2020年5月1日

 駅に向かう途中の道沿いに、肉まんを持ち帰りのみで売る小さなお店があり、女子高生などがよくそこで姦しくしているのを見る。その様子が如何にも楽しそうなので、ずっと気になってはいるのだが新しい店を試すということに異常なハードルを感じてしまう性分の為、未だにそこの肉まんを賞味したことがない。服屋やレコード屋などならばズイズイと入れるのに、飲食店のそれが難しいのは、冷やかしが許されない雰囲気があるからだろう。すなわち、入ったからには何か注文して食ってゆけ、という気合が感ぜられる点に気後れをするのである。


 それでもって肉まん屋と言えば、高校生の頃に付き合った恋人と初めて一緒に見た映画が八仙飯店之人肉饅頭だった、などと思いだして、意味もなくおののいたりしているうちに閉店となり、その日もまた買えずに終わる。


 こうやって日々を重ねていったら、新型コロナ騒ぎのせいでお店がお休みのままになってしまった。実に残念だがホッとしてもいた。店の前を通るたびに気になっていたものが、気にならなくなったので、不謹慎ながらもスッキリとした気持ちで駅までの道を歩くことができるようになった。ときにはその店の前を通りたくないが故に遠回りの道を選んで帰路につくことなどもあったのである。


 ところで、ここまで書いていてなんだが、そんな肉まん屋というのは本当は存在しないので、今思いついた限りで適当に懊悩していただけだ。如何にも暇なのでたまに自分の知らない町、そしてそこでの生活を勝手に想像して遊ぶのである。


 ちなみに駅前には骨董屋とリサイクルショップが並んでいて、表に出ている商品のガラクタとしての質が似たりよったりなので、どちらが骨董屋でどちらがリサイクルショップなのか判然としない。


 途中にある細長い公園では象が真っ二つに切り割かれたようになっている小さな滑り台があり、そこではパルクールの練習をする大学生がよくいる。あ、これは前住んでいた町の記憶だ。こうやって想像と記憶は混ざり合って曖昧になり、本当に住んでいたような気分になってくるのであった。

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