第6話 聖女

む……か?」


 生体実験を行う研究所。

 1体の生物を運びながら係員は呟いた。

 わざわざ名前を出すほどの者でもないので、係員Aとしよう。


「おい、おい、この仕事が長いせいかお前も狂ったのか?」


 一緒に運んでいるもう一人の係員Bは、唐突に訳の分からないことを呟きだした仕事仲間に、呆れたような表情で問いかける。

 部屋番号94番の実験体を運んでいるから出た言葉だと分かるので、本心からの問いではない。


「……多少狂ってなきゃこんなところの仕事なんてやってられないだろ?」


「確かにそうだな……。まぁ、そういってられる間は大丈夫か……」


 先程呟いた係員Aのように、ここではまともな神経ではやっていけない。

 この仕事をしていると、精神を病む係員が多く、むしろそう言った人間の方がまともなのではないかと思えてくる。

 それだけ、研究員たちが行っている実験は酷い。

 たまたま目に入った実験では、検体から血が噴き出し、目玉が飛び出ようが研究員たちは何の反応も示さなかった時があった。

 それを見て、係員Bは背筋がゾッとし、その時分かった。

 ハッキリ言って、研究員の彼らの方がまともではないということを。


「こいつも元の形が分かんなくなるまで使い潰されるなんてな……」


 今の姿からは想像できないが、部屋番号の横には女性のマークが付いていたので、一応女性なのだろうこの94番は、見目麗しい女性だったという話だ。

 しかし、実験開始初日に薬物投与に耐えられず、全身の皮膚が炎症を起こし、とても女性には見れない姿になったという話だ。

 嘘か本当か、94番の容姿に嫉妬した女性研究員により、予定以上の薬物投与が行われたという噂だ。


「聞いたか? 何でも研究成果がいまいちなんだとよ……」


「ふ~ん」


 噂で思い出した係員Aは、最近の噂について話し出す。

 彼がここに勤める前からこの研究所はあり、様々な生体実験が行われて来た。

 しかし、係員の彼らにはここが何を研究しているのかは分からないが、最近研究員たちの係員たちへの当たりが強くなってきている。

 聞こえて来た幾つかの単語を並べると、どうやら研究結果が上手くいっていないようだ。

 そのせいか、最近は無理な実験をしてよくするようになり、それの失敗による廃棄の検体を運ぶ仕事が多くなっているように感じる。

 係員Bからすると、まともに働くよりも高額な給料のここの仕事によって、もうだいぶ資金の方は溜まっている。

 そのため、もういつここを辞めても構わないという思いがある。

 だからなのか、ここがどうなろうと興味が無いというのが本音なため、返事がおざなりだ。


「……そういえば、何年か前にこれよりも酷かったのがいたな?」


 廃棄場が見えてきた時、係員Bは昔のことを思いだした。

 この検体も酷い姿だが、それ以上に酷い姿をした係員の者たちの間では有名だった検体のことだ。


「あぁ、確か……42番だったか?」


 係員Aもその時にはここで働いていた。

 そのため、あの時の42番の姿を思いだし、気分が悪くなる。


「あれは本当に酷かったな……」「あぁ……」


 言い出した係員Bも、自分で言っておきながら眉をしかめる。

 あの検体のことを思えば、この94番はまだマシに思えてくるから不思議だ。


「行くぞ!?」


「おう!」


 廃棄場の扉を開けて声をかけ合い、94番の検体の足の方を係員Aが、上半身の方を係員Bが持ち上げる。


「「せーの!!」」


 そして、反動をつけるように揺さぶり、係員の2人は声を合わせてその開けた扉に94番の検体を放り投げたのだった。






 聖女。

 神に仕え、民を助ける存在で、回復魔法を使う。

 そう呼ばれるにはその威力と回数が重視され、最優秀な女性がそう呼ばれる地位にたどり着ける。

 研究所の廃棄施設に落とされた彼女も、多くの次世代聖女候補の中で1、2を争っていた。

 それがこんなことになるなんて思わなかった。

 彼女は、1位争いをしているもう1人の候補によって、謂れもない罪を着せられた。

 それは、この国の貴族が彼女のいる教会に訪れた時、その所持品を盗んだという罪だ。

 多少の金品ならまだ許された可能性があったが、盗んだ物がこの国の初代国王から授かった家宝の短剣だった。

 しかし、当然何のことだか分からない彼女が、自分が盗んだのではないと否定しても、誰も信じてくれなかった。

 その短剣が彼女の部屋から発見されたからだ。

 彼女じゃなくても、その部屋に短剣を隠すことはできるはず。

 だが、彼女以外の聖女候補たちにはアリバイが存在していた。

 今思えば、それも口裏を合わせていたのだろう。

 結局彼女が犯人にしたてられ、とうとう彼女は犯罪者として研究所送りになった。


『……結局、聖女なんてこの世にはいない。そして神も……』


 聖女の地位は、教会に勤める者にとって生涯厚遇されて生きることができる最高位。

 誰もがその地位に就きたいと思っている。

 彼女がいなくなり、聖女候補の者たちは、ライバルが1人減って喜んだことだろう。

 裏で足の引っ張り合いを平気でする者が聖女だなんて、今さらバカバカしく思えてきた。

 この施設に着き、地獄はこの世界、この研究所がそのものだということを知った。

 ここに比べれば、聖女になれないことなんて大したことではなかったのだ。

 死ぬ寸前になって、彼女はようやくこの世の理を知った気がした。


「……………………」


“ザッ!!”“ザッ!!”


 瞼も腫れあがり、僅かにしか開かない両目。

 開いたところで、周囲は完全な漆黒で何も見えない。

 しかし、耳は左の片方だけだが完全に機能している。

 その耳に、何かが近付いてくる音が聞こえる。


「……?」


 そちらに目を向けても漆黒で何も見えない。

 しかし、ドンドン自分のすぐそばに近付いて来ている。

 ここに入れられた者は、人間も動物も、更には魔物でも死を待つだけの存在。

 生きているのは、今放り込まれた自分だけのはずだ。


“ザッ!!”“ザッ!!”


「……………………っ!?」


 その音はドンドン近付き、とうとう自分のすぐ側まで来て止まった。

 明らかに何かの生物が存在していると彼女は理解した。


『何だか分からないけど、これで終われる……』


 何者かは分からないが、この生物に止めを刺されるのだろうと、彼女は判断した。

 自分はこのままここで死を待つだけの存在だ。

 ならば、どんな生物だろうと、殺してくれるならそれはそれで構わない。

 もうこの世界で生きることを諦めた彼女は、そのまま目を閉じて死を待つのだった。


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