第10章 次界へ自戒

第46話

 ぼんやりとした時間が過ぎた。


 リィルとは相変わらず会話ができないままで、意思の疎通を行う重要さが身に染みて分かるようになった。人間は言葉を使って相手と情報を共有するけれど、この情報の共有こそが、人間が人間らしく生きていく糧となるのだ、と思う。反対に言えば、情報を共有しなければ人間とはいえない。もちろん、人間以外の動物も様々な形で情報の共有をしているけれど、人間のそれはより高次なもので、ほかの生き物には真似できないような気がしてならない。しかし、人間を模倣して作られたウッドクロックにはそれができる。僕もウッドクロックだから、本当は、人間のことなんて何一つ分からない。リィルも今まで同じことを考えてきたのかと思うと、少しだけ胸が苦しくなって、自然と涙が零れてしまいそうになった(この表現は多少誇張している)。


 窓を開けて、空を見上げながら、自分とはなんだろう、と考えることがよくある。ルルと出会うまではなかったことだから、彼女が僕に伝えた情報に原因があることは間違いない。それは、きっと、僕がウッドクロックであるという事実だろう。僕は、今まで、自分が人間か否か、なんてことは気にも留めないで生きてきたから、自分が何者であろうとどうでも良いと思っていた。けれど、それは違った。僕は間違いなく自分が人間であることを望んでいた。無意識にそんなふうに悟って、いつしかそれが思い込みとなり、人間であるに違いない、と考えるようになっていたのである。ウッドクロックか、人間かなんて、本来ならどうでも良い問題なのに、自分が人間ではないことが判明した途端、こうも僕は自分を見失ってしまう。もしかすると、それはほかの人にも同じことがいえるかもしれない。意思が強そうに見える人はいても、本当に意思の強い人なんてどこにも存在しないのだ。


 それでも、リィルが傍にいてくれることで、僕はなんとか精神を安定した状態で保つことができている。僕と彼女が同じ種類の生き物であることが分かったから、より一層安心感が増した、というのもあるかもしれない。こういうのを親近感と呼ぶのだろう。


 でも……。


 やはり、それ以上に、自分には彼女がいてほしい、と思う。僕は一人では生きていけない。そういった点では、僕は限りなく人間らしいといえる。リィルが心の底から僕を求めてくれているのか、それを確認する手立てはないけれど、今のところ、僕は、彼女も同じように考えてくれていると信じていた。


 そう、信じる。


 それしかない。


 僕が人間ではないとしても、自分は自分として存在していて良いのだ、と信じるしかない。


 それだけしか……。


 ルルに出会って暫くしてから、僕は一人でベソゥに会いに行った。彼の様子はいたっていつも通りで、僕にも気さくな様子で対応してくれた。それはあくまで様子だから、彼の心境がどういう状態なのかは分からない。彼は一度自殺しようとしているから、もしかすると、何か思い詰めていることがあるのかもしれないが、それが何なのか、それも、僕には分からないままだった。


 彼が管理しているブルースカイシステムに関しては、その後判明したことがいくつかある。まず第一に、ブルースカイ自体に情報を記録する能力はない、ということが分かった。これは驚くべきことだったけれど、ブルースカイが対象としている守備範囲はとても広いから、それを見越して、クラウド上にすべてのデータが保存されるように設計されていたみたいである。クラウド上に保存されているデータは、トラブルメーカーに務める職員にしか確認することができない。だから、ベソゥがどのようにして自殺をしようと決意したのか、それを僕が確かめることはできそうになかった。そして、もう一つは、ブルースカイは、ベソゥの身に何か異変が起きた場合に、トラブルメーカーに通知を送る機能が備わっている、ということも判明した。しかし、そうすると、彼が自殺を決行した際に何の通知も成されなかったのがおかしいことになる。この点については今のところは不明だった。なお、これら二つの情報は、ルルがリィルのウッドクロックに残した情報から明らかになったことで、今現在それを知っているのは僕とリィルの二人だけだった。


 ベソゥが管理する施設を訪問したとき、僕は彼にこう質問した。


「君は、どうして生きているの?」


 僕の質問を受けたベソゥは、特に怪訝そうな素振りも見せずに、いつものように不気味な笑顔を浮かべてこう答えた。


「生まれてしまったから」


 僕には、彼がそのように答えた真意を掴み取ることはできない。それでも、その考え方は、真の意味で素晴らしいと感じる。なぜなら、そう考えてさえいれば、自ら死に向かう道筋を自動的に断つことができるからだ。だから、彼にはもう自殺をしようとする意思はまったくないのだろう、と僕は思った。自分が過去にしたことを覚えていないというのが、良いことなのか、悪いことなのか、それについてはなんともいえない。けれど、少なくとも、自殺をするのは良いことではない。理由も根拠も何もなしに、彼の笑った顔を見て、僕は自然とそんなふうに思うことができた。

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