第三話 ミス・カポネ

「ごめんくださーい」

月海は、ミス・カポネの扉を開け、元気に挨拶をした。

店内にはオルゴールの音楽が流れ、テーブルの上にところせましにびっしりと、石が置いてあった。石は、窓から入る光を浴びて、色とりどりに輝いている。大きさは、小さいものは一センチほど、大きいもので三十センチほどのものがある。エメラルドやオパール、サファイヤからダイヤモンドまで。それぞれの石の前には、その効能が書かれた小さなカードが置いてある。エメラルドは、五月の誕生石。夫婦円満、忠誠、知性と書かれている。さらに、浮気防止のために身につけることを推奨する、とも書き加えられていた。サファイヤは、九月の誕生石。集中力、直観力、カリスマ性、金運と書かれている。月海は、初めて見るたくさんのキラキラした宝石に、うっとりした。一つ一つの石を眺めては、効能が書かれたカードまでじっくり読む。ふと、奥のテーブルの端っこのほうに、月の石と書かれたグレーの石が置いてあるのを見つけた。謎めいた文字で、「古より祭儀の際に使われた石。幻想力、創造性を高める。ルナシー」と書かれている。

「月の石……これ、本当に月から来たのかしら?」

月海は思わず声に出していた。

「おやおや、月の石に惹かれたかね。珍しいお客さんだねえ」

奥の方から、サファイヤブルーのセーターを着た、おばあさんが出てきた。品の良さそうないで立ちに、琥珀色の目がまるで宝石のようなおばあさんだった。

「月の石はねえ、むかーしからこの店に置かれてるんだよ。月から地球に落ちてきたと言われてるよ」

「私、月海っていうんです。だから、よけいにこの石が気になって」

「なあに、石は直感、インスピレーションが大事なんだよ。だから、直感でこの石、と思った石があんたのお守りになるんだよ」

おばあさんはそう言って、琥珀色の目を細めてうれしそうに月海を見た。その笑顔は、月海を安心させるものがあった。

「あの、私、今日初めて魔界に来たんです。右も左もわからなくって。あかがねの森にパンを届けなくちゃいけないのに。どうしたら、あかがねの森に行けるんでしょうか?あと、魔界って現実?というか、その、まだ信じられなくて」

月海はせきを切ったように、不安な気持ちを打ち明けた。

「おや、まあ。今日が初めての魔界かい?あんたそう言えば、月海って言ったねえ。ということは、天野月海ちゃん?パン屋のおかみさんどこの」

「そ、そうです。なんで知ってるんですか?」

「まあまあ、そう焦らずに。ここへ座んなさい」

おばあさんはそう言って、店内の奥の赤いテーブルと椅子のあるところへ、月海を招き入れた。

「ちょっと待っててね。黄金色のお茶をもってくるから」

そう言ってすだれをくぐって店の奥へ行ったかと思うと、すぐにティーカップに温かいお茶を入れてもってきた。お茶には、きらめく黄金色の粉がふりかけてあった。麦茶を甘くしたような、不思議な、でもどこか安心させるような味がした。お茶から湯気が立つと、それはキリンの形を成した。次にゾウ。そして、オラウータン。

「湯気が…動物園みたい」

「魔法じゃよ」そう言って、おばあさんはにっこりとした。

「どこから始めようかねえ。そうだ、まだ名前を言っていなかったね。私は、カポネ。みんなからは、ミス・カポネと呼ばれてるんだよ。この店のオーナーでもある」

「こんにちは、ミス・カポネ。私は月海といいます。天野月海」

月海は、つい身を乗り出して挨拶をした。

「あんた十三歳になったかね?」

「はい、先週。七月二十八日が誕生日でした」

「なーるほどね」

ミス・カポネは、黄金色のお茶を一口すすった。

「ここには、十三歳になってからくることができるんじゃ。それは知ってるかね?」

「はい、黒紅の通りは十三歳になってからじゃないと行っちゃいけないって」

「そう。それは、魔女に会えるのが十三歳からと決まっているからなんじゃよ」

「魔女に、会う……?」

「黒紅の通りに来たからといって、みんながみんな魔界に来れるとは限らない。あんた、魔界に来る時に、不思議をつくる店を通ったかい?」

「あの、不思議について語ってくれたおじいさんのお店?」

「そう、あの風変わりなじいさんの店じゃ。あそこに行けるということは、あんたが魔女の血を引いてるってことだ。大抵の人は、黒紅の通りに来たからと言って、あの店にたどり着くことはできないんだよ」

「私が……魔女?」

「そう、あんたのお母さんもおばあさんも、そのまたお母さんも、魔女」

「ええ、そんなの私、聞いたことない」

「あんたんとこのお母さんは、人間界で生きることを決めたんじゃよ。だから、自分の娘にも、魔女であることを言えなかったんじゃ。何故なら、人間界に住んでいる場合、13歳になる前に魔女であることを話すのは、禁忌にあたるから」

月海の混乱を、優しく諭すように、ミス・カポネはゆっくりと話を進める。

「魔女というのは、十三歳になったら、人間として生きるか、魔女として生きるか、決めなくちゃいけないんだ。だから、お母さんはあんたをここに送り出した」

「じゃあ、私は、今魔女であることを知ったばっかりなのに、人間として生きるか、魔女として生きるか、決めなくちゃいけないの?そんなの無理……」

月海は、混乱する頭から言葉をふりしぼるかのように、ミス・カポネにたたみかけた。

「なあに、あと一年ある。十四歳になるまでに決めれば良いんよ。人間界で生きる魔女の子供は、みんなそうやって決めている」

「みんな十三歳になってから魔界にやってきて、十四歳になるまでに、その決断をするの?」

「そうじゃよ。それがここのしきたりじゃ。私はそういう子をここで、ごまんと見ている」

月海はそれを聞いてなんだか安心した。他の魔女の子供たちにも会ってみたい気がする。

「じゃあ、あかがねの森は?このパンのお届け先は、本当は誰なの?」

「あんたのおばあちゃんが待ってるよ」

「おばあちゃん……?」

「そう、あんたのおばあちゃんは、魔界で生きることを選んだんだよ」

「お母さんは、おばあちゃんはいないって」

「それは言えないさあ。おばあちゃんが魔界に住んでるなんて。だから、いないって言わざるをえなかったんだよ。わかっておやり」

月海の長いまつげに、涙がポタリと落ちた。

「おばあちゃん、生きてたんだあ……。ヒック。私、一度も会ったことないのよ」

「かわいそうだったねえ」

ミス・カポネは、月海の突然の涙に、少し困惑し、それと同時に心から同情しているようだ。

「今日は色々あったからね。突然魔界に来て、びっくりしたでしょう。引き返しても良いんだよ。おばあちゃんは急いじゃいない。パンのお届けはまた今度でも良いんだよ」

月海は涙を拭い、「今日、行く」とだけ答えた。

「おばあちゃんは、どんな人なの?ねえ、教えて」

「そりゃあ、愉快で優しい人だよ、あんたのおばあちゃんは。私らは、大親友なんだ」

そう言って、ミス・カポネは歯を見せて笑顔になった。

「本当?!ミス・カポネ、おばあちゃんと大親友なの!いつから?」

「むかーしむかし。あんたが生まれるずっと前からだよ」

「すてき!ああ、早く魔女のおばあちゃんに会いたいわ」

月海は、胸にしっかりと抱いていたパンが入った袋を、ぎゅっと抱きしめた。

「ミス・カポネ、いろいろ教えてくれてありがとう。ママがずっと言えなかったことも、教えてくれたわね」

「お母さんも、本当はあんたにいろいろ話したかったでしょうに。でも、魔界の禁忌を侵すわけにはいかないんだよ。わかってやっておくれ」

「ええ、もちろん」

そう言って、月海は、にっこりと笑顔になった。もう涙は乾いてしまった。目も赤くない。

「で、あかがねの森は?どうやって行くの?」

「そうじゃ。それは、ちょいと鏡の前に立つてもらわなきゃいかん」

「鏡……?」

月海は不思議そうに、ミス・カポネを見つめる。

「そう、ちょっと奥に来てくれんかね」

そう言って、ミス・カポネは、さっき黄金色のお茶を運んできた、すだれの中へ月海を招き入れた。すだれを入って奥へ進むと、そこは大小さまざまな茶色いタンスが置かれた部屋になっていた。タンスは重そうで、がっしりしている。そして、あるタンスとタンスのすきまに、大きな鏡がかかっていた。と、そこへ、ト音記号がぷかぷかと浮かんでいるのが見えた。その隣には、不思議をつくるお店で見た√も浮かんでいる!もしかして!これは、動物……?

その瞬間に、√は黒猫に、ト音記号ははりねずみに変貌を遂げていた。はりねずみは、ミス・カポネの手に抱かれている。

「あんたに着いて行きたいってよ」

ミス・カポネが、はりねずみを月海に差し出した。

「動物の話がわかるの?」

「ああ、わかるとも。あんたもそのうち、わかるようになるよ」

月海は大切そうにはりねずみを受け取った。

「これも、持っていき。お守りだよ」

ミス・カポネはそう言って、月の石を一つ差し出した。

「でも私、お代は払えません」

月海が断ろうとすると、「いいんだよ。魔界にきたお祝いだと思って、受け取りなさい」

そう言って、ミス・カポネは、月の石を月海の右手に握らせた。

「ミス・カポネ、本当にいろいろありがとう」

月海は、彼女の優しさに、きちんとお礼を伝えた。

「あかがねの森にはね、この鏡の前に立って、左手の人差し指を鏡にあてるんだよ。ゆっくり深呼吸しながらね。そうしたら、鏡を越えて、あかがねの森までひとっ飛びさ」

「うん、やってみる……」

月海は、心配そうにそう答えた。鏡のなかに入るなんて、おとぎ話みたいだけど、痛くないのかしら?そんなことが頭をよぎったが、魔界で起きる出来事が、自分にひどいことをするとは思えなかった。

「行ってきます」

月海は、月の石とはりねずみを右手に、左手で鏡をさわるために、人差し指をつきだして鏡の前に立った。

一、二、三……人差し指を鏡にあてた。ぐわん、ぐわん。耳元で、時空がゆがむ音が聞こえた。

「楽しんでくるのよー!」という、ミス・カポネの声が遠くに聞こえる。

あたりが真っ暗になった。と、その瞬間、まばゆい光に包まれたかと思うと、月海はあかがねの森に降り立っていた。鏡のなかに入ることは、痛くもかゆくもなかった。











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