第11話 魔王 歓迎する(2)


(……やった! やった! もう前線に帰らなくてもいい仕事なんて、最高)


 プリミラはクールに頷きながらも、内心で喜びを爆発させていた。


 やはり、今までの魔王とは違うというプリミラの勘は間違っていなかった。


 プリミラの当初の目論見では、現状通り、山奥に引きこもって敵を妨害する仕事につければ上々と思っていたのだから、それも当然である。通常の魔族の価値観的には後方勤務は軟弱者の仕事であるが、魔王の命令とあれば逆らえないのは当然であり、侮られる心配はなかった。


「では、待遇の話に移りましょう。率直に聞きます。プリミラさん。あなたは、労働の対価として、どれくらいの休暇と、どのような報酬を望みますか? いわゆる魔族的な建前はいりません。あなたの本音を聞かせてください」


「……え? ワタシに休暇? 報酬?」


 先ほど、魔王がプリミラに力の一部を譲渡すると言った時も驚いたが、それはまだあり得ないことではなかった。


 貪欲に力を求める魔王であっても、権威を示すために子飼いの部下に力を与えることはあると聞いている。


 だが、今度ばかりは本当に驚いた。


 魔族の常識として、『交渉』が成り立つのは、対等かそれに近い相手だけだ。


 圧倒的な強者である魔王が、魔将の一人とはいえ、彼の十分の一の力も持たないプリミラに妥協する理由は何一つ存在しない。


 もしそんなことをする魔族がいれば、頭の弱い阿呆として食い物にされるだけだろう。


(……全く、非常識な魔王)


 プリミラはそう思ったが、不思議と侮蔑の感情は湧いてこず、むしろ親近感を覚えた。


 プリミラも、魔族の中では『非常識な』思考をする方であったから。


「感謝しなさい! プリミラ! “ワタクシが”召喚したお父様は、まことに慈悲あまねく寛大な御方です。御心一つで灰燼帰するような取るに足らないワタクシたちのことも顧みてくださるのですわ!」


 シャムゼーラが『傲慢』の二つ名にふさわしい尊大な口調で言う。


(『お父様?』なるほど。それが、シャムゼーラの報酬……。……さすが神官の家系だけあって、保身に長けている)


 プリミラは納得した。


 魔王と縁戚を結んでおくことは、権力の誇示になることはもちろん、他の魔族からの攻撃を防ぐという意味で、その身の安全につながる。


 直接的な魔法攻撃力の弱い神官はこの手の政治的な工作が得意だった。


「――シャミー」


「はい。席を外します。何かあればお呼びください」


 魔王に目くばせされたシャムゼーラが、魔王の側を離れる。


「さて、これで気兼ねなく話ができますね。シャムゼーラさんはああ言ってましたが、私は誰にでもこのようなお話を持ち掛けている訳ではありませんからね。あなたを評価しているからこそ、このような条件を申し出ているのです。幹部級の人間に、ただ命令に従うだけの人形はいらないのです。自発的な献身を求めるための、報酬なんですよ。例えば、プリミラさん。あなたは、千人殺せ、と命令されて、一万人殺しますか?」


「……しない。……怖いし、めんどくさいから」


 プリミラは魔王の意図を汲んで、速攻本音を披露した。


 プリミラの動機は特殊だが、プリミラ以外の魔族でも、きっとそうするだろう。


『本当はもっと殺して魂を集めたいけど、命令を破ってたくさん殺したら、野心を疑われて上級魔族に殺されるからやめておこう』


 こう考えるはずだ。


「そういうことです。命令に従うだけで思考停止した者には工夫がない。発展がない」


「……理解した。……だから負けた」


 『命令』を受けた者は、『命令』以外のことをしようとしない。


 プリミラが見てきた中級以下の魔族も、皆そうであった。


 そういった魔族は工夫をしない。せいぜい、与えられた任務の中で、同じような力を持った同僚の魔族を出し抜いて、いかにたくさん人間を殺して魂を集めるかを考えるだけだろう。それどころか、一人分や二人分のヒトの魂を巡って、同僚の足を引っ張ったりさえする。


 何を隠そう、命令する側の上級魔族自身が、配下にそのような『命令以外のことは何もしない』という服従を要求するからだ。そうなっても仕方ない面はあった。あくなき力を求めている魔族は、常に下克上を狙っている。それを防ぐためには、絶対的な服従を求め、時には配下同士で争わせることすら必要だったのだ。


 それは、いち上級魔族の保身としては間違いではないが、魔族全体の方針としては間違っていた。


 弁解のしようはない。


 工夫を怠った結果、魔族はヒトの軍勢に大負けし、滅びかけているのだから。


「ええ。だけど、悪いことばかりではありません。月並みな言葉ですが、『ピンチはチャンス』というやつです」


「……馬鹿な上級魔族がみんな死んだから?」


「辛辣な表現ですが、その通りです。いわゆる、『旧来の魔族的な思考を持った』直情的で好戦的な方々は皆討ち死にしました。幸い、魔王という存在はかなりの権力がある存在のようですから、中央集権的にドラスティックな組織文化の変革ができます」


「……そう」


 プリミラは背筋を伸ばし、魔王を真正面から見据えた。


 この魔王が愚かでも軟弱でもないと分かったからには、もはや目立たないようにする演技の必要性はなかった。


 彼はヒトの創造力と、魔族の精神力を併せ持った傑物だ。


 必ず魔族を救い、プリミラの望む安全をもたらすだろう。


 ならば、覚えがめでたいに越したことはない。


 プリミラはコミュニケーションが苦手であったが、目的のためにはできる限りの努力はするのだ。


「さて、私がプリミラさんに、『指示』する以上の成果を出すことを期待していると分かって頂けたところで、話を戻しましょう。再度問います。労働の対価として、どれくらいの休暇と、どのような報酬を望みますか?」


「……休暇はいらない」


 そう即答した。


 もちろん、プリミラは働くことも、戦うことも好きではない。


 誰にも会わず、ただ一人、安全な場所で、のんびりと過ごすことを夢としている。


 だが、少なくともそれは『今』ではない。


 今休んでいては、プリミラごと魔族が滅びる。


 それに、『怠惰』でいれば、魔族内でのプリミラの地位も下がり、下克上される危険性が増すだろう。


 そしてなにより、満足な成果を上げられなければ、この魔王は容赦なく自分を切り捨てるに違いない。


 それが、なにより恐ろしい。


 だからプリミラは働くのだ。


「ふむ。やはりそう言って頂けますか。ありがたいことです。では、報酬は?」


「……ワタシの望みは、『永遠の安全と静寂』。そのために――」


 そこでプリミラは、躊躇して口ごもった。


 これから言葉にしようとしている内容は、あまりにも危険だ。


 場合によっては、魔王に処分されてしまうかもしれない。


「遠慮せずにおっしゃってください。どのような望みでも私はあなたに危害は加えませんよ。何なら、その旨、契約して差し上げます」


 プリミラは、その心を読んだかのような魔王の勧めに背中を押され、ようやく口を開く。


「……魔族を救って、人間を滅ぼした暁には、ワタシにあなたの力を半分もらいたい。そして、魔王とワタシ以外の、ワタシに危害を加える可能性のある全て脅威を――魔族も人間も、全て皆殺しにして欲しい」


 プリミラははっきりそう言い切った。


 永遠の平穏を得るにはどうすればいいか。


 簡単だ。


 自分以外の者を皆、殺し尽くしてしまえばいいのだ。


 本当は魔王も殺すべきだが、そんな条件を呑むはずないので、そこは妥協である。


 これはある種の賭けであった。


 この魔王は、別に魔族の生存や繁栄に毛ほども興味はないとプリミラは踏んでいた。


 だって、彼自身は魔族の生まれてもないのだし、シャムゼーラの勝手でこちらの世界に呼ばれたにすぎないのだから。


 これが、普通の魔王ならば、征服欲やら権力欲やらが行動の動機になるのだろうが、この男には全くその手の欲望が見えない。


 欲望もないのに、なぜ戦う?


 答えは一つ。


『生き残りたいから』


 それ以外の理由がないではないか。


 つまり、プリミラは、魔王を自身と同じ、自己保存欲求に従って動いている存在だと踏んでいた。


「ククク、あなたは本当に面白い方だ。なるほど。私を『そういう存在』にとりましたか。半分は間違っていません。確かに私だって、せっかく手にしたこの命を安々と手放したいとは思わない。ですが――そうですね。私はプリミラさんが気に入ったので、こっそりお伝えしますが、実は私にとっての私の命の優先順位は、二番目なのですよ。私が一番好きなのは、美しく機能する組織を作ることです。もし、私の命と、私の作った組織のどちらかを滅ぼさなければいけないという状況に陥ったならば、私は迷わず自分の命を滅ぼすことを選ぶでしょう。だから、あなたの望みには応えられない」


 魔王は朗らかに微笑みながら、首を横に振る。


「……残念」


 プリミラはがっくりと肩を落とした。


「ですが、プリミラさんの望みはよくわかりました。そもそもですね。仮に世界を征服し、プリミラさん以外の知的生命体を全て滅ぼしたとしても、あなたは『永遠の安全と静寂』を得ることはできないんですよ。プリミラさん、寿命とかありますか?」


「? ……多分、ないと思う」


 プリミラは質問の意図が分からず小首を傾げた。


「ですよね。そこで、ですが、こんな事実を知っていますか? この星にも――あなたがただ安穏と浮かんでいたいと願っている、湖にも川にも海にも、寿命があるんですよ」


「……え?」


 魔王がプリミラに告げた『惑星』や『宇宙』というものに関する情報は衝撃だった。


 今、プリミラが生存している場所は、いずれ収縮して爆発し、なくなってしまうものなのだという。


 世界ごと爆発とか、なにそれ怖い。


 怖すぎる……。


 プリミラは震えた。


 そして、宇宙にはその『惑星』がいくつもあり、常に消滅と生成を繰り返しているという話については、想像の埒外過ぎて、何を思えばいいかすらわからない。


「――という訳で、この世界中の生命を滅ぼしてもなお、あなたは安全ではないのです」


「……それは、困る」


 プリミラは焦った。


 それでは、プリミラがどんなに頑張っても、いずれかは避けようのない終わりがくるということではないか。死は、プリミラが数抱く恐怖の中でも最たるものであった。


「ですよね。そこで、私はプリミラさんの報酬として、一つの代案を提示させて頂きます。まずは世界を征服――とまで、いかなくても魔族の絶対生存圏を確保します。そして、余裕ができたら、魔法の技術開発を促進し、惑星間航行技術を開発します。その暁には、あなたにその技術を供与し、惑星を一つプレゼントしましょう。他の知的生命体の存在や、その時の私の権力次第ですが、できることなら、領有権の保証もします。もし、その星が壊れたら、次の星へ。あなたはそうやって、ほぼ永遠の安全と静寂を得ることができます。宇宙の星のほとんどには、知的生命体はいませんから、場所はよりどりみどりだと思いますよ」


「……それは、よさそう。……とても、よさそう」


 プリミラは噛みしめるように頷いた。


 そもそも、全ての人間と魔族を殺し尽くすのはとてつもなく面倒で怖い作業だ。


 それなら、初めから脅威となる存在が何もいない場所に移動する方がよほど手っ取り早い。


「では、それを報酬とする形で構いませんか? プリミラさんさえよろしければ、早速雇用契約を結びたいと思うのですが」


「構わない。……でも、できればもう一つ報酬が欲しい」


 魔王の言うことは、とても分かりやすく、理にかなっている。


 だが、一つだけ大きな問題があった。


 どう考えても、魔王のいう計画の実現には時間がかかる。


 もちろん、プリミラはヒトのような儚い時間感覚は持ち合わせていないので、100年や200年程度の時間ならば気にしない。だが、千年単位くらいになれば話は別だ。普通の魔族からは、『そんなたった数千年で心配性な』と馬鹿にされそうだが、プリミラは安全第一主義である。目標達成までの保険は是非とも確保しておく必要があった。


「ふむ。なんでしょう」


「……ワタシをあなたの妻に欲しい」


「――ええっと、それはどういった意図でかお聞きしても? 先に申し上げておきますが、私はたとえ情を通じた相手でにあっても、仕事に関しては一切妥協しませんよ」


 魔王は眉をひそめた困り顔で問うてくる。


「……わかってる。重要なのは、『他の魔族が、ワタシを魔王の配偶者だと認知する』こと。シャムゼーラが娘になりたがったのと同じ。政略的に安全を確保したい」


「そういうことなら構いません。魔族の夫婦関係というものをいまいち理解していないので、ご満足いただけないかもしれませんが、良き夫たるよう努力します」


 魔王が頷く。


「……旦那様に感謝。……ワタシも妻として精一杯奉仕する」


 シャムゼーラは言葉ではなく行動で示すことにした。


 玉座に腰かける聖に近づくと、横座りして、彼の太ももへと上半身を預ける。


 それから、聖の手を取って、口と胸を使って丁寧な愛撫を始めた。


「早速ですか。バイタリティに溢れる方は好きですよ――シャムゼーラさん! 話がまとまりました! 雇用契約書を!」


 聖は苦笑してから、声を張り上げる。


「はい。お父様――!? プリミラ! なにをしているのです! お父様から離れなさい! この無礼者!」


 姿を現したシャムゼーラは、手にしていた魔法用具一式を取り落とし、プリミラに食って掛かってきた。


「……無礼ではない。これは“夫婦”の適切な距離感」


 プリミラは適当に水の壁を作ってシャムゼーラをいなす。


「フウっ!? くっ……なるほど、読めましたわ。それがあなたの報酬という訳ですの。それにしても、プリミラさんは『怠惰』の魔将だと思ってましたけれど、『色欲』の才能も豊かですのね!」


「……お褒めに預かり光栄。……羨ましい? ……“娘”もやる?」


 シャムゼーラの皮肉に、プリミラは涼しい顔でそう受け流す。


「お黙りなさい! 言っておきますけれど、ワタクシはこんな不愛想な継母は認めませんわ!」


 シャムゼーラが角をいからせながら、首を高速で横に振った。


「うーん、『家長冥利に尽きる』と言っておくべきなのでしょうかね。こういう時は」


 魔王はどちらの味方をすることもなく、ただ穏やかに笑っていた。

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