第23話 大学園祭

 帰ってきてほしくない時には帰ってきて、帰ってきてほしい時に返ってきてくれないのが家族というものである。

 小百合がさっさと帰って来いと言った翌日も、その翌日も、秀人は帰ってこなかった。

 そのことに不満はない。小百合の期待に都合よく応えてくれるなら初めから嫌ってなどいなかった。むしろ今回に限ってすぐ帰ってきたら気持ち悪がったかもしれない。


 ここ数か月、小百合の日常は変わらなかった。

 最近は咲希を誘って遊びに出ることが多かった。

 咲希と健治が付き合い始めたことで遠慮ができた。健治より自分をかまってほしいが、それで咲希に迷惑をかけるのは嫌だった。


 とはいえ咲希はちょくちょく松葉家に遊びに来ていた。来るたびに秀人の靴がないか確認しているようだったが、無意識的なものだろうと納得できていた。今ではその様子を見ていら立つこともない。

 咲希と健治は相変わらず。距離が近いんだか遠いんだかよく分からない関係を続けている。

 友達と遊ぶことはあれどそう頻繁ではない。世界が終わる瀬戸際にで一緒に過ごしたいと思うほどの友人はいなかった。


 家でゆっくり過ごすのも悪くないはずなのにそういうつもりにはならなかった。

 秀人がいなくなり心穏やかに過ごせるはずなのに家にいようとは思えなかった。

 どこか家の中の空気がよどんでいる気がした。


 結果として毎日学校へ行き、同じように足踏みしている友達と話し、帰りに病院に寄って歩の病室を訪ねる。

 歩は元気がないように見えた。

 両親の喧嘩を目撃した当日に比べればだいぶマシな様子ではあった。

 小百合にはそれが空元気に見えて仕方なかった。


「前島くん、今度学校に来ませんか」


 いつも通り病室に寄った小百合は歩にそう提案した。


「今さら学校に行っても何もすることがないと思うんだけど」


 歩は困惑していた。

 公立の中学校でも授業が大幅に減っていた。生徒も教師も減り、休校となった学校もある。

 休校となった学校の、やる気のある教師はそのあたりで比較的運営がまともな状態の学校に移った。生徒に対しては運営している学校を周知し、登校は任意となった。運営している学校でも授業は不規則で、顔見知りがいるかどうかも分からない。

 中学に進学してすぐに入院した歩の知り合いはいないと考えていいだろう。

 授業がなくて、知り合いがいるわけでもない。

 見知らぬ病人に積極的に話しかける好奇心旺盛な人はとっくに興味の対象を見つけて学校に来なくなっている。歩が登校しても遠巻きにひそひそ噂されるのが関の山だろう。それどころか学校に行っても誰もいない可能性すらある。


「実は今、学園祭の計画が立っているんですよ」

「あれ、去年は中止になったんじゃなかったっけ」


 小百合が通っている中学校の学園祭は毎年九月に行われていた。

 歩が言った通り、昨年は学園祭が中止になった。

 教師の数が足りなかったこと、学校に通っている生徒が少なくなっていたことが主な理由である。

 運営するには生徒が足りず、それでいて模擬店などをしようと思えば監督役の教師が足りない。

 中止になったというよりも実行できる状態ではなかった。


「去年、中止にはなったんですけどそれに抗議する人もいたんです。意外とたくさん」

「たくさんって、誰が抗議したの?」

「普段登校していない人たちです」

「なんでまた……」

「授業は受けたくないけど学生っぽいイベントには参加したいんじゃないですか」

「うわあ」


 歩は失笑した。

 なんてムシのいい話だろう。学生の本分は無視して楽しい部分だけは参加しようなんて。

 一方で、自分はとやかく言えないなと思う。なにせ中学校における歩の登校日数は両手の指で数えきれる程度なのだ。籍をおいているので書類上は生徒だが、事実上生徒ではないとすらいえる。


「結局、うちの学校では学園祭を開催しないことになりました。人も物もお金もないので」

「あ、結局やらないのね」

「なので、このあたりの中学校、高校の人たちで人と物とお金を出し合ってやろうぜって話が出ました。生徒会の人たちが頑張ってうちの学校もそれに参加します。大文化祭の開催です」

「すごいな」


 まるで漫画のような話だ。

 漫画の生徒会は謎の権力や資金を持っていることが多い。

 対して現実の生徒会は生徒と先生の間に立つ中間管理職的なものであったり、ただの使いっぱしりだったりする。当然、大した権力も資金も持っていない。生徒の意思決定機関とうたっても名ばかりであることがほとんどだ。

 小百合が通っていた公立中学校も多分に漏れない。

 その状況で主張を貫いた。

 やるなあ、と思った。


「思ったより盛り上がっていて人手が足りないんです。準備の手伝いをすると言えばみんな喜んで受け入れてくれると思います。どうですか?」


 あちこちからリソースが集まったことで、例年の学園祭に比べてはるかに大規模となっていた。

 運営委員会でもこれほど大きな会を開催するノウハウはなく苦戦気味。そして学校に来ないで学園祭だけしたいという層に、地味で大変な運営を手伝おうとする人はいない。そういった仕事を手伝いたいと申し出れば諸手を挙げて歓迎するだろう。


「ありがとう。でもいいや。まともに歩けもしないんだから邪魔にしかならないし」

「でもリハビリは続けてますよね」

「……まあね」


 何気なく言い返されて言葉に詰まった。

 歩はリハビリを続けていた。

 以前ほどの気力はない。積極的に取り組む理由もなくなった。

 なのにずるずると続けている。

 惰性だ。やる気が出ないならすっぱりやめてしまえばいいのに。付き合ってくれる真治にも申し訳ない。

 それとも、どこかで両親の喧嘩は幻聴だったとでも思っているのだろうか。


「リハビリしていても動くのに不自由なことは変わらないからさ」

「動き回る仕事もありますけど、事務仕事も山ほどありますよ。わたしも手伝ってますが、二度とやりたくないくらいの量です」

「それ聞いてじゃあやるって人はあんまりいないと思うよ」


 吐き捨てるような調子になった小百合。歩は困ったように笑いながら返事をした。

 幸いなことに筋力と違って知力は衰えていない。書類のチェックくらいならできるだろう。

 しかし、歩を受け入れるということは大きなリスクを背負うということだ。

 歩の病気にはいまだに謎が多い。入院している理由のひとつは、いつどんな異常が生じても対処できるようにするためだ。

 急に心筋が止まって死ぬようなことがあっても構わないと歩は考えている。今でも世界の終わりが早まることを願っている。

 学園祭の準備を手伝っている時に発作が起きた場合、困るのは受け入れてくれた学校の人たちだ。学園祭の準備を病人に手伝わせ、その人が死んだとなればさらに忙しくなるだろう。学園祭が中止になることもありうる。

 体調的に困難で、学園祭中止の可能性をもたらすくらいなら関わらない方がよっぽどいい。

 世界なんて終わってしまえと思っていても、頑張った人に馬鹿を見てほしいわけじゃない。


「そうですか。残念です。開催の時期になったらまた声をかけますので、気が向いたら行ってみましょう」


 小百合はあっさりと引き下がる。

 気分転換になればいいと思って誘っただけだ。当人が嫌だと言っているのに無理に誘うつもりはなかった。


「うん、ありがとう」


 あまり気は乗らないがうなずいた。小百合の気づかいを足蹴にするようなことはしたくなかった。

 前ならきっと首が取れるくらいの勢いでうなずいていただろうに。自分の変わりように笑いそうになったが、笑えなかった。


―――


 ある日の夕方、小百合は近所の高校の会議室にいた。

 小百合は学園祭の実行委員会に協力している。

 正式なメンバ―ではないが、所属中学校の代表に準じる立場である。

 積極的に学園祭を開催したいというわけではない。何度か正式メンバーにならないか誘われたが断っている。

 ならばなぜ協力しているのかというと、他にやることがないからである。


 咲希と健治が付き合っていると聞いてから小百合は自分の無趣味さを痛感した。

 これまでは暇があれば古着屋に行ってみたり新しいコスメをあさってみたりと忙しくしていた。

 それらは全て気を引きたい人がいたからしてきたことだ。

 着飾ることが楽しかったのではなく、着飾った姿を見た時の反応を想像するのが楽しかった。

 今ではもうさほど魅力を感じない。

 漫画を読むが基本的に咲希が好きだったもの。ゲームはほとんど触らない。おいしい料理を作れたら気分がよくなるが、ひとりで食べていると虚無感に襲われる。インターネットで動画を見るのも犬猫の動画程度。

 運動するのはわりと好きだが、女一人での外出は危険となってしまった。リスクを冒してまで運動したい、遠出したいと思うかといえば、それもない。

 とりあえず勉強しようかと思っても、成果を確かめるより早く地球がなくなると思えばやる気がわかない。

 ぽっかり予定に穴が開いていた。暇な時間を持て余していた。

 あまり家にいたくない。かといって病院にずっといるわけにもいかない。

 そんな小百合にとって学園祭は絶好の暇つぶしだった。


 学園祭そのものにこだわりはないので正式メンバーになるつもりはない。

 それでも時間を費やして準備していれば愛着も湧いてくる。

 咲希が楽しみにしているという話を聞いたからなおさらである。


「さっちゃん、正式メンバーになってよー、こっちの仕事も手伝ってよー」

「発注のチェック終わりました。申請書のチェック始めます。正式メンバーにはなりません」

「なんでよー。こんなに手伝ってくれてるのにさー。正式加入すれば内申書にもきっと書いてもらえるよ? 合同学園祭で主導的な立場でー、とか」

「主導できないですし。わたしだけノリが違う集まりのメンバーとか疎外感強そうなんでいやです。あと、内申書に書いてもらっても使う前に地球がなくなってます」

「くそー、あたしは諦めないからなー」


 恨みがましいとも少し違う、執念のこもった視線を受けてちょっと居づらくなる。

 実行委員長はひどく疲れていた。

 合同学園祭の言い出しっぺは彼女だが、想定していた形とはずいぶん違うのだそうだ。

 昨年、所属している高校の学園祭がなくなったと聞いた彼女は教師たちに抗議するのと同時に今年は無理だと諦めた。

 学園祭は生徒が主導でやると言っても、実際は教師の協力が欠かせない。そして教師も嫌がらせで中止と言っているのではなく、金銭や人材といったどうしようもない理由があった。

 そもそも教師になるような人は学校に良い思い出がある人が多いのだ。教師になった今も関わりたいと言ってくれる人はそれなりにいた。


 昨年、学園祭の中止を聞いた実行委員長は、表では開催するよう学校に抗議しながらも狙いを翌年にシフトしていた。

 今から間に合わせで準備して、無理やり開催しても中途半端で面白くないものになる。

 ならば今年の分のリソースを来年につぎ込んだ方が面白い。

 本来なら来年は受験生のはずだったが、合格しても大学に通う前に世界が終わる。

 なら内申点とか成績とか気にすることないよね、と学園祭の開催に注力した。

 学校に抗議するのは翌年向けの予算をもぎ取りやすくするためだ。そのためだけに当時も登校していた人たちから署名も集めた。

 人材不足を解消するために近隣の学校に通う知人に声をかけた。教師にも声をかけてもらい、大人の協力者を増やしていった。


 思いのほかうまくいった。

 うまく行き過ぎた。

 当初の予定ではこれから閉鎖されそうな学校を借りて、仲間内でやる予定だった。

 登校している人数も少ない。自然とミニマムな学園祭になるだろうと思っていた。

 ところが予想をはるかに超えてたくさんの協力者が集まってしまった。

 彼女が当初想定していた学園祭なら三回やってもおつりがくるくらいに。

 おかげで仕事は山積み。準備を楽しむ余裕すらなく忙殺され今に至る。

 地味な準備を積極的に手伝ってくれる、事務仕事に関しては自分に次ぐくらい精通してきている小百合のことを、彼女はたびたび勧誘していた。


 頼られて悪い気はしない。家で鬱々としているよりもよほど充実感がある。もう少し準備に力を入れていいかなと思うこともある。

 ただし思うだけだ。実行には移さない。

 実行委員の人たちはみんな心から学園祭を楽しみにしている。大変な準備すら楽しんでいる。学園祭でどういうことがしたいのか、どういうものが見たいのか明確なイメージがあって、その実現のために尽力している。

 間近に接していると尊敬の気持ちすら芽生えてくる。

 彼ら彼女らは、世界が終わるんだから何をやっても無駄だとなげやりになるのではなく、世界が終わるならその前にやりたいことやっちゃおうぜと前向きに生きている。

 その情熱に圧倒される。


 小百合は一歩身を引いた。

 自分はこうなれないと思ったからだ。

 一度そう思ってしまうとどれだけ誘われてもいい返事はできなかった。

 今は外様の手伝いだからいい。もしも実行委員会の一員になってしまったら、情熱を持っていない小百合は異物になる。

 異物としてここにいたいとは思わなかった。


「飲み物を買ってきます。実行委員長も何か飲みますか」

「ミルクティー……それかコーヒー。カフェインとれるやつ。エナジードリンク以外で。あと、アイスがいい。これでさっちゃんのとまとめて買ってきて」


 実行委員長は小銭入れから五百円玉を取り出し放り投げてきた。

 おとなしく受け取る。以前断った際にしつこく絡まれて以来、実行委員長から言い出した際には素直に従うこととした。

 校舎一階、学食のそばにある自動販売機なら紅茶もコーヒーも売っている。

 すっかり通いなれた高校の廊下を歩く。

 本来なら小百合が歩くことはなかった建物だ。そう思うと楽しみを先取りしてしまったような、見られなかったものを見れたような、不思議な気持ちになる。

 ただし物珍しさはなくなっている。珍しがるには頻繁に歩きすぎている。


 自販機で実行委員長用にアイスミルクティーを、自分用に無糖の缶コーヒーを買った。

 取り出し口から缶を取り出し、顔を上げる。

 すると人の足が目に映る。

 小百合が顔を上げると気まずそうな顔があった。


「こんにちは」

「こんにちは」


 お互いそこで言葉が途切れた。

 所在なさげに立っていたのは鈴片健治だった。

 幼馴染とは思えないぎこちなさの二人が遭遇した。


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