第37話 カウントダウン あと2日

「咲希、今日はありがとう」


 世界が終わる三十六時間前。

 二月四日、午後七時。里山のふもとを健治と咲希は歩いていた。

 住宅地から少し離れた場所にある山は、健治たちにとってなじみのある場所だ。

 山そのものは登山道も整備されており子供でも登れるような観光地である。

 しかし整備されているのはごく一部だけで、斜面はおおよそ手つかずだった。

 自治会のつながりで秀人の父と所有者は面識があった。自治会の子供たちを集めてキャンプをしたことがあった。

 キャンプするのにちょうどいい河原は運動不足の大人が荷物を背負って行くには遠く、一年だけの催しとなったが、健治たちはキャンプに参加していた。

 特に秀人と所有者は気があったようで、自治会で訪れることがなくなっても栗拾いに呼ばれたりしていた。秀人と一緒にいた健治たちも顔なじみとなっていた。

 秀人ほど山に入り浸っているわけではないが、健治にとっても慣れた場所だ。

今日は咲希と二人で、山の中で展望台のように飛び出した場所に行ってきたのだ。


「私こそありがと。ほんと、久しぶりだったね。健が誘ってくれなかったら忘れてたかも」

「意外と忘れてることってあるよね。僕も良い場所ないかなってアルバム引っ張り出して思い出しているくらいだし」


 最近のデートでは、そういった思い出の場所を巡ることが多くなっていた。

 頻度は週に一度か二度。かつて三人で行った場所を二人で訪れる。

 長い付き合いだけに一緒に行ったことがある場所も多い。中には一度行ったきりの場所もあって、到着してようやくその場所での出来事を思い出すこともある。成長し、視界が広くなったことで気付けることもあり新鮮な気持ちで巡っている。


「今日のところだと……確か、あの柵は秀と管理人さんが一緒に作ったんだよね」

「あ、あー! そうだった。私たちが見つけて教えてあげたら、ちょっと危ないなって管理人さんが作ってくれたんだ。で、秀が手伝うって言ってた」

「そうそう。適当に倒れた細い木を見繕ったりしてさ。秀がナタで枝を切り落としたり、ちょうどいい大きさに揃えたり」

「子供にあんなごっつい刃物使わせるのは危なくないのって思ってたわ」

「わかる。秀の手つきが慣れた感じだったのもおかしかったよね」


 秀人が作った杭に管理人がロープを張って柵が完成した。年齢は秀人も健治たちと同じだったのに、管理人はほとんど保護者扱いしていた。子供心に釈然としなかったことは印象深い。

 健治や咲希にとって、思い出の場所となれば秀人の陰がちらつく。秀人と全く無関係な場所を探す方が難しいくらいである。


 いつの間にか健治は自然と秀人のことに触れるようになっていた。以前は二人とも秀人の話題をタブーのように思っていたのに、こうして名前を口に出して笑っている。

 数か月前、健治は咲希に「兄さんのことはもういいや」と言った。

 咲希は「そっか」とだけ言って、それ以上踏み込まなかった。

 直前の真治との会話が思い出された。真治はひどく狼狽していた。

 何かあったのだろうと想像できた。気にはなったが、うかつに踏み込めなかった。

 没交渉になっていて、片方がコンタクトを取ろうとしているくらいなら踏み込める。

 しかし、決定的な決裂が生じてしまった場合、それを自分が丸く収められると考えるほど咲希は楽天的ではない。口出しをするならそれとなく事情を探ってから、と考えていた。


 健治はそれを察したのか、かいつまんで事情を話してくれた。

 真治に会おうとメッセを送ったこと。アパートに会いに行ったが、会えなかったこと。職場でも顔を合わせることが無かったこと。アポイントのメッセに「ごめん」と返っていたこと。

 真治の不名誉になりそうな部分を削った上であらましを話した。そして「兄さんから連絡があれば会いに行く。そうでないなら仕方ない」と言っていた。

 その頃から健治の態度が変わった気がする。

 あからさまなデートスポットへ連れていかれることが減った。付き合い始めた頃には手を繋ごうと必死になっていた時期があったが、それもなくなった。人ごみではぐれないよう手を引いた時にさえ、まだ異性を意識していなかった頃のような手つきだった。


 どうしたのだろう、と思った。セックスどころかキスもさせなかったせいで見切りをつけられたのかと。

 誤解はすぐに解けた。健治は変わらず咲希を宝物のように扱ったからだ。

 以前と同じように好意は間違いなく伝わってくる。ただ、それが穏やかになっていた。これまで健治から向けられていた好意よりも、秀人から向けられていた親愛に似ていた。

 咲希にとってその距離感は心地よかった。会話して空回ることはなくなり、健治が上の空になることもなくなった。

 健治の中で問題に決着がついたのだろうと考えている。なぜ自分への態度が変わるものだろうかと思わなくもないが。


「そういえば咲希、秀から連絡来ない?」

「最近来ないね。前は時間かかってもメッセに返事をくれてたけど、最近はぜんぜん」

「咲希もか。連絡とろうとしても全然捕まらないんだよね」


 健治は週に一度程度、秀人にメッセを送っていた。

 最初は『いつ戻ってくる?』と。音沙汰が無くなってからは『咲希と動物園に行った』とか『とうとう学校が全部閉鎖した』といった短文を送っている。

 どんなメッセを送っても返事がない。何か怒らせるようなことをしたかと考えてみても心当たりはない。

 秀の身に何かあったのかと思って松葉夫妻に尋ねるも、元気なのは間違いないとあっさり返された。詳細なことは何も教えてくれなかったが、両親は連絡がとれているらしい。

 咲希のメッセにも返信がないなら、よほど忙しいのだろうとあたりをつける。


「それじゃあおやすみ」

「健も気を付けて帰ってね」

「ありがとう」


 咲希を家に送り届け、健治もまた帰路につく。

 道すがら松葉家、真治の部屋の窓を見上げるが暗いまま。


「秀、もうあと一日しかないんだぞ」


 まもなく世界が終わる。

 せめて顔くらい出してもいいんじゃないか。それともこのまま連絡も取らずに終わるのか。

 健治にとっては面白くない。秀人とは親しくしていたつもりだ。挨拶もなく終わりというのはとうてい納得できない。

 歩きながらスマホをいじり、メッセの画面を表示する。

 驚くべきことに、あと二日もしないうちに世界が終わるというのに、電気などのライフライン、メッセの機能は生きていた。最後まで仕事を全うしたいという公務員の人や、通信会社の人々の粋な計らいである。通話は遅延がひどくノイズが走るが、メッセならば少し遅れる程度で使用できた。

 文面を考える。秀人が思わず食いつくような、刺激的な文面は何か。

 この際嘘でもいい。訂正する機会はなくなるかもしれないがその時には地球も命もなくなっている。後悔する隙はない。


「……よし」


 我ながら悪趣味だと思うが、きっと秀人も無視はできないだろう文面を思いついた。


『咲希とセックスした』


 最悪だな、と思う一方でこれなら秀人も反応するだろうという確信があった。

 反応があったらすぐに嘘だと言えばいい。そんな軽い気持ちでメッセを送信した。

 やってやった、と興奮交じりに歩を進める。いつ返信があるか、と待ちながらの歩行は落ち着きがない。加えて常にスマホを気にしているので進みも遅い。

 健治はまだまだ子供だった。


 しかし返事はなく、それどころか既読も付かず、健治は自宅のマンションの敷地に到着した。

 攻め方を間違えたかな、とマンションのエントランスに向かった時だった。


「あ」

「お」


 口から間抜けな音が漏れた。

 気軽な声音が返って来た。

 記憶にあるより一回り大きくなっただろうか。

 待ち望んだ姿が目の前に現れたのに、驚きが強すぎて健治は思うように声を出せなかった。

 対する相手は軽く手を挙げて健治に歩み寄る。


「一年ぶりだな、健」


 松葉秀人がそこにいた。

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