『誕生日*翌日』side大和(2)


 ——最悪だ。

 勘違い。自意識過剰。なにが、ほんの少しでも……だ。

 どんなに距離を詰められようと、どんなに触れられようと、俺はそれを笑って振り払わなくてはならなかったのに。

 ——だけど、あの時。

 触れた体温があまりにも冷たくて、その小さな震えを少しでも止めてやりたくて……違う。本当はただ、俺が伊織に触れたかったんだ。きっと伊織は、そんな俺の気持ちに気づいてしまったのだろう。それでも、必死で気づかないフリをして、必死で壊れそうになる世界を守ってくれたのだろう。

 ——もう、それで十分じゃないか。

 伊織が望むなら、このままの距離で、このままの関係が続く世界で、もう十分じゃないか。

 溢れかけた涙を押し込めるように、わざと大きく鼻をすする。

 見上げた空には、やっぱり雲はなくて、どこまでも綺麗な青色が続いている。

「……伊織、遅いなぁ」

 コートのポケットに突っ込んだ両手を握りしめながら、俺は体を丸める。

 前に並ぶカップルが首から下げたポップコーンをつまみながら小さな声で笑うのを、そっと視界から外すように伊織が消えた方向へと顔を向ける。時折吹き付ける海からの風は突き刺さるように冷たかったが、園内には人が溢れていた。カップルも家族連れも、友達同士で固まるグループも、誰もが楽しそうに笑っている。俺たちも、ほんの数分前までは同じように笑っていたのに。

 ——ダメだ。もう、考えないようにしなきゃ。


 視線の先、両手に紙コップを持った伊織が先ほどよりもだいぶ伸びた列へと視線を向けている。混み合った行列の中から俺の姿を探している伊織に俺ができるのは、いつもと変わらず笑ってやることだ。

「おぉー!すっごい進んでるじゃん」

 ——伊織が白い息を吐き出しながら、いつもと変わらない顔をするなら。

「どこまで買いに行ったんだよ。時間かかりすぎだろう」

「いや、こんな進んでるとは思わなかったからさ。見つけるのに時間かかっちゃって」

 ——当たり前のように、俺の隣に伊織が並んでくれるなら。

「こっちはずっと並んでて、すげぇ体冷えてんだからな」

 ——カップを受け取った瞬間に触れた指先も。

「ごめんて。ほらコーヒーやるから」

 ——コーヒーが冷めるほどの時間を費やしてくれたことも。

「……ぬるいんだけど」

「え、あれ?ほんと?いやぁ、今日寒いからなぁ」

 ——全部、全部、気づかなかったことにするから。

 だから——

 伊織も変わらず、俺の隣にいてよ。



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