第5話 5皿目

「そ、そうか……テレビというもので人間を学び、この制服とやらまで調達して化 け通せると思ったが欺けなかったか。しかしおかしい、私が熱中して見たアニメ では素手で人間を破裂させたり、切り裂いたりしていたぞ」

 顎に指を当てながら解せないといった顔の美味が呟く。

「実は私、その下僕の遥か上の種族なのだ。おっと、人間は下僕の事を土魚と呼ん でいるのだったな」

「上の種族?……って事は土魚や変種と同種族?」

「人間! いや、鳴瀬道矢! 私をあんな下僕共と同列にするな! 比べるのもお こがましい程能力に開きがあるのだぞ。そう、人間と猿程にな。お前も猿と同じ と言われれば腹が立つだろう!」

「で、でも同じ系統なんでしょ? やっぱその、人間……食べたりするの?」

 美味の鋭い目に一瞬困惑の色が浮かんだ。

「私は食べん。人間など食べられるか」

「ホ、ホントに?」

「何を疑っている、鳴瀬道矢。それならとっくにお前を頭から食ってるはずだろ  う」

 小さく鼻から息を吐き道矢から視線を外す。

 そしてテーブルに置かれたマグカップに目を移した。

「ところでそれは何なのだ? ここに来る前からいい匂いを感じていたが、それだったのか」

 人間は食べない、という言葉を取りあえず道矢は信じる事にした。

「トマトのスープですよ。良かったらどうぞ」

 右手をマグカップに向けた。

「トマトの……スープ? トマトとは確か……赤い野菜の事か?」

「ご……ご名答」

「ふふ、テレビで人間社会を勉強したのだ。食べ物は特に記憶したぞ」

「へえ、じゃあスープもわかるですね」

「そ、それは知らん……だから教えるのだ。スープとは何だ?」

「味の付いたお湯の事ですよ。そのスープには鶏ガラ成分が溶かされてるんです」

「ほお、味の付いた……お湯? か」

 興味深げにテーブルへ歩み寄った美味がマグカップに手を伸ばす。

「熱いから気をつけて」

 道矢の言葉に注意深くマグカップへ鼻を近づける美味、そして立ち上る熱気に驚いて顔を引く。

「こ、これは本当に熱い。これでは気をつけた所で口に入れられんぞ」

 初めてお使いを頼まれた子供の様な顔で道矢を見る。

 マジで飲み方知らないんだ、という言葉を口の中で殺した道矢が尖らせた口から息を吹いた。

「こういう風に、ふーっ、ふーって冷ますんですよ」

「そ、そうか。ふむ」

 息で冷ますという初めての行為に緊張したのか、ぎこちなく口を尖らせた美味が「ふ、ふーっ! ふーっ! ふーっ!」と何度も表面に波を立たせ、スープに息を吹きかける。

「も、もういいんじゃないですか。それ以上やったら冷めちゃいますよ」

「そ、そうか? で、では頂くぞ」

 恐る恐るマグカップに口を付けた美味がズズズと飲んだ。

「うぉ!?」

 目を大きくさせて驚いた様にマグカップを見る。

「こ、これは何と! 熱のあるものは初めて口にしたが、これは美味い!」

 再びマグカップに口を付け、スープを飲みつつトマトを咀嚼する。

「うん、このトマトとやら、甘さともしょっぱさとも違う不思議な味わいだ! だが何ともいい。何より、ズズズ」

 底が天井に向く程マグカップを持ち上げて最後の一滴までスープを飲み干した。

「ふぅぅーー!! このスープとやらが美味しい」

 頬を紅潮させて、うっとりとした笑みを浮かべる。

「これはお前が作ったのか?」

 おかわりでもする様空になったマグカップを道矢に突き出した。

「は、はい」

 その返事に美味の目に力が入る。

「素晴らしい! いや、またお前にお礼をしなければならないな。さあ言え、今度 はどんな……むっ!」

 美味の目が素早く廊下へ向いた。

 つられて道矢も目をやるが、静まり返った廊下が見えるだけだった。

「鳴瀬道矢」

 声に道矢が目を戻すと驚きの光景が飛び込んできた。

 底なし沼へ飲み込まれる様に、彼女の足が床に沈み始めている。

「お礼が思いついたなら」

 スカートが、腕を組んだ胸が床の中へ沈む。

「いつでも私の名を呼ぶがいい、ではな」

 微かに笑みを浮かべた美味の顔が床に消えた。

 呆然と床の一点を見詰める道矢。

 その耳にキュッキュッという廊下を走る音が聞こえてくる。

 音の主は巳茅だった。

「お兄ちゃん、変種倒した女が部屋から消えたってこの前言ってたよね!?」

 棒立ちになっている道矢の元へ歩み寄った巳茅が握っていた紙を広げる。

「これじゃないの?」

 紙には荒い画像の写真と数行の文があった。

 それを見た道矢が口の中で唸る。

 写真には裸体の横半分を壁に飲み込まれた女性が映っていた。

 ちょうど走りながら壁の中へ消える寸前撮影された、そんな写真だった。

 女性の口元は赤黒い。

 血の色と道矢は理解した。

 女性の目は目撃者や追手を見ているのか右を向いている。

 写真下の文に目を移す。

〝変種土魚に新種の疑い。ドイツのミュンヘンにて石魚を追跡中の対変種土魚特殊 部隊が偶然被写体を目撃した(写真は防犯カメラからのもの)。消えた現場の立 体駐車場にあった遺体には、人が噛んだ様な傷が残されており、また傷口からは 土魚と同じ唾液が検出。変種土魚が人の形に変化した新種と考え検証と対策を急いでいる〟

「この新種じゃないの? 何でお兄ちゃん助けたかわからないけど……」

 問いに答える代わりに、道矢は親指の先を自分の背後へ向けた。

「え? ……うげっ! へ、変種? 何この数!?」

 言い終わる前に腰のホルスターに手を伸ばす。

「死んでるよ!」

 その声で手が止まった。

「まさか、またその女が来てたの? ここに……」

 怯えた声で問いかける妹に何でも無い様な顔を向ける。

「床に沈んで消えてった、でも」

 思案するように兄は目線を上げた。

「人を食べるタイプじゃないみたいだ」

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