第16話 正統貴族への誘い


 ハール・ミッヒャーがアナベルを捕まえられたのは、部屋の手前だった。


「待ってくれ、アナベル!」


 ちっとも立ち止まってくれないアナベルの手首をつかんで、文字のとおり捕まえた格好だ。

 アナベルはその手を振りほどきはしなかったが、ゆっくりと振り返り、そっと手を外した。前髪から覗く瞳はぞっとするくらい暗かった。いや、よくみると目の縁が真っ赤だ。

 え、もしかして泣いてる?


「え……、と」


 たじろいだ。

 それはそれは怒り狂っていると思っていたのに、泣いているとは予想外だった。


「なんだよ。あのクズと一緒に勉強していればいいだろう?」


 声は泣いていない。それどころか怒りがにじんでいる。


「いや、……さすがにさっきのロキとネロはないかなーって、思って。どっちかっつーとお前の考えに賛成だって」


「へえ」


 アナベルの目はそれでも暗く、ちょっと冷たい。


「じゃあお前は貴族派だな」


「うん? まあな」


 貴族だし、そりゃ貴族派だよな。当然のことを聞かれてうなずくしかなかった。


「よかったよ。同室のお前を嫌いになるようなことにならなくて」


「俺だってお前に嫌われたくないし、喧嘩とかしたくないさ」


「そうか。じゃあ、……それでいいんだな」


「? うん」


 よろしく、と不思議と力のある笑みを浮かべながら握手を求めてきたので、その手を握った。

 つまり、これはアナベルの派閥に入ったってことかな。悪くはない選択のはずなんだけれど、ちょっとだっけ背後が怖くなったのだが、理由は分からない。




 アナベルの派閥に入ったわけだが、日々の生活は余り変わらなかった。そもそもアナベルが力を振るっているクラスとは別なので、その影響はほとんど無いに等しい。

 ユーリ達とも変わらずに仲良くできている。

 ロキとネロについては、これもあまり変わりない。


 廊下ですれ違えば、「よお」とか「はよ」というような軽い挨拶を、あっちからしてくれる。こっちも返す。気にしなくても大丈夫そうだと安心してからは、こっちからも話しかけに行っている。

 ただ勉強会には参加できていない。なんとなく、気が引けた。その代わりのように、アナベルと一緒に勉強をし始めた。

 アナベルは本当に頭が良く、とても効率的な計算などをそつなくこなすやつだった。


「へえ、ハールは化学が得意なんだな。こんな複雑な化学式、すぐに作れないよ」


「え、そ、そう?」


 褒められてすぐに気が良くなってしまうのは悪い癖かもしれない。けれど化学が得意だとは今まで感じなかったことだった。特に好きでもないし、なんなら数学のほうが好きだった。その数学ではアナベルがはるか先に進んでいて、大学入試レベルの問題をすらすら解いている。

 そのアナベルに教えてもらっているのだから、数学のレベルはどんどん上がっている実感があった。

 これなら上位十人に入ることができるんじゃないだろうか。


「な、お前の順位の点数も貴族派の得点に入れていいよな?」


 アナベルが不意に訊ねてきた。俺が首をかしげていると、


「魔導師派との勝負の点だよ。得点で勝敗が決まるわけじゃないけれどさ。ま、そもそも勝敗なんてつくものじゃないんだけれど、……こっちのほうが優秀だっていう証明をしたい」


「それに俺の順位を? あー、……どうしようかな」


 正直、荷が重い。テストで順位が付くなんて初めてのことだ。それが派閥に影響するというのは緊張する。


「今ならハールが貴族派っていうのは知られていないから、あっちもお前の順位とか点数を見てランクをつけてくることはないと思うけど、こっちの内々の点には入れておきたいんだ」


 ランク付けなんてものがあるのか。

 そして派閥の中でもランクというものがあるのか。


「内々でランクが付くと、……どうなるんだ?」


「派閥内で階級ができる。勉強だけじゃない。その人間の交友関係だとか、発言力だとか、あとは……こう言ってはなんだけど、魔法力とか?」


「貴族派でも魔法力が重要になるのか」


「表立っては威張れないけれど、魔導師派との決闘では活躍する感じだな」


「いや、……魔導師派とタイマン張れるような魔法力って、それもう貴族の域超えてるじゃん」


「まーな。実際にそんなのいないんだけど。ははは」


「ていうか、決闘とかあるのかよ」


「あるよ。しょっちゅうある」


「えー……」


「ま、お前はほかのクラスだし、一触即発の場面にはそんなにならないはずだ」


「良かったー。っていうか、魔導師派のボスってアナベルのクラスなわけか?」


「ああ。知らないのか?」


「いや、なんとなくそうだろうとは思ったけど。ネロのクラス……、が魔導師が多いはずだけど、そっちにはいないのか? 魔導師派の構成員」


「いるんじゃないか? マーライヒの信奉者は多い」


 マーライヒ。


「え? マーライヒ?」


「そう。マーライヒ。魔導師派のボスだな。シュライゼンのエリート組にして王室魔導師の家系で、魔導師としてもエリート。もう、カンバリアの魔導師の純血種みたいな奴だよ」


 え。

 マーライヒ。

 頭の中では、半裸でネロに絡む変態金髪野郎が踊っていた。

 あれが、魔導師派のボス。あの金髪変態半裸野郎が。

 王室魔導士って、田舎貴族でもその身分の高さがすぐにわかる単語だ。あの金髪クソ変態が。

 まさか。

 きっと名前が同じなだけだろう。きっと。


「ち、ちなみにマーライヒってどんなやつなんだ?」


「嫌な奴。何考えているかわかんないし」


 確かにイラつくやつだった。頭おかしそうだった。


「えっと、見た目は?」


「……、それは知らない」


「な、なんで。シュライゼンから一緒なんだよな?」


「純粋な高位魔導師の人間だからな、……いつも全身黒づくめで、顔はおろか素肌も髪も、それこそ声だって出さない」


「そうなのか……」


 じゃあきっと別人だ。いや、どう考えたって別人だ。

 あの変態クソ野郎はめちゃっくちゃしゃべるし、顔や髪や素肌を隠すどころか半裸だ。大事なところが隠れていただけでも褒められるだろう。

 全身黒づくめでしゃべらないとか、ありえない。


「え? でもじゃあどうやって学校生活送ってたんだよ。声を出さないって、教師にあてられたら答えられなくない?」


「ああ、なんか声色を替えてるんだよな。そこまでするやつってなかなかいないと思うぞ」


「でもなんでなんだろう。うちのクラスにも魔導師っぽい生徒が数人いるけど、せいぜいケープみたいな羽織りとか、手袋するくらいでそこまで徹底してないみたいだけど?」


「さあ? やつらの中でも階級でもあるんじゃないか? 貴族にはさっぱり分からない習慣だよ」


 アナベルはあまりマーライヒとやらのことを話したくないようで、その話題は終わった。

 けれど、どうしても気になる。

 まさか、あの金髪変態ホモ野郎が魔導師派のボスだったりしないよな。そんなことばかり気になって、勉強に身に入らなかった。




 なので、翌日、クラスでユーリに聞いてみた。


「なあ、もしかしてって思うけどさ、いや、あんまり想像できないんだけど、ネロの寮の同室の金髪の半裸の変態っているじゃん?」


「ああ、あれな」


 ユーリは無表情だ。


「あれって、マーライヒ?」


「ああ、そんな名前だったな」


「そのマーライヒって、シュライゼン組で、魔導師派のボス?」


「いや、俺の知っているマーライヒ・シュゼットヒルは黒いロングローブに宝石をはめ込んだ金の縁の黒い仮面と黒いベールをつけていて精霊を介してしか言葉を発しない得体のしれない高等魔導師だ」


「あ、ああ、そう」


「そうだ。そう。うん」


「うん。わかった」


 無表情のユーリは、それ以上の質問を受け付けてくれなさそうだった。ジュドーとロベルトもごくりと息を飲むほどの迫力ある無表情だった。


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