第28話

 学園祭当日。

 会場となった高校は開校以来一番の賑わいを見せていた。半年前には登校する生徒が減り休校状態だったとはとても信じられないほどである。

 中庭には出店が、校舎内には展示やゲーム会場、喫茶スペースが詰め込まれている。持ち歩きしやすいものは出店で、腰を落ち着けて飲み食いしたい人は喫茶スペースと住み分けができていた。校舎の内、学園祭用に開放されたスペースに空き部屋はない。公開されていない部屋は倉庫や更衣室として扱われている。

 体育館ではあちこちの学校から集まったバンドや軽音楽部の演奏が常に鳴り響いている。防音を強化してなお聞こえてくるので館内は相当な騒がしさと分かる。

 校庭では各学校から集まった運動部たちがミニゲームを繰り広げる予定だ。特に午後のサッカーについては地元チームの人気選手が参戦を表明しており相当な盛り上がりが予想される。

 どこもかしこも普通に学園祭をやっていた頃とはけた違いの盛り上がりを見せていた。


「まあ、そんなイベント主催者たる私は本部に詰められてるんだけどね!!!」


 学園祭実行委員会の本部で実行委員長が吠えていた。

 午前十時に一般開放しておよそ一時間が経過した。

 その間、ひっきりなしに連絡が来るのだ。

 やれ、ガスが使えないだの、列がぐちゃぐちゃになって揉めているだの、自力でなんとかしろと言いたくなるようなものが多い。

 前者は管理部門の教師に頼み、後者は自ら仲裁した。

 ずっと部屋に籠っているわけではない。仲裁だって少しは学園祭気分を味わいたくて自ら出向いたのだ。結果は楽しそうにしている人たちを見て恨めしさが募っただけだったが。


「実行委員長の宿命というやつですか」

「こんなもんなるんじゃなかった」


 本部にいた小百合に愚痴りながらもタブレットを手にメッセを飛ばしている。今もあちこちから報告が届いているのだ。

 その場の人たちが自力で解決したトラブルも対策しなければ何度も発生するかもしれない。対策のため何かあればとりあえず連絡する手はずになっていた。

 大変だな、と他人事のように観察する小百合。

 ローマ計画のことを知っているので、実行委員長の忙しさはあとの楽しみを引き立てるスパイス程度に考えている。

 そんな小百合は実行委員長が受けた報告の中で、対策が必要なものをまとめていた。注意書きの張り紙をする程度であればすぐに文章を作って配るなど手伝っている。


「ありがとうねさっちゃん。私の味方はあなただけよお……」

「実行委員の人が聞いたら泣きますよ」

「いいのよあんなやつら。私が当日遊べないって嘆いてるのを見て笑ってるようなやつらなんだから」

「それは……まあ」


 あと三十分もすれば副委員長が戻ってきて、以降は閉会式まで務める予定だ。

 実行委員たちは、当日実行委員長が遊ぶ時間を確保できていたからコミカルに思ったのだ。決して嘆いている姿を嘲笑っていたのではない。

 と、少しは弁明してあげたいところだったが、約一名ふくいいんちょうは心底楽し気にからかっていたので言葉に詰まる。


「ていうかごめんねえ、当日にまで手伝いさせちゃって」

「別にいいです。この後は予定通り外しますから。どうせ午前中は一緒に回る人もいなくて退屈だったんですよね」


 咲希は健治と回る予定。同級生たちは仲が良いもの同士で固まる。

 仲が良い同級生はいるが、最近学校に来ていなかった人たちも来るらしく、そこに入ろうとすれば場違い感に悩まされることになる。

 朝食はしっかりとったので空腹感はない。展示物の類は準備期間中にだいたい見ている。どうせ午後にはまた訪ねると思うと、一人で回りたいとは思わなかった。

 そんなことを話しているうちに十一時三十分となった。小百合は抜ける時間である。

 時間きっかりに健治と副委員長が本部に戻って来た。


「じゃあ、わたしはこれで。お疲れ様です」

「さっちゃんお疲れ。学園祭楽しんでね。それで、健治はともかくなんであんたがいるのよ」


 小百合に笑顔で手を振った後、実行委員長は副委員長に訝し気な目を向けた。

 健治はこれから入ると日程表にあったので理解できる。しかし副委員長が入るのはまだ先のはずだった。


「交代ですよ、委員長」


 副委員長はにやにやしているだけなので健治がそう告げた。

 実行委員長は机の上に貼ってあったシフト表をはがして確認する。残念なことに日程のほぼすべてに自分が入っている。

 昼食の時間ということで昼に三十分休憩があるだけで、何度見てもそれは変わらない。


「私、閉会式まで詰めてるシフトなんだけど」

「ふふ……ふふふふふふ!」

「あー、詳しくは副委員長から。これが最新版のシフトです」


 健治がポケットから取り出した四つ折りのシフト表を実行委員長が開く前に副委員長が怪しげな笑みを浮かべる。実行委員長はまた変なことを言い出すのではないかと警戒している。


「ふははははへっごほげほっ、おほん、まさか本当に一日詰めているようなシフトだと思ったのか馬鹿め」

「副委員長、大丈夫ですか。これどうぞ」

「あ、ありがと……へぶっ!」


 高笑いしてむせた副委員長に健治がキャップを開けたペットボトルを差し出した。

 素直に受け取り口に運ぶ副委員長だったが、健治が渡したのはサイダーだった。炭酸が気管に入ってさらにひどくげほごほむせていた。

 実のところ、健治も副委員長にウザ絡みされることは何度かあったのである。決して嫌っているわけではないのだが、学園祭が終わる前に一度くらいやり返しておきたかった。人知れずニコーと笑った。


「こ、この野郎……」

「副委員長、むせてないで説明を。委員長ぽかんとしてますよ」

「お前がそれを言うかね」

「なにこの茶番」


 埒が明かないと判断した実行委員長は健治から渡されたシフト表を開く。

 誰がどう変わったのかと、もともと渡されていたシフト表を見比べる。


「……これ、まじ?」


 一目で違いが分かった。

 信じられず、十秒ほどたっぷり眺めた。

 何度見ても違う個所は明らかだった。

 自分のシフトが激減していた。

 具体的には今から閉会式までの間は全て自由時間だった。


「あっ、副委員長がぐずってるから実行委員長見ちゃいましたよ。これじゃインパクト弱いですよ。あーあ」

「だからきみがそれを言うかね」


 やいやい言い合っていた健治と副委員長が実行委員長の雰囲気が変わったことに気付く。

 健治のわざとらしいため息に副委員長は何か言いたげだったが、それよりも実行委員長のことが優先だった。


「まあ、見た通りだ。きみはもう閉会式までお払い箱ってこと」

「……これ、あんたが作った偽物のシフト表で、浮かれて遊んでたらあとですんごい怒られるとかないでしょうね」

「それが本当のシフト表っていうのは間違いないです。この人が信用できなかったら他の実行委員に聞いてもらえれば。みんなに話は通ってるので」

「そうなんだ」


 と、言いつつ実行委員長はタブレットで実行委員会のメッセに『私、これから閉会式まで自由時間って本当?』と打ち込んだ。

 迷いない動作だった。副委員長は能力的には信用されていても人格的にはまったく信用されていなかった。ほんのり肩を落とす副委員長を見て、日頃の行いって大事だなーと健治は思った。

 まもなくメッセに複数のレスが返って来た。

 『本当です』『ちゃんと遊んでください』『楽しむのも仕事です』『お疲れ様です』

 実行委員長はぎゅうっとタブレットを握った。


「というわけですので、早く遊びに出かけないともったいないですよ」

「うん……」


 なんだか信じられない心持ちで実行委員長は手荷物を探す。

 一日ずっと作業しているつもりだったので、夢を見ているような、足元がふわふわするような心地である。

 結局副委員長は大して絡みもせず、比較的おとなしく実行委員長を見ていた。

 だんだんと現実を認識して楽し気になっていく実行委員長に、副委員長の目じりがほんのり下がる。どことなく誇らしげだ。


「なんとなくわかっていると思いますが、実はこれ副委員長の発案です」

「ちょ、お前言うなし!」


 黙っているつもりだったのだろう副委員長が叫んだ。

 自分で言うなら口出しするつもりはなかったが、副委員長は黙っているつもりだった。

 そのことに気付いたからこそ健治は明言した。

 陰で誰かのために頑張っている人が報われないのはたくさんだ。

 実行委員長の代わりに入ったのはほぼ副委員長だから言われなくても分かるかもしれないが、万が一ということもある。


「なんで言うんだ、言わない方が格好いいだろう」

「副委員長のカッコつけなんて僕の知ったことじゃないんで」

「健治の無粋! ヘタレ! えーと、非モテ!」

「彼女いるんでもうモテなくていいですね」

「くそがー!」

「副委員長」


 健治と副委員長がぎゃいぎゃいやっていると、実行委員長が横やりを入れた。

 二人はぴたりと静かになり、実行委員長に揃って顔を向ける。健治だけはすぐに顔をそむけた。

 これは健治に向けられた表情ではない。


「ありがと」


 口の減らない副委員長だったが、この時ばかりは「ああ」とか「うん」とかはっきりしない返事のようなものを口にして、へどもどしながら実行委員長を見送った。


―――


 杖を持った前島歩は呆然と目の前のアーチを見上げた。

 学生の手仕事感満載の、塗装の継ぎ目が見える、美しいとはお世辞にも言えない出来のアーチだが、とても誇らしげに立っていた。

 アーチの向こうはまるで別世界のようににぎわっている。閉塞感などまるでない、ただ出入り口を飾り付けるだけのアーチが、歩の目には非日常への門に見えた。


「前島くん、ぼーっと突っ立ってると邪魔です。さっさと入りましょう」


 左手首を掴んだ小百合に軽く引っ張られる。

 歩が気圧されたアーチにも小百合はまったく動じない。学園祭の準備で日常的に出入りしていたのだから当然だと思う一方で、小百合はこれを作り上げた側の人間なのだと思い知る。

 歩の手を引く力は強くない。この場に留まろうとすれば小百合も無理に引っ張ることはないだろう。

 強く脈打つ心臓を落ち着かせるよう深呼吸しながら、どうしてこんな場所に立っているのか整理する。




「前島くん、先日お話しましたが、今日は学園祭です。行きましょう」


 一時間ほど前のこと。いつも通り病室で昼食をとる歩の横で小百合が言った。

 唐突な訪問だった。

 これまでも病室へ来る際に事前連絡はなかったが、おおよそ夕方以降に訪ねてきた。朝に来たのは失恋したと言ったあの一度だけだ。

 最近は見舞いに来る頻度は下がっていた。学園祭の準備をしていると話には聞いていた。一度、実行委員の手伝いをしないか誘われたこともある。

 手伝いは断った。それ以来、学園祭の話は雑談に顔をのぞかせる程度で深い話はしていなかった。

 口に入れていたご飯を咀嚼しながら考えを整理する。そしてごくりと飲み込んだ。


「行きましょうって、どこへ」

「学園祭です。今の話の流れで他の何だと思うんですか。昨日誘いましたよね」


 小百合は昨日の夕方にも病室へ来ていた。

 いつもと様子は変わらなかった。小百合も健治もそれぞれ別の本を読んでいて、気が向いたときにぽつぽつ雑談をした。

 両親に疎まれていることが分かってから何事にも上の空になっていた。ぼんやりと本を読んでいたので、小百合の話も聞き流してしまっていた。言われてみると明日(つまり今日)学園祭があるので遊びに行きましょうと言っていたような気がする。

 自分がどう返したのかよく覚えていない。つまり覚えていないほど雑な返事をした。きっと「ああ」とか「うん」とか肯定に聞こえる返事をしたのだろう。


「……僕、まともに歩けないんだよね。学園祭に行っても会場に入る前に力尽きるんじゃないかな」

「真治さんに聞いたらいまだにリハビリ続けていてちょっと学園祭を回るくらいなら問題ないって言われたんですけど」

「患者のプライバシー保護とかどうなってるの」

「前島くんが学園祭に行きたいって言ってるんで案内していいですよねって聞いたらすごく喜んでました。真治さん、普段は個人情報保護を徹底してますけど、よっぽど嬉しかったんじゃないですか」


 言葉に詰まった。

 以前の歩は積極的に、生き生きとリハビリに臨んでいた。

 今では死んだような顔で機械的にリハビリを行っている。

 その変化の違いをまざまざと間近で見せつけられたのは真治だ。

 何度も「何かあったのか」「力になれることがあったら教えてほしい」と言われた。

 複雑な家族関係を抱えている真治に両親の話をすることは憚られた。真治がどれほど手を貸してくれても根本的な問題解決には至らない。だから「なんでもありません」「気にしないでください」と言った。

 だらだらと惰性でリハビリする自分に付き合わせるのは申し訳ない。今後は一人ですると告げたが「今の歩くんに一人でリハビリはさせられない」と今でも付き添いを続けてくれている。

 心配をかけていたのだと今さら痛感する。一人でリハビリさせられないというのも、捨て鉢になって無茶なメニューを始めないか、無理して怪我をしないかと案じてのことだろう。気にするなと言われて気にならなくなるくらいなら、初めから気にかけていない。

 そんな歩が自分から何かしたいと言い出した。伝聞でもそれを伝えたのが古くから顔なじみの小百合である。詳しい診療情報や住所など明確な個人情報だったら口を割ることはなかっただろうが、学園祭を回れるかといおうアバウトな質問だったためこぼしてしまった。

 心配をかけた自覚が出来ただけに真治を責めることはできなかった。


「でも、僕がいたら松葉さんが楽しむ邪魔になるんじゃないかな」

「わたしは最初から学園祭にはそれほど興味がありませんので気にしないでください」

「うそ、興味ないならどうしてあんなに頑張って準備するのさ」

「暇つぶしです」

「暇つぶしかー」


 曇りない瞳で断言されて反論できなかった。

 残り少ない時間をそんなことに使っていいのかと思わなくもないが、似たようなことをしている歩にそれを言う権利はない。

 小百合が暇つぶしと言ったのは半分くらい本当である。あと半分は咲希が楽しみにしていると聞いたから。

 どうせなら咲希と一緒に回りたいところだが、咲希は健治と回る予定となっている。健治が本部に詰めている時間を狙おうにもすでに友達との予定が入っていると小耳に挟んだ。誘うに誘えずどこかで偶然を装って話しかけようと思っている。


「前島くんが行きたくないなら無理にとは言いません。言った通り、学園祭の準備も、こうして前島くんを誘っているのも暇つぶしみたいなものです。興味があるなら連れて行ってすごいでしょうと言いたいところですが、嫌なら仕方ありません」


 小百合は一歩引いた。

 学園祭の実現のため頑張ったのは確かなのだ。出来上がったものを見せて自分たちの成果を自慢したい気持ちはある。

 ただ、そのために学園祭に来たくない人を無理やり引っ張り出すつもりはない。嫌々連れて来られて退屈そうな人を案内するのは想像するだけでもつまらない。

 とはいえせっかく校舎内に緊急用の車椅子を配備したので、もう一押しだけしてみる。


「やっぱり行かないと聞いたら真治さんはがっかりするでしょうが」

「それ松葉さんのマッチポンプだよね」


 真治に歩が学園祭に行きたがっていると言ったのは小百合である。

 歩が学園祭に行かないと決めたら、小百合はそのまま学校に戻るのだろう。真治にことのあらましを説明することは絶対にない。残念そうにする真治にあれこれ説明するのは歩になる。

 心配をかけさせ、喜んでくれたのをぬか喜びにさせたくはない。


「前島くんがわたしの暇つぶしに付き合ってくれればマッチポンプにならずに済みますよ」


 しれっと言い放つ小百合は歩の答えを半ば確信しているように思えた。

 歩が乗り気でないのは、学園祭を楽しむ誰かの邪魔をしたくないからだ。

 学園祭そのものを楽しみにしておらず、開催に深く関わった小百合は案内役としてこれ以上ない。こうして歩を招く以上、下準備は万全のはずだ。

 心配事を除いて考えれば興味はある。この状況で学生が頑張ってどれだけのものが作れたというのか見てみたい。


「分かった。行くよ」

「じゃあちゃっちゃか支度しましょう。のんびりしてたら終わってしまいますよ」


 歩は小百合にせかされるまま準備を整えた。




 そして学園祭の会場に到着し、歩は圧倒されていた。

 認めよう。歩は実行委員たちを見くびっていた。学生が集まったところで、普通の学園祭よりしょっぱいものしかできないと思っていた。せいぜい学生の数が多いだけの粗雑なものが出来上がっていると想像していた。

 実際に来てみれば歩が知るどの学園祭より盛大だ。正門を入ってすぐのところには誘導員が設置されており、きちんと運営されていることが見て取れる。

 やるなあ、なんてどこか上から見ていた。そのことを人知れず反省する。


「もしかして、つらいですか」


 歩の腕を引いていた小百合の手が緩む。

 小百合は歩のリハビリを見たことがある。雑談の中で症状について教えたこともある。歩の体については概ね正しく認識している。

 しかし、当然ながら完璧に把握しているわけではない。医者にも分からない病状の詳細なんてとても分からないし、体のつらさは想像するほかない。

 引っ張り出したのは小百合だが、悪意があってのことではない。無理をさせては本末転倒だ。

 顔を下からのぞき込んで来る小百合にぐっと踏ん張り顔を上げた歩が言う。


「大丈夫。行こう」


 ここまで来たのだから、どれほどすごいのかもっと見てみたい。

 小百合に手を引かれることなく、歩は一歩踏み出した。

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