第二章 魔王 幹部を集めて計画を練る

第9話『怠惰』のプリミラ

『エンペラーコール。魔将たちに告げます。私が魔王ヒジリです。今後のことについて話し合うために、私の下に集うことを望みます。無理強いはしません。現状を鑑み、自ら必要と思った者のみで良いです』


 脳に直接響くようなその声を、魔将の一人である『怠惰』のプリミラは湖に揺蕩いながら聞いていた。


 人はおろか、魔物ですら訪れることのない山の奥に、その湖はある。


 すなわち、魔王城から見れば東にあたる、プリミラが支配する河川上流の水源であった。


 彼女より上位の魔族が死んだ今となっては、プリミラは魔将として一帯を統括する立場なのだ。


(魔王……。なんの用だろう。嫌だ……。怖い……)


 真冬の寒気に当てられて、凍り付いた水面。


 その下の沈滞した湖水に包まれ、彼女は思考する。


 その姿を、余人は認識することさえできない。


 プリミラは水と完全に同化しており、実体をもたない流体となっていた。


 もちろん、なろうと思えばヒトのような二足歩行の形態や、もしくはユニコーンのような四足獣の姿にもなれるが、こうして目立たず水に紛れている姿が、一番落ち着くのだ。


(どうせなら、完全な精霊になれたらよかったのに……)


 もし、プリミラが完全な精霊ならば、誰かと争う必要はなかった。


 精霊ならば、ヒトでも、魔族でも、魔法の力を望む奴らに、気まぐれに力を与えるだけでいい。


 責任も、義務も、仕事もない、自由で気楽で安全な素晴らしい日々。


 もし、プリミラが精霊だったら、ヒトとも魔族とも誰とも接触せずにひっそり暮らす。


 こうやって水にほんわり浮かんでいるだけで、プリミラは十分幸せなのだから、それ以上はいらない。


 そんな夢想をしてみるが、夢は夢である。


 ケルピーと水の精霊が気まぐれにもうけた忌み子――それがプリミラの正体であって、半分は魔族の血が入っている以上、彼女は魔族として生きるしかないのだ。


(魔王の所……。行くのが怖い……。でも、いかないでここにずっといるのも怖い……)


 先の大戦で、プリミラはヒトが自分に向けるとてつもない憎悪を認識した。


 プリミラよりよほど強い魔族がいるのに、敵は殊更プリミラばかりを執拗に狙ってきた。


『狡知の魔女プリミラを探せ!』


『毒滅の悪魔プリミラを許すな!』


『プリミラ、貴様のせいで俺たちの故郷は――! 絶対に滅ぼす!』


 プリミラの知らないところで、プリミラの悪名はヒトたちの間に知れ渡っていた。


 彼らが悪しざまに罵る事柄に、思い当たる節がなかった訳ではない。


(確かに、ワタシが原因でヒトはたくさん死んだ。でも、ワタシはただ誰にも会わずにじっとしていたかっただけ……)


 そもそもプリミラを始めとする、水属性の一団は、大戦の前から湿地帯や河川の多い東部地域を任されていた。


 弱兵なヒトしかいないことで知られる東部方面は強者との戦いを求める魔族からの人気が薄い。


 しかし、先代の魔将――スライムカイザーは、ポヨポヨした見た目に似合わず、合理的な魔族だった。『雑魚ばかりでも、競合する魔族が少ないなら食い手は多い』と考え、敢えて東部地域を選んだ。奴にはそもそも、ゴブリンの次に弱いと言われるスライム種から成り上がった存在だけに、知恵があった。


 無論、スライムカイザーは魔将の中では比較的弱く、他の地域に割って入れなかったという事情もあるだろう。


 ともかく、その鶴の一声で、水属性の魔族であるプリミラは強制的に東部地域に来ることになってしまった。


 当初、プリミラたちは苦戦を強いられた。


 敵の数が想定より多かったからである。


(やだ……。この冒険者とかいうヒト……。殺しても殺しても湧いてくる……)


 西部、南部地域で集団戦術が発達し、傭兵的な働き方をする冒険者の活躍の場が減った結果、未だ軍制改革がなされてない東部に冒険者がなだれ込んだ――などという考察は、さすがにその時点のプリミラには出来ようはずもなかった。


(……敵の方がたくさんいるのに戦うの? 怖い……。怖すぎる)


 実際は、数では劣っているとはいえ、魔力に優れる一騎当千の魔族の存在を鑑みれば、若干不利、程度の戦力なので、そこまで恐れる必要はなかったのだが、理屈ではないのだ。


 怖いものは怖い。


 ヒトたちのあの血走った目を思い出すだけで、プリミラは背筋が凍る思いがする。


 冷気に対する完璧な耐性があるのに、ブルブルと震えてしまう。


(……ワタシはヒトなんて放っておいても良かったのに)


 プリミラはそっとしておいてくれれば、別にヒトなんてどうでもよかったが、魔族の社会では力を見せつけなければ、生き残れない。


 怖いし、戦いたくないけど、存在感を示す必要があった。


 だから、当時のプリミラは、必死に頭を使って考えた。


 なるべく怖くなくて、魔族の誇りも損なわず、冒険者たちを相手取る方法を。


『……ワタシたちは《怠惰》の魔将を戴いている。……にも関わらず、今はあくせく小物を潰すばかり。これではまるで《勤勉》。……とても、《怠惰》にふさわしい戦い方とはいえない。……そもそも、ワタシたちが得意とするのは、水の魔法。……水源の多い湿地帯や森の奥の湖沼で、泰然と強者を迎え撃ってこそ、《怠惰》の美徳に適う』


 まずは積極的な攻勢に出ず、森に入り込んだ敵だけを仕留める徹底的なゲリラ戦術を提案した。


 これなら、たくさんの敵を一度に相手する必要はない。


 普通の好戦的な魔将ならば、消極的な戦術はつまらぬと却下したところだったが、スライムカイザーは合理的な魔将だったし、魔族的に正しい意味で『怠惰』であったので、それを受け入れた。


(冒険者は、ワタシと同じで『怖がり』だから、そんなに深追いはしてこないはず)


 幾度の戦闘で、プリミラは冒険者というヒトの戦士の性向を正しく把握していた。

『命かけるほどの金をもらってねーぞ!』、というセリフを何度聞いたかわからない。


 冒険者にとっては『金』が何より大事であり、危険に見合う金が払われなければ、冒険者は攻めてこない。『金』は物質的に有限な資源のようだから無尽蔵に増えることはないだろう。ならば、その『危険』を増やしてやればいい。敵をなるべく歩かせるような森の奥深くに陣取り、トラップをたくさん用意して、嫌がらせに徹する。


 予想は当たり、始めこそ幾人かの手練れがやってきたものの、それらを討ち取ってからは、交戦する機会は徐々に減っていった。


(戦士をあまり殺さなければ、戦士から恨みを受けることも少ないし……)


 という打算もあった。


(これで怖くないところでゆっくりできる……)


 と、プリミラは考えたのだが、そうは問屋がおろさなかった。


 消極的な戦術だと当然、ヒトの戦死者は減る。しかし、魔族は常に魂を欲するので、当然、身内の魔族からは不平が出る。『十分に力を蓄えたのだからそろそろ討って出るべき』という意見が徐々に身内からも上がってきた。彼らの不満を抑えるためには、別の形でヒトを殺して魂を集める必要があった。


(え、やだ。せっかく静かになったのに、なんでそんな怖くてめんどくさいことをするの? ……なにか考えないと)


 プリミラは、自分が外に出て怖い目に遭いたくないばっかりに、検討の末、スライムカイザーに新たな提案をした。


『……愚かなヒト共に、直接、手を下す必要はない。……水がなくても、食べ物がなくても、住む所がなくても、ヒトは生きていけない。……《怠惰》ならば、座して魂を会集められる方策を取るべき』


 戦士も、そうじゃないヒトも、どちらも魂は持っている。


 戦士の方が、質のいい魂を持ってることが多いので魔族好みなのは確かだ。それでも、非戦闘員の二倍の質の魂を持っている戦士ですら稀なのだ。それならば、数を集めた方が、よほど効率がいい。


 プリミラの提案は、またスライムカイザーに受け入れられた。先の提案の実績があったし、プリミラの提案はやはり『怠惰』の価値観に適うものであったから。


(戦士以外のヒトならば、いくら殺しても復讐にはこないはず……)


 という目算もあった。


 プリミラは言い出しっぺとして有言実行した。


 今のような上流域に巣食い、河川の流れを支配し、流域一帯の水の流れを操る。


 農繁期には水を与えない。


 ヒトが飲用に使う水源には無味無臭の毒を混ぜる。


 拠点を築こうとすれば、濁流で押し流す。


 大雨などの天祐があれば、これまた一部の川をせき止めて、人々の生活拠点を破壊した。


 汚水溜まりに接していると、脆弱なヒトはすぐに病気を発して具合が悪くなることがわかってからは、人の死骸や排泄物などを溜めておくことを覚えた。ある程度溜まってきたら、配下の中級魔族に命じて、人が多く、警備が薄く、あまり掃除をしなさそうな汚いところ――スラムに汚水をまき散らした。


 いずれも結果は大成功で、たくさんのヒトを殺し、大量の魂が集まった。


 全ては上手くいっていた。


 プリミラは周囲の魔族の尊敬を集めるようになり、怖いから誰とも戦わずに森の奥でじっとしていても、『また何かヒトを殺す作戦を考えているのだろう』と好意的に解釈され、放っておいてもらえるようになった。


 本当に上手くいってたのだ。


 あの大戦が起こるまでは。


 見たこともないほどの数の冒険者がプリミラたちの下に殺到した。


 よほどたくさんの『金』が使われたのだろう。


 プリミラは怖くてもちろん逃げに逃げたが、それでも戦闘は避けられなかった。


 久々に直接ヒトに手をかける中で、プリミラは自身に多額の『懸賞金』というものをかけられていたのを知った。どうやら、スライムカイザーや他の有力魔族にも懸賞金はかけられているようなのだが、それらと比べてもプリミラにかけられた額はべらぼうに高い。


 そうプリミラは失念していた。


 確かに非戦闘員は直接復讐にはこないが、『金』を出し合って戦士を動かすことができるのだという事実を。


 プリミラは金というものが冒険者にとって重要だとは認識していても、通貨という概念を理解していた訳ではなかった。


 冒険者の金への執着を『ドラゴンみたいにキラキラした財物を集めるのが好きなのかな?』、程度に考えていたのだ。


(うう……みんな、せめてワタシの名前は黙っておいてくれればよかったのに)


 スライムカイザーは、律儀で賢い魔将であった。


 ヒトは姿形のない見えない敵に対して、虚像を抱き、恐怖を膨らませる。


 スライムカイザーは、表に出たがらないプリミラを闇の軍師として担ぎ出すことで、人々に恐怖心を植え付けようとした。それは戦略的なものであると同時に、成果の割には魂を大して要求しない控えめなプリミラへの褒美のつもりでもあったかもしれない。


 ヒトの間で恐れられるというのは、力の証明であり、魔族にとっては名誉なことであったから。


(ヒトは執念深い……。怖い……。嫌い……。どうして、親や兄弟が殺されたくらいで、たった一つしかない命を無駄使いできるの?)


 プリミラは魔族全般の性向からはズレてはいても、やはり腐っても魔族だった。

 親が死のうが、同僚が死のうが、悲しみ、怒り、憎むという概念は理解――はできたとしても、実感することができない。


 プリミラはプリミラで、他の魔族は他の魔族だ。


 プリミラに迷惑をかけない限りで、好きに生きて、好きに死んでくれればいいとしか思わない。


 プリミラが大切なのは、ただ一つ自分の命だけ。


 プリミラは、ただ、世界で一番安全な怖くない場所で、プカプカ水に揺蕩っていられればそれでいい。


(……ワタシはどうするべきだろう)


 プリミラに現状残された選択肢は、三つあった。


 一つ目――魔王の呼びかけを無視して、このままここに留まる。


(……魔族全体が優勢ならそれもありだけど、魔族が滅びたら、ワタシの住処もなくなる。ずっとはいられない)


 先の大戦の敗北を、プリミラは敗走してきた他の魔族から聞いていた。


 ヒトが全ての地域を占領すれば、当然残党狩りが行われるだろう。


 その際、ヒトから嫌われ、多額の懸賞金をかけられたプリミラは真っ先に殺されるだろう。


(……いやすぎる。……泣きそう)


 二つ目――この大陸を飛び出して、別の魔族領を目指す。


(無理……。絶対無理……。怖い……。怖すぎる……)


 水に溶け込めるプリミラならば、川を伝い、海に出でて他の大陸に移ることなど余裕――な訳がない。


(まず、海の魔物の縄張りを越える必要がある。おそらく、海に巣食う個体はワタシより強い)


 プリミラは水属性の魔法と相性が良いが、淡水域で修練を積んできたため、海での戦闘能力は未知数だ。


 そして、世界には、陸より海の方が多いと聞いている。


 陸より広大な場所で生存競争を勝ち抜いた魔族たちが弱いはずがない。ほぼ確実に、プリミラより強い。そんな状況では、美味しい餌として食べられかねない。


 運よくその海の勢力のどこか、もしくは、辿り着いた別の大陸の魔族グループに潜り込めたとしよう。


(……今のような上の立場になれるように、一から他の魔族との関係性を築くの? ……怖い。怖すぎる……)


 ただ潜りこんだだけでは、使い捨ての戦力としてこき使われて終わりになってしまう。


 少なくともこの大陸でいうところの魔将――の側近くらいの立場を得なければ、プリミラの求める安全は得られない。


 しかし、他の大陸で余所者のプリミラが地位を得るには、地下水脈を辿るような繊細な世渡りが求められるだろう。


 だが、プリミラは根本的にコミュ障であった。


 たった一つの命を賭けてでも、常に上を目指すのが当たり前のリスク志向の魔族の中にあって、恐怖心が強く、極度に安全欲求の高い、非リスク志向の自分は、周りと馴染めないと自覚していた。


 口は災いの元だ。


 本性がバレたら、他の魔族から侮られることが分かっているプリミラは、自己防衛手段として、極力発言をしないようにしている。


 戦略的無口っ娘を心掛けているのだ。


 日頃から寡黙であれば、たまに発言をした際に言葉に重みが出るというメリットもあった。


 スライムカイザーは、そういう意味ではいい上司であった。


 知能は高くても喋れないスライムカイザーは、言葉少なでもプリミラの意図を察してくれるところがあった。


(……無理。脱出は諦める)


 そうなると、残された選択肢は一つしかない。


(つまり、魔王の所に行く……しかない)


 プリミラはそう結論づけた。


(魔王とか、乱暴そう……。怖い……)


 プリミラの知識では、魔王とは、魔族の中の魔族であり、好戦的で、世界を滅ぼしても唯一無二の力を求めるような、自身とは真逆なタイプの生き物であった。


(でも、今回の魔王は話に聞いていた魔王と少し違う気がする。『命令』ではなく、わざわざ『要請』するなんて)


 魔王が他の魔将に比べて強いのは、独立独歩の魔族たちを強制的にまとめあげる特殊な権能があるという点につきる。


 その強権を敢えて行使しない、その意味をプリミラは考える。


(忠誠心を試している? なら、行くのは早ければ早いほどいい)


 これは確実だろう。日和見を決め込む奴よりも、真っ先に味方についた者を信用するのは当然だ。


(先の大戦の敗北の責任を問われる可能性はあるけど……ワタシには他の魔将に比べて、弁解できる肯定的な材料も多い……はず)


 先の大戦の戦果という意味でいえば、魔族の中で一番マシなのが、今自分のいる東部なのだ。


 東部戦線は、スライムカイザーを始めとする多くの戦力を失ったが、それでも敵のいわゆる『上級冒険者』を多く討ち取り、結果として痛み分けに終わっている。戦力を大きく減らしながらも、魔族領への侵攻も許してはいない――といっても、東領はその大半がヒトにとっては利用価値の低い湿地帯が主なので、占領する価値がないだけかもしれないが、ともかく現時点では『負けてない』のだ。


 もちろん、それは見かけだけであって、次に同じような大規模攻撃を受ければもたないだろうが、他の魔将に比べれば、まともに戦えたことには違いない。


(……決めた。行く)


 プリミラはそう結論付けて、湖の底から、さらに深く地中へと潜る。


 常に逃走経路をいくつも用意しながらも、最短ルートで魔王城付近の森を目指した。

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