序章:勇者アスタの敗北

 白銀の闘気を身に纏いながらアスタは突貫した。


 彼の魔法は破格の効果を持つ反面。当然のことながら制約はある。悠長に話している余裕はない。この三分間がこの先の未来を左右する。


 地面が陥没するほど思い切り深く鋭く踏み込む。エーデルワイスには自分の姿が消えたように見えているはず。身の丈以上の長剣を大上段に構えながら肉薄し、彼女がようやく自分の接近に気付いた時にはもう遅い。両断すべく容赦なく剣を振り下ろした。


 獲った。そう確信した一振りは、しかし空を斬る。アスタは目を見開く。魔王の姿はどこにもない。


「中々速いけれど……残念。それじゃ私には届かないわよ?」

「―――っえ?」


 後ろから聞こえてきた声に、アスタは間抜けな声を出して反応をした。一撃で終わらせる、もしくは致命傷を与えるつもりで放った一撃はあえなくかわされて、エーデルワイスはまるで踊るようなふわりとした優雅な動きでアスタの背後に回っていた。


 華奢な細腕から繰り出される右の掌底がアスタの背中に突き刺さる。衝撃が奔り、アスタの身体は小石のように吹っ飛んだ。


「―――カハッァ!」


 ゴロン、ゴロンと地面に身体を何度も打ち付ける。どこまでも飛んでいきそうになるところを咄嗟に剣を地面に突き立てることでなんとか踏み堪える。痛みに耐えて顔を上げてエーデルワイスの姿を探すが視線の先にはいない。焦ったアスタはきょろきょろと左右を見渡す。


「どこを観ているのかしら。よそ見はダメよ?」

「―――!?」


 首を後ろに回す。腕を組んで微笑み魔王エーデルワイスがそこにいた。


「―――クソッ!」


 振り向きざまに剣で薙ぎ払うが、あろうことか魔族に対して絶対の優位性を持つ聖なる刃を魔王は三つ指で受け止めた。あまりの出来事に言葉を失いながら、アスタは必死に押し込むがビクともしない。ならばと剣を引こうとしても万力に捕まれて動かない。あの細腕のどこにそんな力があるというのか。無防備なアスタの鳩尾にエーデルワイスのつま先が突き刺さる。


「カハァッ―――!」


 剣から手が離れ、肺の空気を全て吐き出しながら再び吹き飛ぶ。魔法による強化をしているにもかかわらず、たった二度の攻防でアスタの身体にはそれなりのダメージが入った。こんなことは初めてだった。


「フフフ。大分手加減したとはいえ大してダメージは入ってないようね。さすがは勇者君。小さくても強いのね」


 そんなことありません。最初の掌底で僕の背中は思い切り反り返ったし、お腹への一撃で色々吐き出しそうになって今もズキズキと痛みを訴えてきます。もし素の状態で受けていたらきっと死んでいた。それくらいの威力があったと思います、と心の中で呟いた。


 ズサッ、とエーデルワイスが投げた剣がアスタの足元に突き刺さる。自分の命を刈り取る可能性がある武器をわざわざ投げ返してきたのは自分が絶対的強者だという魔王の驕りか。


「あら、まだ立つのね。小さいのに根性あるのね。そういう子、私は好きよ」


 魔王は艶然とした笑みを浮かべてそう言った。女性から好きと言われたことがなかったアスタは一瞬戸惑うが被りを振って剣を構えなおす。


「あなたが剣を使うなら、私も剣を使いましょう。―――来なさい、メドラウト」


 無より現れる黒赫の長剣。一目見て、それが自分の持つそれとは対をなす存在、すなわち魔剣であることがわかった。


「行くわよ、アスタ君。気を抜いたらダメよ? 少しでも気を抜けば―――」

「―――え?」


 音もなく。一瞬前まで確かにそこにいた魔王の姿が消えて。


「―――死ぬわよ?」


 気が付いた時には、くすりと嗤う魔王の声が耳元で聞こえて。彼女はそのまま通り過ぎて行く。どうして、と振り向こうとした瞬間。アスタの身体に九つの剣閃が奔る。


「カァッ……ハァッ……斬られたのか?」


 鮮血が舞い、三度膝を地面に着く。間違いなくあえてだろうが傷はどれも浅く、致命傷までには至っていない。だからと言ってこのまま戦い続けて血を流せばすぐに命の灯は消えるだろう。


「わかったかしら? あなたでは私には勝てないわ。せっかくの聖剣・・も当たらなければ意味はない。だからね、アスタ君。諦めて私の物になりなさいな」

「あきら……めない! だって僕は……勇者で……! あなたは……魔王、なんだから!」


 痛みに耐えて、剣を支えにしてアスタは立ち上がる。エーデルワイスは目を見開き、その姿に少し驚いた顔をする。ぽたぽたと地面に赤い水たまりを作りながら、しかしアスタはしっかりと両手で剣を握ってまだ戦えると彼女にアピールする。


「……その覚悟、諦めない姿勢は褒めてあげる。でもね、アスタ君。あなたに帰る場所はあるのかしら?」

「僕の……帰る…………場所?」

「だって。あなたの役目は魔王に殺されることなのだから」


 それはどういう意味ですか、とアスタが尋ねるより早く。彼の身体を足元から這い寄る黒い靄が包み込む。とても冷たいのに寒さを感じない不思議な感触。強化状態のアスタにはほとんどの魔法は効かないはずなのに、頭がくらくらして自然と瞼が落ちてきて意識を保てなくなる。


「大丈夫。私があなたを助けてあげるから。だから今は眠りなさい。小さくてとても可愛い勇者様」


 魔王エーデルワイスの声は温かくて心が安らぐものだった。


 あぁ、きっと。お母さんがいたらこんな感じなのだろう。


 柔らかい何かに抱きしめられて優しく髪を撫でられながら、アスタの意識は暗転した。

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