斬り丸①

光育から今回の旅を告げられた時、虎千代は飛び上がって喜んだ。


 「これ、虎千代。遊びに行くのではないのだぞ」


 光育が虎千代を嗜めると虎千代は体裁だけ改まって正座した膝に手を置いた。


 「分かってますよ。だけど、外に出られるのでしょう?他の小僧たちは買い物や托鉢で外に出られるのに僕だけは、寺から出してもらえなかったじゃないですか。だから、嬉しくって」


 嬉々とする虎千代に光育は苦笑して


「本当に分かっとるのか?鬼斬り丸は……」


何度も言って訊かせた鬼斬り丸との対峙方法を光育が話しかけると


 「いや~。飛騨ってどんなところでしょうね?五平餅が有名なのですよね」


と、虎千代の頭の中はまだ見ぬ他国に飛んでしまい、光育の話どころではなかった。


「ち~~っともワシの話訊いとらんのじゃから。もう、いいよ。土壇場で困ってもワシ、知らないかんね」


真面目に話を虎千代に訊いて貰えない光育が少し拗ねて、頂きものの酒饅頭を乱暴に摘み一口で頬張った。


「ちゃんと聞いてますよ。お師様。あれでしょ。鬼斬り丸の幻覚に惑わされるなってやつと……」


虎千代はそこまで光育の教えを反芻すると眼球を上向かせて硬直した。


「何があっても決して!」


光育がそこまで言うと、虎千代は自力で思い出したかのように手を打って


「人を殺

あや

めるな!」


光育の続きの言葉を奪って叫んだ。


「だけど、本当にそんな力が僕にあるのかなぁ~」


虎千代が首を傾げながら、光育の酒饅頭に手を伸ばす。


光育は虎千代の手をパチンと叩

はた

いて、饅頭を取り上げ「ある」と重い口調で言い、取り上げた饅頭を一口齧った。


虎千代は物欲しげに指を咥えるのだった。


虎御前に林泉寺に連れてこられた日以前の虎千代の記憶は、光育が呪術で封じ込めていた。虎千代の神通力は光育が制御していた為、虎千代は他の小坊主と変わらぬ生活を送ってきた。光育から鬼斬り丸の話や自分の力について初めて聞いたとき、光育の一級品の冗談だと思い「また、またぁ」と虎千代は光育の鳩胸を指先で突

いたほどだ。


光育は懐から玉

ぎょく

が先に吊り下げられた首飾りを取り出し、饅頭を咥えたまま虎千代の首に掛けた。


「この玉

ぎょく

にわしの念を入れておいた。肌身離さず着けておくのじゃぞ」


「ダサ……」


虎千代がそこまで言うと、光育が言葉を被せた。


「ダサくない!お洒落さんじゃないか。分かったか?決して」


「はい、はい」


虎千代は不服そうな顔で玉を摘み見た。


「『はい』は一回!」 


「はい、は」


光育の座った目を見て虎千代は二度目のはい、を寸前で飲みこんだ。


光育はため息をついて「部屋に戻ってよいぞ」と虎千代に告げて湯呑み茶碗の蓋を取り、ずずと茶を啜る。


虎千代は一礼して光育の部屋を出た。


遠ざかる虎千代の足音を聞きながら、光育は顔を曇らせた。おぞましい限りの形容できない苦痛に、はたして虎千代が耐えうるのか、言うは易く行うは難しである。光育は愛弟子を信じたい気持ちと不安の狭間でたじろぐばかりだった。



翌朝、一日の始まりを告げる鐘の音と共に虎千代は飛騨に出立した。


見送りに出た光育に、段蔵は深々と笠をかぶったまま軽く会釈だけすると、一言も言葉を交わすことなく踵を返した。


 「よいか虎千代、鬼斬り丸の眩惑に……」


旅支度をした虎千代が出発する直前まで光育は虎千代に鬼斬り丸の攻略法を口酸っぱく言い含める。


「はい、はい、光育様。もうわかったから。大丈夫だから。安心して酒饅頭でも食べて待っていてくださいよ。必ず鬼斬り丸を持って帰ってくるからさ」


虎千代は軽い口調で言うと、先を歩く段蔵の背を追った。


光育は朝日に向かい歩を進める虎千代の背に、冥福を祈るように、数珠を這わせた手を合わせた。

「御仏のご加護が有らんことを」


光育が唱える経が周囲を包む山塊に響き渡った。


「段蔵さん。飛騨まで行くには、信濃路を通っていくんですよね。信濃は何と言ってもお蕎麦!お蕎麦食べに行きましょうよ。五平餅売ってるかな?楽しみだな~」


意気揚々、張り切って両手両足を交互に振る虎千代。


「段蔵さん一六歳なんだってね。光育様から聞いたよ。僕は十四歳だから、二つお兄さんだね~。よろしくでっす!」


浮かれる虎千代を無視して、段蔵は足早に歩を進めた。


林泉寺を出発して三刻ほど歩いたところで、喋ることも尽き果てた虎千代が山道脇の切り株に腰を下ろした。


「段蔵さ~ん。休憩しようよ。休憩。寺出てから歩きっぱなしだよ~」


だらしなくへたばる虎千代の姿を、段蔵はちらと見て、虎千代の傍まで戻ってきた。


段蔵は腰につるした竹筒の栓を抜き、虎千代に手渡してすぐに背を向けた。


「段蔵さんも座りなよ」


立ち尽くしたままの段蔵に虎千代が声をかけたが、段蔵は一向に座ろうとしない。


「段蔵さん無口だね。今日出会ってから僕しか喋ってないもの」


虎千代は竹筒を傾けて水を喉に通すと、竹筒を持った腕を段蔵に伸ばした。


段蔵は竹筒を受け取り「おぬしが喋り過ぎなのだ」と憮然と応えた。段蔵の声は、薄汚れた旅装束からは想像できない、透き通るような声だった。


「段蔵さん、綺麗な声してるんだね」


虎千代が白い歯を零して言うと、段蔵は深く被った菅笠をさらに下げ、踵を返して走るように歩き始めた。


「ちょっ、ちょっと待ってよ~」


虎千代は段蔵について行こうと素早く立ち上がったが、段蔵の背中は遥か彼方を歩いている。一瞬で視界から消えてしまうほどの歩速で歩く段蔵を必死で追いかける虎千代。


「ゴメン。照れたの?照れちゃったの?ゴメン。ゴメンナサイ!だからちょっと待って!!!!」


つづく


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