第48話リオン①

「はぁ。手を出してしまった」


 俺はスヤスヤと隣で眠るアリアを見て小さくため息を付いた。

 明らかに昨日のアリアの様子はおかしかった。いつかは彼女とそういう関係になりたいと思っていたとはいえ、媚薬花の効果で性的興奮をしている時に近いものがあったアリアを抱いてしまってよかったのだろうか。

 そんな状態の女の子を抱くだなんて人によっては俺のことを非難するかもしれない。でも言い訳をさせてほしい。大好きな女の子にあんなこと言われて我慢できる男はいるのか?

 無理だろ?我慢できるはずがない。魅了なんて関係なく俺は初めて会った時からずっと好きだったんだから。




 ―――




 俺がアリアと出会ったのは今から約5年前。

 当時俺は毎日虐待される日々だった。いいように働かされ、気に食わないことがあればすぐにムチを振るう男にいつもビクビクとしていなければいけない日々。

 俺はすっかり心が折れてしまっていた。良いことなんて何もないけど、死ぬのは怖いから生きてるってだけだった。

 そんな地獄の日々から助けてくれたのがアリアだった。


 アリアは傷だらけで薄汚れている俺にためらいなく触れて傷を癒やしてくれた。癒やしという奇跡の力を見た俺はアリアのことを女神様かその使いだと思った。

 暗い闇に覆われていた俺の心の中に一筋の光が指した。

 女神様が俺のことを応援してくれているんだ。また明日から頑張って生きていこう。そしていつかここから逃げ出して、女神様にあの時はありがとうってお礼を言いに行こう。


 地獄から抜け出すチャンスは思っているより早く訪れた。翌日に女神様が助けに来てくれたのだ。

 女神様は自分の手を汚してまで俺を助け出す選択をしてくれた。臆病な俺は事の成り行きをただ呆然と見ていることしか出来なかった。

 養父のパットが息絶えた後、泣きじゃくる彼女を見て自分が情けなくなった。彼女は女神様なんかではなく一人の女の子でもあるいうことを思い知った。

 そしてラウルさんから色々とアリアのことを聞いた俺は決心した。彼女を守る騎士になるのだと。




 翌日からアリアにドキドキさせられる旅が始まった。

 俺はまともに女の子と会話したことすらなかったので、落ち込むアリアを元気づけるために手を繋いでいるだけでドッキドキだった。

 それに加えてアリアは俺の目の色が好きなようでジッと見つめてくることがあった。彼女に見つめられていると心臓が破裂するんじゃないかってくらい高鳴った。

 そんなうぶな俺にとってはアリアに抱きしめられて眠るのは大変なことだった。慣れないうちは体が休まるどころかドキドキして目が冴えてしまっていたほどだ。

 俺はドキドキを必死に抑えようとした。何故ならばこのドキドキの正体は恋だから。俺は初めて会った時から彼女の可愛さと優しさに惚れてしまっていたんだ。

 でもお姫様を守る騎士がお姫様を好きになっちゃ駄目だ。そんな風に自分に言い聞かせ、ドキドキを抑えようとした。


 しかし俺はすぐにその考えを捨てた。そうアリアに舐められた瞬間に。

 舐めるいう行為は思いが一方通行ならば変態的な行為にもなりうるが、親愛の最上級にもなりうる行為だ。

 アリアは無意識で舐めたみたいなことを言っていたけど、たとえ無意識でも嫌いな人間を舐めることはないはず。

 格好良いところなんか一回も見せていない俺の好感度が高い理由はわからない。わからないけど大好きなアリアに舐められた俺は好きという気持ちを抑えることは出来なくなった。


 将来この娘をお嫁さんにする!この時俺の人生の目標が決まった。




 ウルマにたどり着くと食べたものを吐いてしまうほどの厳しい基礎トレーニングが始まった。優しかったラウルさんが鬼のように見えた。

 しかし気力が満ち満ちていた俺は一月半でノルマをすべてクリアした。

 俺は早く強くて頼りになる男にならないといけないんだ。そしてアリアの夫になりたいんだ。こんなところで足踏みなどしていられない。


 カナバルへと向かう別れの日。久しぶりに会ったアリアは少しやつれたように見えた。けど相変わらず可愛かった。

 これからまたしばらくは会えないのか。そう思うと寂しさが心の底から溢れ出てきた。気づけば俺は無理やり理由をつけてアリアにキスをしていた。

 アリアは驚いた顔で少しの間固まっていたため嫌われたのではないかと内心焦ったが、頑張ってと俺のことを応援してくれた。

 その言葉を聞いた俺はどんな辛いことでも乗り越えて早く彼女と再会しようと決意した。


 カナバルに着くと剣術修行が始まった。

 剣術修行と言えば格好良く乱取りをするものだと思っていたが、命じられたことは木刀を使ったただの素振りだった。

 一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月、来る日も来る日も素振りをするだけの日々。早く強くなってアリアと再会したいと思っていた俺は我慢ならず、早く素振り以外のこともしたいとラウルさんに直訴した。

 するとラウルさんはニヤリと笑うと「俺に一太刀でも浴びせることが出来ればいいぞ」と言い、素手のまま「さあ来い」と挑発してきた。

 そんなラウルさんの態度に俺は少しカチンときて本気で斬りかかった。


「はあぁぁぁ!!」

「おいおい、そんな虫が止まりそうな剣じゃ当たらないぞ」

「くっ」


 しかしどれだけ木刀を振っても一太刀浴びせるどころか一向にかすりもしなかった。次第に息の上がった俺は、型が完全に崩れて素人と同じようにただ振り回すだけの無様な姿を晒すことになった。

 そんな俺に対しラウルさんはげんこつをお見舞いすると「残念。明日からも素振りだ」と言い残しその場から立ち去った。


 俺は常人なら一年程度かかる基礎トレーニングを一月半でクリアして、凄い才能のある子だとか言われて調子に乗っていた。その伸びた鼻っ柱を見事に叩き折られた。

 ラウルさんは日頃から自分は才能もないし、修行したのが大人になってからだから弱いと言っていた。攻撃力に限ればアリアにすら及ばないとも。

 守るどころか俺はアリアよりも弱い。その事実を突きつけられた気がした。この日俺は人生で初めて悔し涙を流した。


 次の日から俺は心を入れ替えた。

 これまでは素振り中にアリアに会いたいだとか、地味な素振りではなく早く格好良く魔物を討伐するための訓練がしたいなどと思ったり邪念混じりで振っていた。

 俺はそんな邪念を捨て去り、一振り一振り全神経を集中させて無心で素振りをするように心がけるようになった。最初の一年は結局、素振りと打ち込み稽古だけで終わった。




 修行二年目になると乱取りが始まった。俺はラウルさんと師範代に容赦なくボコボコにされた。


「ぐっ。師範代もラウルさんもなんですかその自由な動きは!型なんかあったもんじゃない!」

「型?お行儀よく型通りの動きをすれば勝てるほど魔物も人間も弱くはないですよ」

「じゃあ俺はなんのためにこの一年間素振りしてきたんですか?こんな型破りな暴れまわる戦い方でいいなら最初から乱取りをしてくれればよかったのに」

「型破りは基礎が出来ているからこそする価値があります。リオン君が一年間行ってきた基礎は強くなるために必要な過程なのです。今はまだ理解できないかもしれませんがね」

「……よくわかりませんがわかりました」


 強くなるために必要だと言われてしまえば文句は言えない。アリアを守れるくらい強くなるためだったらなんでもしてやる。

 そんな決意と共に乱取りという地獄の日々が始まった。


 乱取りはラウルさん、師範代、道場に5年以上在籍しているような熟練者達が相手をしてくれた。

 乱取りはパットの虐待が可愛く思えてくるほどの地獄だった。

 当たった瞬間に止めるとはいえ、毎日毎日木刀を体に受けるので痛みでよく眠れない日々が続いた。なんで俺はこんな辛い思いをしているんだなんて思う夜もあった。

 でもそんな日には必ずアリアとキスした時のシーンが夢の中で再生された。我ながら単純なもので、あの時のキスの感触を思い出すだけでまた今日も頑張ろうと思うことが出来た。


「同年代の子達とはやらないんですか?」

「彼らと訓練してもリオン君は強くなれません。成長が遅れるので悪影響です」


 言葉から察するに師範代は俺を優遇してくれている。

 ありがたいことだけど俺は優遇されるような人間なんだろうか。乱取りを開始して三ヶ月、俺の剣は未だにかすりもしない。確かに体は他の子より丈夫みたいだけど剣の才能があるとは思えなかった。


 師範代の言葉の意味が理解できたのは更に半年が経過した頃だった。この頃にはラウルさんと互角以上に戦うことが出来るようになっていた。

 始めは力量に差がありすぎて背中すら見えていなかった相手と互角に戦えている。おそらく高レベルの人達に無理やり引っ張り上げられたのだ。俺はどうにかその手を離さずに食らいつくことが出来た。

 その結果、自分でも驚くほどの成長速度で強くなれた。きっと同レベルの人達と訓練をしていたらこんなに早くにラウルさんに追いつけなかったはずだ。俺は改めて引っ張り上げてくれた人たちに心から感謝をした。

 それから更に一ヶ月後、ついにラウルさんから一本取ることが出来た。


「はぁはぁ、やった!」

「くそっ。マジか……」


 俺に脇腹を打たれたラウルさんは一言だけ呟き仰向けに倒れたまま動かなかった。


「見事です。では次は私を倒してもらいましょうか」

「望むところです」


 俺と師範代が乱取りを開始して少しすると、ラウルさんはノロノロと起き上がりそのまま道場から出ていった。

 次の日からラウルさんは道場には行かず、昼間から酒を飲む飲んだくれになってしまった。


 師範代などの大人にラウルさんが昼間から酒を飲むようになってしまったことを相談してみたところ、放っておけと言われた。

 父親ってのは自分を超えてほしいとは思いつつも、超えられたら超えられたで悔しいもんなんだ。いずれ立ち直るさ。だそうだ。

 しかしラウルさんは一ヶ月以上経っても飲んだくれのままだった。そんな姿を俺は見ていられなかった。


「ラウルさん!いつまでこんな生活を続けているんですか!」

「あ?うるせえな。俺はもうお前が強くなるためには不必要な存在だ。乗り越えた壁のことなんか気にしてるんじゃねえよ」

「……あなたは俺を地獄から救い出してくれて、勇気の大切さも教えてくれた格好いい男だ!」

「なんだよいきなり」

「俺はラウルさんに憧れてました。ラウルさんみたいに強くて格好いい男になりたいってずっと思ってた」

「…………」

「お願いだからずっと格好いい男のままでいてください」

「……すまん」

「謝るくらいなら一緒に道場に行きましょう。稽古つけてください」

「仕方ねえな。俺の酔剣でボコボコにされても恨むなよ」


 この日からラウルさんは元の格好いい男へと戻った。しかし剣術に関しては立場が変わってラウルさんが挑戦者みたいな感じになってしまったのだった。

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