第8話:命がけの鬼ごっこ

 常闇の大森林。誰がそう呼び始めたかは定かではないが、気付いた時にはそう呼ばれるようになっていた、ルピナス大陸南部に広がるうっそうと生い茂るこの大森林に近づく者はおらず、一度足を踏み入れたが最後、決して生きて出ることは叶わない死の森。


 真正の闇が支配する中でただ一つ、燦然と輝く蒼い光。疾風とその身を化して木々の隙間を縫うように駆け抜けるその閃光の正体は勇者アスタ。彼は身体強化の魔法を最大限まで施してひたすらに足を動かしていた。


 この森に初めて足を踏み入れた時から感じていたことだがこの森は正しく魔境だ。最古の魔王エーデルワイスが永く暮らしていたことで彼女が無意識に垂れ流していた魔力が空気に混じり、土地が吸い、木々が成る。


 元々そこで暮らして動物たちもそれに充てられて強力な魔物へと変容を遂げており、さらにかつて流刑地にされていたことで人の死骸も無数にあり、それらが土地の魔力によって死人化し、武器を持ち、騎士となり敵を探して徘徊している。それ故に勇者だけでなく四大魔王ですら立ち入らない不可侵領域となっていた。


 だが不思議なことに。アスタは今こうして鬼ごっこのために再び森に入ったが凶悪な魔物に一度も遭遇していない。それどころか虫一匹すらも目にしていない。思い返してみれば初めてここに足を踏み入れた時もそうだった。


「ふぅ……とりあえずここまで来れば……」


 一息ついて身体強化を解除する。蒼光が消灯し、森に闇が訪れる。アスタは目を閉じて呼吸を整えながら集中を深めていく。この暗黒世界で目に頼るのは無意味かつ愚策。視覚情報をカットしてその分を聴覚と触覚に回す。


 ―――身体が癒えるまで間、何もしないで過ごすのは退屈でしょうから、お家でできることを色々レクチャーしてあげるわ。大丈夫、アスタ君は楽にしていていいからね。私が手取り足取り、懇切丁寧に教えてあげるから―――


 冗談めかして色欲にまみれた瞳で迫るエルスに戦々恐々としたアスタだったが、しかしその内容はどれも面白いものばかりだった。そのうちの一つが今アスタの行っている『魔力探知』という技だ。


 ―――いい、アスタ君。戦いは敵と遭遇する前から始まっているの。敵より早く敵の位置やその数を把握することで戦況を有利に進めることが出来る―――


 イメージするのは止水。己の中にある魔力を一切の乱れのない水紋として体外へと放出してしていく。


 それは木の葉が揺れる音、遠くで吹く風の感覚、周囲にあるもの全てを把握して捉えることができる。そしてその中に異物が紛れ込み、水面に波紋が起きた時が勝負の始まり。放出する魔力量によって探知範囲は決まり、離れれば離れるほど魔力の濃度が下がり、精度は下がるが違和感くらいなら掴むことが出来るという。


 ―――この『魔力探知』は日常的にやること。まずはこの自分の周囲。それから家の中、家の周辺、やがてはこの森全域・・・を探知できるようにするの―――


 そんなこと無茶苦茶な、とアスタは思ったがエルスの微笑みは冗談を言っている感じではなく本気だった。そして「つべこべ言わずにやりなさい」と目が訴えていたのでその域を目指さなければいけなくなった。


 ―――これを会得すれば戦闘にだって応用できるわ。相手の魔力の流れ、筋肉の動き。それらの微細な変化を把握することで次に起こすであろう挙動を掴む。極めれば未来を予測することさえ出来るわ。覚えておきなさい、アスタ君。これは勇者として必須能力よ―――


 この技のことを王城では教えてもらったことはない。これほどまでに便利な技をどうして誰も教えてくれなかったのか。アスタは疑問に思って最古の魔王先生に尋ねた。


 ―――それはね、使い手が人族にはもう誰もいないからよ。魔法や先天的な魔眼に頼りきりで技を磨こうとしない。だからこういった技術は廃れていったのよ。悲しい話ね―――


 憐れむような、貶すような、そんな様々な感情が入り混じった表情でエルスは話した。ほんのわずか、遠い過去を懐かしむような哀愁を帯びた空気をアスタは感じたが、それは敢えて口に出さなかった。


 閑話休題。


 この一週間でアスタは半径100メートルを範囲の探知が可能になった。とは言ってもその精度はエルスから言わせればとてもじゃないが実戦ではとてもじゃないが使えない拙いものだった。その一方でエルスはこうも言っていた。


 ―――広範囲はまだまだだけどごく近距離……アスタ君の剣の間合いの範囲ならギリギリ実戦で使えるかな? うん。さすが勇者ってところね―――


 アスタはさらに集中する。今自分に出来ることを全力で行う。この闇の中を蒼色の闘気を身に纏って走り続けることは可能だが、最大で十匹になるエルスが生み出した魔物の爪牙から逃げ切ることはおそらく不可能。全て倒すと宣言したが、敵が来るのを待っていたのではいたずらに傷を負うかもしれない。それは悪手。


 そこで取れる手段は一つ。後の先ではなく先手を取る。すなわち、先手必勝。


「右から……まず一匹……あとは範囲外。様子見ってことかな。なら―――!」


 身体強化を発動する。その出力をゼロの状態から一気に最大まで振り上げる。これでも相応の負かはかかるが、当面の使用を禁じられた【聖光纏いて闇を断つホーリールークスオーバーレイ】と比べればどうということはない。それにこの身体強化は魔法ではなく『魔力探知』と同じ魔力を用いた技術に近い。


 闇夜を照らす蒼光の輝きを身に纏い。アスタは背中の剣をシャラリと抜いてから、地面が割れるほどの踏み込みで矢のように標的に向けて飛び出した。


「―――!?」


 果たしてエルスの魔法により生み出された漆黒の獣が驚きと言う感情を抱くことが出来るのかは甚だ疑問ではあるが、アスタの目にはそれが確かに驚愕しているように見えた。鬼であり奇襲を仕掛ける側の自分が標的である少年から逆に奇襲を受けるとは。


「―――ハァァッ!」


 裂帛の気合を吐きながら容赦なく聖剣をその胴体に振り下ろす。手に伝わる確かな手ごたえ。上下に分断したが生物のように血が飛ぶことも悲鳴も上げることもなく、それはただ霞のように霧散した。


「まずは一匹。残りは……九匹―――!」


 仲間がやられたことでこの捕食対象がただのか弱きものではなく、主が認める強者であると認識を改める。つまりここから先は生死を賭けた生存競争。


 二匹がそれぞれ左と右から挟み込む形で急速接近してくるのを感じた。これもエルスの教えだ。戦闘が始まっても常に『魔力探知』を行うようにと。つまり、どんな時でも気を抜くなということ。それをアスタは忠実に守っていた。


「来いよ、化け物。僕が全部斬ってやる―――!」


 剣を握る手に力を込めて身構える。


 すでにそれは鬼ごっこではなく、命を懸けた殺し合いとなっていた。

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