第7章 総体か相対

第31話

 リィルと生活し始めてから三ヶ月が経った。当然ながら、この間に僕とリィルは段々と新しい生活スタイルに慣れていったし、家での役割分担も自然と決まっていった。僕は文章を書くごく簡単な仕事をしているだけなので、基本的にリィルを置いて家を留守にすることはない。だから、洗濯物をしたり、食事を作ったり、ということは、僕とリィルで分担して行うことになった。女性が家事全般を担当するというのはもはや古い習わしで、そんな慣習に従う意味もなければ、反対に、男性が必ず金銭を稼がなくてはならないわけでもない。多種多様な規定が存在する現代だけれど、それらのほとんどは全然合理的ではないし、そうするだけの根拠と理由に欠けている。だから、少しでもそれがおかしいと感じるのであれば、個人的に新たな規定を設けてしまえば良い。僕がリィルのようなウッドクロックと生活しているのも、一般的ではないといえば一般的ではない。そもそも、彼女以外のウッドクロックは今のところ存在しないことになっているし、そんなスペシャルな彼女と一緒に生活している僕も、世間から見れば、スペシャルな人間として判断されるのかもしれなかった。


 今のところ、と断ったのには理由がある。


 それは、僕の友人であるベソゥが、ウッドクロックである可能性が高いからだ。


 そのベソゥが務める施設に関することだが、つい先日、彼の管理するブルースカイシステムがとある事件の解決に貢献した、といった内容のニュースを耳にした。もちろん、彼の名前とか、ブルースカイとか、そういった具体的な内容が公開されたわけではない。事件の内容も比較的平和なもので、しかも、その報道というのは、この街の中で起きたことを取り扱うごく小規模なものだったから、そんなに素晴らしい活躍をしたとはお世辞にもいえない。けれど、僕には、それでも、なんとなく、彼がその事件に関わっていることが分かった。雰囲気というか、彼にしか解決できないような、そんな感じがニュースからひしひしと伝わってきたのである。ベソゥ本人に確認をとったわけではないけれど、おそらく、僕の考えている通りで間違いないだろう。


 そして、今日。


 いつも通りの時刻に目を覚ました僕は、リィルを連れて、近所の森林公園まで散歩に来ていた。


 まだ早朝といっても良い時間帯だから、辺りには僕たち以外に人の姿は見られない。見渡す限り草原と森林が広がっているだけで、とても開放感のある公園である。都市部の一角に、しかも僕の家からほど近い場所に、こんな素敵な場所があることを知っていたから、前々からリィルと一緒に来てみたいな、と思っていた。その願いがやっと実現したのだ。別に、願いとか、祈りとか、そんな大層なものではないけれど、こんなふうに何か一つでも目標を達成すると、それなりに清々しく感じる。しかし、来たいと思いながらもなかなか足を運ばなかったのは、それほど心の底から望んでいたのではなかったからかもしれない、といった悲観的な推測が僕の中に少しの間存在していた。


 でも、それは、本当に少しの間だったから、僕はその推測を無視して、リィルとの散歩を楽しんだ。


「風が、少し寒い」土が剥き出しになった小道を歩きながら、僕は言った。リィルは僕の左隣に並んで歩いている。「コートを着てくればよかったかな」


「うん、たしかに、もうすぐ春というのには、気温が低い、と感じる」


「君は、今、楽しい?」


「楽しいよ、それなりに」


「それなり、というのは?」


「家の中で散歩をするよりは、外で散歩をした方が楽しいね、ということだよ」


「家で散歩をしているの?」


「いや、してないけど」


「じゃあ、意味が分からない比較だなあ」僕は笑った。「君さ、ときどき、そういう訳の分からないことを言うけど、それが、また、いい持ち味になっていると思うよ」


「うん、それは、自分でもそう思った」


「なんだ、今日は随分と積極的じゃないか」


「そう?」リィルは首を傾げる。


「そうだよ。でも、そういう方がいいよ。君は、なんていうのか……、ちょっと、僕に優しすぎるから」


「そうかな……。自分では全然そんなつもりはないけど」


「自覚があったら、それは優しさじゃないよ。自己満足というんだ」


「へえ……」


「今度は、随分と、気のない返事だね」


「ウッドクロックだから、気、というものは、もともと存在しないんだよ」


「そんなことないんじゃないかな」


「あ、でもさ、好き、という感情が存在するということは、それも、やっぱり、自己満足の裏返しなんじゃない?」


「それ、どういうこと?」


「ごめん」リィルは謝った。「口から出任せを言った」


 僕は、彼女の返答がなんだか面白かったので、そのまま素直に感情を表に出して、笑った。

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