第5話:勇者アスタの選択

 窓から差し込む光を浴びて、アスタは覚醒した。乾いた瞼をぱちくりさせてゆっくりと目を開ける。頬を触ってみると涙の痕が出来ていた。どうやら寝ながら泣いてしまったようだ。情けないと思いながらため息をつきながら、アスタは一晩中味わった極上の枕に再び顔を沈めて離すまいとぎゅっと抱きしめた。


「――――――えっ?」


 そこで初めて。アスタは今自分がどういう状況にいるのかを意識した。頭をゆっくりと上に動かしてみると、目に飛び込んできたのは絶世の美女の寝顔。長いまつげ、すっと通った鼻、すうすうと可愛らしい寝息を立てるその姿はとても無防備で、魔王ではなく絵本から飛び出してきた天使のよう。


「な……なんでこの人が僕と一緒に……っえ……しかもなんでは……裸なの?」


 アスタが極上の枕だと思ったそれは他ならぬエーデルワイスの双丘。大きいだけでなく張りのある美巨乳。同時に適度な弾力も兼ね備えている唯一無二の天然品。しかも一糸まとわぬ格好のため心地のいい体温を直接味わうことが出来る。


 エーデルワイスもまた溺愛する我が子を抱きしめて眠る母のようにアスタの小さな身体を離すまいとがっちりと抱きしめており、さらに足も巻き付けている完全密着姿勢。


 一見すれば愛し合い親子のような図であるが、しかし二人の関係は魔王と勇者。命を懸けて戦う関係だ。


「んぅ……んん……アスタ、くん? もう起きたの……? 早いのね?」


 寝起きのためか昨日聞いた凛とした様子はどこにもなく。気の抜けた声を出した。だがアスタの方はこの嬉し恥ずかしの状況と久しぶりに安心して熟睡出来たことで完全に頭が冴えている。


「ど、どうして魔王のあなたが僕と一緒のベッドに!? し、しかも! ど、ど、ど、どうして裸なんですか!?」

「えぇ……だってぇ……アスタ君、寂しそうにしてたから……ぎゅって抱きしめたくなったのぉ。そしたらアスタ君もぎゅってしてきたんだよぉ? もう……可愛いんだからぁ」


 アスタは悟った。この魔王は朝に弱い。だが寝ぼけていても魔王の力は発揮されておりこの拘束からは抜け出すことは容易ではない。必死に抜け出そうと腕に力を込めるがビクともしない。


 これが魔王の力かと戦慄していると、突然アスタは頭を抱えられて彼女の魅惑的な谷間の中に押し付けられた。しっとりと汗ばんでいる柔肌に包み込まれて齢十歳にして史上最高の感触の味を覚えてしまったアスタ少年に、悪いお姉さんは追い打ちとばかりにその可愛らしい耳元でわざとらしく吐息を吹きかけながら艶のある声で囁いた。


「私はね、寝るときは裸派なの。その方がアスタ君を直接感じることができるでしょう? それにアスタ君も……その方が嬉しいんじゃないの?」


 ふぅと甘い息を吹きかけられてアスタは電流が奔ったかのように身体をゾクゾクと震わせた。これは本当にいけないと思って全力で拘束から抜け出そうと試みる。するとエーデルワイスに両手を握られてその位置を指定される。そこがどこか目で確認することは出来ないため、恐る恐る力を入れてみる。


 それは。とても。柔らかかった。


「はぁぅ……」


 聞いたことのない嬌声がエーデルワイスから口から漏れて。アスタは驚いて思わず力を入れてしまった。


「あっ……っふぅ……んっ……」

「―――!? えっ!? えぇえぇ!!??」

「フフッ。アスタ君の……エッチ」


 アスタが触ったのは他でもない。エーデルワイスのたゆんとした双乳だった。一度触れればどこまで沈んでいき手に張り付いて離れない魔性の存在。これらの前に鋼の意思さえも紙切れ同然。誰も抗うことのできない最強の敵。


「もう……ダメじゃない、アスタ君。女性のおっぱいは敏感なんだよ? だからもっと優しく触らないと……嫌われちゃうぞ?」


 はむ、とお仕置きとばかりにエーデルワイスはアスタの耳たぶをぱくりと食べた。くすぐったさと言葉に出来ない感情が爆発してアスタは女の子のような声にならない悲鳴を上げた。そしてこんな非常事態に発揮される力は己の限界を遙かに超えていて、アスタは見事魔王の拘束から逃れることが出来た。その代わりにベッドから落ちたが。


「あらあら。大丈夫、アスタ君? ほら、こっちに戻ってきなさいな。お姉さんともっとイチャイ―――くっついて二度寝しましょう?」

「意味は変わっていませんから! というかとっくに寝起きから目覚めていますよね!? わざと僕をからかっていますよね!?」

「あら、失礼ね。からかったりなんかしてないわ。じゃなきゃ、私のモノにならないか、なんて聞いたりしないもの」


 一転して真面目な表情で言い切ったエーデルワイスにアスタは不覚にもドキリとした。この感覚は、いつも厳しく鍛錬をつけてくれた騎士団長のカトレアが不意に笑った時に胸が高鳴るのと似ていた。


「一晩立って落ちついたと思うけれど、まだ答えはでていないでしょう? アスタ君の心が決まったら教えてくれたらい―――」

「いいえ。答えは決まっています。僕はあなたのモノにはなりません」


 初めてエーデルワイスと逢った時に聞かれたときから決めていたことだ。アスタはキリッとした表情で目の前にいる妖艶な魔王の瞳を見つめる。


「そう……ならアスタ君は帰るの? 優しい言葉であなたを騙し、裏切り、あなたを殺そうとした人たちがいるあの国に」

「……帰りません。サイネリア王国に僕の居場所はきっともうないですから。まぁ……初めからあったのかも、今となっては怪しいですけどね」


 サイネリア王国ではほとんどいない銀色の髪。勇者因子を持ちながら使える魔法は時間制限付きの身体強化という欠陥魔法。十人の子供たちの中で誰よりも強かったが、多くの人からは勇者として認められず疎まれてきた。唯一自分を認めてくれたと思った国王や王女様にも裏切られた。結局、アスタのことを認め、褒めてくれたのは一人だけだった。


「あの国に……未練はほとんどありません。それでも僕は勇者です。そう言ってくれる人がいる以上。僕はあなたを……魔王エーデルワイスを野放しにしておくことはできません」

「なら、あなたはどうするの?」

「あなたはこうも言っていました。『勇者としての使命を忘れることが出来ないなら、私が鍛えてあげる』と。だから僕はあなたのそば・・にいることにします。そしていつか僕が…………あなたを斃します」


 幼い男の子ではなく、立派な男の顔をしているアスタを見てエーデルワイスは思わず息を飲むと同時にどこか懐かしい感じを覚えた。この少年が大きくなればもしかしたらあの男のようになるのではなないか。そんな淡い期待が生まれるがそれは胸の奥にしまい込み、彼女はフフっと笑う。


「……私のモノにはならないけど傍にいる、か。少し残念だけれど一緒にここで暮らすということだから良しとしましょう。いい目をしているわね、アスタ君。今のあなた、とても素敵よ」


 にこっと、天使のような微笑みを向けられて思わずアスタは顔をそむけた。きっと自分の頬は真っ赤になっている。それを視られたくなくて後ろを向く。だがそれはつまり相手に無防備な背中を晒すということであり、それを逃すほど甘い魔王ではない。


「フフッ。ねぇ、アスタ君。これから一緒に暮らすことになるわけだけど。私のことはこれから『あなた』とか『魔王』とかじゃなくて『エルス』って呼んでね。ちゃんと親しみを込めて呼ぶのよ?」


 ふわりと後ろから包み込まれた。地肌が直接身体に触れる。この生暖かい感触は気持ちいいがその分心がひどくざわつき、心臓が壊れるほどの勢いで暴れ出す。


「わかりました! わかりましたからすぐにくっつかないでくださいエルスさん! これでも僕は勇者ですよ!? わかっているんですか!?」

「もちろんよ。でも、私からしたらアスタ君はまだまだ可愛い生まれたばかりのひな鳥と同じ。これからたくさん虐め……強くなれるように鍛えてあげるからね。そしていつか―――」


 ―――私を殺してね。


 耳ともとで囁かれたこの言葉を、アスタは一生忘れないと思った。魔王でありながら魔王らしくない振る舞いを多分にするエルスの深くて昏い闇をそこに感じた。


「さぁ! 話もまとまったことだし、朝ごはんにしましょう。それとも一緒にお・ふ・ろ、にする?」


 またしてもと息を吹きかけられてアスタは飛び跳ねるようにしてエルスから離れる。自分は子供だけど勇者だと認めてもらうまでちゃんと言おうと向き合うために振り向いて、その一切の穢れのない新雪のような裸体が目に飛び込んできた。


「まずは服を着て下さ――――い!!!」


 アスタの絶叫が静かな森に朝の中に響き渡る。


 こうして、サイネリア王国の勇者アスタと最強最古の魔王エーデルワイスの奇妙な同棲生活が始まった。

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