『大晦日』side大和(3)


「……好きだった」

「!」

 その言葉が、ずっとずっと欲しくて。

 欲しくてたまらなくて。

 何度、目を逸らされても。

 何度、背中を向けられても。

 その手だけは、離せなくて。

「俺も、好きなんだ、大和が」

 少しだけ掠れたその声が、俺の耳の奥まで響くから。

 困ったように寄せられる眉根が、見慣れた表情を思い出させてくれるから。

 涙を零し続ける大きな瞳が、俺を真っ直ぐ見つめ返してくれるから。

 小さく笑って見せる口元も、俺の手をぎこちなく握り返してくれる力も——目の前にいる伊織の全部が——俺に向けられている。その事実に俺の胸は痛いくらいに締め付けられ、それと同時にどうしようもなく幸せを感じてしまう。

「大和……?」

「っ、……」

「お前、泣きすぎ」

「っ、うるさい。伊織だって」

 こんなに熱いなんて、知らなかった。

 こんなに苦しいなんて、知らなかった。

 こんなに嬉しいなんて、全然知らなかった。

「ん、ふ、ふは」

 伊織の手から伝わってくるのは、もう冷たい震えなんかじゃなくて。

「!?何、笑って、」

「だって、俺たち二人して、こんな顔、ふ、ふはは……」

 転がるように、弾むように、伊織が可笑しそうに笑うから。

「こんな顔って、なんだよ。言っとくけど、伊織だって」

「だから、『二人』って、ちゃんと言ったじゃん」

 そうやって当たり前に伊織が応えてくれるから。

「あー、やばい。コレ、絶対腫れる」

 ——少しだけ。

「もうティッシュじゃなくて、タオル持ってきた方がよくない?」

 ——もう少しだけ。

「大和、俺タオル持ってくるから、ちょっとこの手離しても……」

 ——あともう少しだけ。

「イヤだ」

 俺が立ち上がると同時に漏らした言葉を、後ろに押された椅子が床を擦ってかき消す。

「え?」

 聞き返すように見上げた伊織の視線をまとわせたまま、俺は伊織に向かって足を踏み出す。

「……大和?」

「……」

 俺は繋がれたままだった手を引き上げるようにして、伊織を椅子から引き離す。

「!?わ、ちょ、何」

 よろけながら立ち上がった伊織の肩に、俺はもう一方の腕を回して、その細い体を抱きしめる。

「伊織」

 伊織の小さな頭が俺の胸にぶつかり、柔らかな香りがふわりと舞う。

「大和?」

 そう俺の名前を呼ぶ伊織の声が、俺の体の中で鳴り響く心臓の音と重なる。

「伊織」

「……」

 ぎゅっと強く力を加えても、伊織はその手を離さなかった。

「伊織」

「……う、ん」

 指先から、手のひらから、触れ合っているところから、ゆっくりと流れ込む温かな体温と、揺れるように響く心臓の音に身体中が満たされていく。

「伊織」

「うん」

 繰り返し名前を呼ぶ俺に、伊織が優しく返してくれる。

「伊織」

「うん?」

 俺の腕の中で小さく顔を傾ける伊織がくすぐったくて。

「伊織」

「うん、何?」

 そっと俺を見上げてくる伊織がどうしようもなく可愛くて。

「伊織」

「うん、だからなんだよ?」

 伊織がその両目に俺を映してくれるのが、たまらなく嬉しくて。

「……ありがとう」

「!」

 また泣き出しそうな表情かおをする伊織に、少しでも伝わればいい。

 言葉になんか置き換えられないほど複雑なこの気持ちも、抑えきれずに溢れてしまったこの想いも、抱きしめるだけでは足りないほどのこの愛しさも、全部、全部、伝わればいい。

「ありがとう、伊織」

「……だから、目腫れるよって言ってんのに」

 伊織が小さく笑うのに合わせて、俺も笑い返す。

「もう一人で傷つくなよ」

「!」

「俺、絶対に伊織を一人にしないから」

「……うん」

「傷つくときは俺も一緒にいるから」

「うん」

「だから——」

「うん、ありがとう、大和」

 そう言って微笑んでくれる伊織の頬を伝う涙が、あまりにも美しくて、俺は零しかけた言葉を思わず飲み込んだ。

「……好きだよ、伊織」

 俺は醜い本音を、自分勝手な願いを、優しい言葉で隠す。

 だから——俺と一緒に傷ついて、伊織。

 それは、とても静かに、ずっと俺の深いところ、心の奥底に落ちていった。



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