三、ある晩秋の切望①

 その日光司郎は、上質の粘土と格闘していた。

 開け放った戸から差し込む光が、なめらかな粘土の表面をやわらかく浮き彫りにする。

 息を止め、瞬きすら忘れてしまうほど集中し、湿らせた指で曲線を撫でた。丸い粘土の塊に、異様なほど生々しい幼い顔が生まれる。


 顔を作っていた。何度も撫でつけた後、ひとまず遠目で確認する。

 まだまだだ。そうして、また何度も粘土に向かう。


「粘土とは珍しいですね。いつもは木ですが、今回は陶器の人形なのですか?」


 蝉丸の柔らかな声が木漏れ日のように落ちた。

 光司郎は、へらで小鼻の膨らみと鼻筋を調節してから、ようやく蝉丸に振り向いてやった


「そうさ。依頼者はかなりの贅沢者ときている。いつもの人形ではきっと飽き足らないだろうからね。全く面倒な依頼者だよ」


 気持ちの良い日向の裏庭に広げられたむしろには、幾つもの粘土細工が干されていた。様々な形のものが、それぞれ複数ずつ揃えられている。


「同じ人形をいくつも作るのですか?」

「いいや、一人分だけさ」


 光司郎は肩をすくめてみせた。


「あれだけ作っても、実際に使えるものはほんの少しだ。陶器の部品は焼き上がりの大きさがまばらになるから、いくつも同じ部品を作っておかないと、特に関節では噛みあうものが見つからないんだよ。加えて表面を滑らかにしたり白い肌にするのにも知恵がいる。とんでもない手間と時間がかかるのさ」


 光司郎は振り返って、へらをくるりと蝉丸に向けた。


「お前の身体を作るのも随分と苦労したよ。だから陶器の人形はお前と逆髪しか作っていないのさ」

「それは……大変なお手間をかけていただき、どのようにお礼申し上げればよいのか」


 律義に正座などして頭を下げた蝉丸に、光司郎は「フン」と不機嫌に鼻を鳴らした。


「衝撃に弱い陶器が生活に耐えうるか、お前たちで試させてもらっているだけだよ」

「左様でしたか」


 そう言って顔を上げた蝉丸に満足すると、光司郎は粘土に目を落とした。


「確かに陶器は衝撃には弱い。けれどお前たちを見ていると、やっぱり木より陶器の方が実用的なんじゃないかと思ってね。特に逆髪は火の周りの仕事をしてもらっているだろう。木ではああはいかない。すぐに煤だらけになって脆くなってしまう。人間と同じように生活させるとなると、材質にも気を使わなければね。それに今回の依頼主は太閤殿下ときている。どこかひとつでもお気に召さないところがあれば、私の命はないらしいよ。困ったものだね」


 鼻で笑ってやった。


 いくつもあるへらの中から一番細いものを選んで、また粘土細工に戻った。

 口元はとても気を使う。その形が少しずれただけでも、表情ががらりと変わってしまうのだ。

 へらと指先を巧みに使い、光司郎は目の大きな無垢な少女の顔を仕上げにかかった。


「光司郎様」

「話は終わったよ。それとも、今日はお喋りでもしたい気分なのかい?」


 作業をしながら片手間に言うと、蝉丸はためらいがちに続けた。


「いえ……」

「なんだい、言ってみな」


 歯切れが悪いので手を止めて促すと、ようやくおずおずと切り出した。


「これは人形師と名乗る光司郎様にはおかしな質問かもしれませんが、何ゆえ魂を人形に入れるのですか? 光司郎様でしたら、人形以外のものに入れることも容易いでしょう」


 光司郎はたまらずに大きく笑ってしまった。


「お前はそこいらで死んでいる野犬の体が欲しかったのかい?」

「滅相もございません。この体を作っていただき、どのように恩をお返しすれば良いのか悩むほどです」


 それに自嘲気味に吐息し、作業に戻った。


「お前は私を買いかぶりすぎだ。もっと好きに生きていいんだよ」


 背後の蝉丸は、少し黙る。


「どうかお体に障らぬよう、無理だけはなさらないでください」


 光司郎が無言のまま集中した様子を見せると、物言いたげにしていた蝉丸も、ようやくその場から消えた。


 しばらくそうして人形作りに没頭していると、いつの間にか日の位置が代わり、手元が陰り始めた。

 やれやれ場所を移動せねばと腰を上げると、急に表の戸口が騒がしくなった。


「なんだい、こんな時に」


 蝉丸が対応している様子だが、なかなか抑えきれないようであった。

 光司郎は重苦しいため息を吐きだして、表に向かった。


「客人かい?」


 なにやらもめている戸口に顔を出すと、蝉丸に抑えられていた男が飛び出してきた。


「あなたが宮江光司郎様か!」


 切迫した様子の男が、今にも飛びかかってきそうな勢いで言ってきた。それを蝉丸が咄嗟に押える。

 男の様子に面倒なものを見つけて、光司郎は苦々しく答えた。


「そうだけど。何か用でも?」

「あなたが、あなたが神の手を持つ人形師か!」


 そう問うてきた男の身なりは、お世辞にも良いものではなかった。

 体は土と煤で汚れ、着物も同じように真っ黒だ。あったはずの柄はかろうじて見えるが、全て泥色になっている。


 御屋形様お抱えの人形師である自分の噂を、このような男がどこから仕入れてきたのか。光司郎はそれに少しばかり興味がそそられた。


「へえ。よく私のことを知っているみたいだね。どこからその噂を仕入れてきたんだい?」

「実は今でも信じられねえが……。十年も前に聞いた、魂を操る人間がいるという噂をたどってきたんだ」


 気に障った。昔のことは、思い出したくなかった。


「蝉丸。帰ってもらいな!」

「そ、そんな! 一生懸命探して、やっとここにたどり着いたんだ! せめて話だけでも聞いてくれんか!」


 蝉丸に押しやられても、男は暴れて訴え続けた。


「魂を、魂を留めてほしいんだ! 俺の子供の魂を!」

「うるさいね。私は人形師だ。人形の依頼なら受けるけれど、それ以外は受けないことにしているんだよ。残念だね」


 冷たく突き放したが、男は引かなかった。


「息子が死にそうなんだ! 医者にはもう無理だと言われたんだが、あんたなら何とかできるんだろう! やっと生まれた子供なんだ! お願いだ、助けてくんなせい!」


 その言葉に、光司郎はしばし考えを巡らせた。

 この男は魂を奪い与える自分の力を使って、どのような方法で救いを求めているのだろうか。


「蝉丸」


 戸口を無理やり閉めようとしていた蝉丸が振り向く。


「上げてやりな。話を聞くよ」


 男の感謝の言葉も聞かず、光司郎は屋敷の奥へ進んだ。


◆ ◇ ◆


「俺の息子は、もう虫の息なんでさ……」


 男は俯いた目に涙をためて切り出した。


 光司郎と男は、畳敷きの客間で向かい合っていた。

 男は自分の身なりと釣り合わない部屋に身を小さくしていたが、光司郎が話を促すと嗚咽をもらし始めた。


 いつも通り、蝉丸も同席していた。光司郎の後ろに控えている。逆髪には離れの自分の部屋に隠れるよう言いつけていた。

 死にそうな子供の代わりに、逆髪のような人形を作れと言われては面倒だからだ。蝉丸は顔も体も黒装束で隠しているので、いくらかごまかせる。


「生まれた時からおかしいと思っとったんです。全然体は動かねえし、手足に力が全く入らねえ。このまま動けなくなって死んじまいそうで……。でも俺たちにはどうすることもできねえんです!」


 涙で訴える男に、光司郎はため息をついた。


「少し勘違いしているかもしれないから言うけれど、私は人の寿命を延ばすだとか病を治すだなんてことはできないんだよ」

「でも魂を操ることができると聞きやした」


 男はずいと前に出た。


「魂を操ることができるんなら、その力で息子を救ってほしいんです!」

「あんたね、それを寿命を延ばすと言うんだよ」


 光司郎は呆れたが、納得させるために根気強く続けた。


「命尽きる者の魂をそこに留めておくことはできない。死は自然の流れだ。私ができるのは、命尽きようとする者の魂を無理矢理奪うってことだけだ。つまり死期を早めることしかできない。あんたの望みとは正反対だ」

「でもあんたは、生きた人形を作るんだろう。そんなにすごい神の手を持っているなら、息子を生かすことだってできるはずだ!」


 一方的な物言いに不快になったが、あることを思いついて言ってみた。


「何も考えずに来たんだね。まあ、あんたの息子の魂を生かす方法は、あると言えばあるよ」


 光司郎はそっけなく言った。


「ど、どんな方法なんだ!」

「それはあんたの考え方にもよるのだけど。ところで、子供の容態はどのような具合なんだい? 今すぐにでも死にそうなのかい?」


 男は勢いをなくし、体を縮めて消えそうな声で言った。


「今はもうお乳をくわえることすらできねえ。赤ん坊なのに痩せ細って、見るからにいつ死んでもおかしくねえ有様だ……。だから必死に宮江様の噂をかきあつめて、今日やっとたどり着いたんだ」


 膝にのせている男の手は、ぎゅっと握られた。


「なるほどね。それで、あんたはその子が苦しんでいるように見えるかい?」

「そりゃあそうだ! 本当は腹いっぱいお乳を飲みたいにちげえねえ!」


 必死に訴える男に、光司郎はにんまりと笑いかけた。


「その苦しみから救ってやりたいとは思うかい?」

「ああ、できるものなら!」


 男は即答する。


 光司郎は、まるで物の怪が人間を惑わす時のように、男に囁いた。


「私は、その苦しみを奪い去ることはできる。あんたの子供自身を代償にしてね」


 男は眉を寄せて、ごくりと喉を鳴らした。


「意味がよくわからねえ。俺にもわかるよう説明してもらえんか」


 光司郎は目を細め、獲物を罠へ甘く誘った。


「子供の魂をいったん体から離すんだ。つまり、一度死んでもらう。それからすぐにその魂を、人形に宿す。そうすれば、体の苦しみからは解放され――」

「人形は駄目だ!」


 男は叫んだ。

 光司郎は男の反論に眉を吊り上げた。


「だったらどうしてほしいって言うんだい!」

「死んで体から離れた魂を、もう一度息子の体に戻すことはできんのですか」


 光司郎は不愉快さを、改めて表情と態度で見せ付けた。荒々しく語気を強めて言ってやる。


「死者を蘇らそうっていうのかい? なるほど、あんたは息子の肉体も魂も両方手放したくないと望むのか。なんて自分本位で素直な欲望だろうね。これだから理性を欠く人間は面倒なんだ。人間は人間らしく、理性で死を受け止めるべきだ」

「あんたは大切な者を亡くしたことがないのか!」


 悲しみとも苦しみとも取れる複雑な顔の男を、光司郎は鼻で笑った。


「当たり前さ。だからこんなことが言えるんじゃないか」


 光司郎は立ち上がる。


「蝉丸。出かける準備だ。この男の家まで行くよ」


 男は怪訝な顔で、光司郎を見上げた。

 光司郎は冷笑を湛えて男を見下ろす。


「あんたの意図は分かったよ。体から離れてゆく息子の魂を、もう一度強力に宿らせてみよう」


 ぱっと男の顔が明るくなった。


「しかしね、これはとても難しい作業になる。うまくいけば元気に体も動くかもしれないけれど、失敗する可能性の方が高い。失敗すれば、死よりも恐ろしい結末が待っているかもしれない。たとえ成功したとしても寿命はたいして延びないかもしれないよ。私は絶対お勧めはしないね。それでもいいのなら、これからあんたの家まで行こうと思うのだけど?」

「無事に成功したら、元気になるのか!」


 蝉丸が持ってきた荷と笠を受取り、光司郎は男を見下ろして面白そうに口の端を歪めた。


「さあ。難しい試行錯誤に失敗はつきものだからね。その危険性には承諾してもらえるかな?」

「やってみねえとわからねえなら、やってみるしかねえ。おねげえします!」


 その答えに、光司郎は目を細めた。


「承知した。その依頼、承ろう」

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