嫌われ者のアルカード1-2

「ここかァ!」


 バァン、と部屋の扉が大きな音を立てて開け放たれたと同時に、まるで子どものような奇声が響き渡った。

 ギョッとしたエディが、扉の方を振り返る。


「お前は……カンタレラのガキ!」


 何が起こったのかわからないレオンは、やっとのことで首を擡げてエディの背後を見た。

 随分広い部屋だったらしい。ベッドから扉までの距離が十メートルはあろうか。

 そして、その扉のところには、見覚えのある男が一人で立っている。


「おおっと、失礼。お取り込み中でしたか。アホみたいに広い屋敷なもんで、迷子になってしまった。――ははぁ、エディ様あんた、若い男も相手に出来るわけですか」


 先程、レイナードの一件で会ったあの黒髪の吸血鬼だ。アルカード・カンタレラ! 間抜け面でエディを見つめ、ニヤニヤしている。

 アルカードは、吸血鬼にしてはやけに……その、なんと言うか、情緒に欠ける性格のようだ。風貌はまさしく吸血鬼のそれである。赤い双眸、裏地の真っ赤な黒マント、上質そうな黒のタキシードの下に着たブラウスには、大振りのフリルが付いている。


 ただ、それを身につけた本人は、ギリシア神話に登場する軍神マルスを彷彿とさせる凛々しい顔を、だらしなく緩ませてへらへらしている。なんとも緊張感に欠ける顔だ。

 見ず知らずの人間に好き勝手思われているとは露知らず、アルカードは呑気に欠伸を放っている。


「なあ、ところでエディ・ソワーズ様、大広間に戻るには、どこをどう辿ればいい? かれこれもう四十分も迷子でな」


「出て行け。今はお前の相手をしている暇はないのだ」


 エディの鋭い声が、矢のごとく飛ぶ。

 わざとらしく肩を竦めたアルカードは、「やれやれ、気難しいお人だ」と呟いてその場を去ろうと、身を翻した。


「待て!」と、渇いた声が響く。

「ん?」


 動きを止めたアルカードは、首だけを声の主、寝台の上のレオンへ向ける。

 レオンは力を振り絞って上半身を起こすと、アルカードに向かって右手を伸ばした。目の前のエディが、「もうそんなに動けるのか」と言いたげに目を見開く。

しかし、声帯には少しの力も入らず、「助けてくれ」の一言がなかなか音を成さない。


 それでも深緑の瞳に漲った鋭い眼光だけは、力強く生への執着を物語り、吸血鬼の赤い瞳を熱く射抜く。


 ――助けろ!

 レオンはアルカードの目を見つめ、声にできない願いを訴えた。

 アルカードも、レオンの目を見つめている……。すると、吸血鬼の真っ赤な瞳が、刹那、きらりと光を放った。


「何をしている。早く出て行け」


 エディが苛立たしげに言った。


「へーへ。お邪魔虫はさっさと退散いたしますよっと」


 アルカードはレオンから目を逸らして、皮肉っぽく吐き捨てながら去って行った。

 バタンと扉が閉まって、今度こそ彼らの間に割り込んでくる者はいない。

 完全に希望を絶たれ、レオンは後頭部を柔らかな枕に沈めた。

 生への渇望を見せていた瞳からは、ぎらついた光が失せ、まるで死人のように、濁った眼で虚空を見つめている。

 そんな姿を見て、エディは満足げに微笑むと、

「ふふふ、諦めのいいことだ。では、大人しくしているうちに戴くとしよう。それから意識の飛ぶ直前に、右腕をぶった切ってやる」


 再び煌く鬼の牙が、少年の首筋に冷たく触れた。

 レオンはぎゅっと目を瞑った。

 無慈悲な牙が、レオンの白き首筋を穿つ――より早く。


「――なんてな」


 部屋の空気が大きく動いた。

 動けないはずのレオンが、素早く身体を起こした瞬間、がっしりと固めた拳でエディの左頬を殴ったのだ。


 避ける暇もなく、エディは振りぬかれた拳と同じ方向へ吹っ飛び、寝台の傍にあった間接照明と、小さなテーブルを巻き込んで盛大に倒れこんだ。

 レオンは寝台から飛び降りると、脇目も振らず近くの窓ガラスに突っ込んで、砕け散る破片と共に外へ飛び出した。窓を破ってから、ここが二階だということを知る。 あわてて受身を取って、乾いた土の上を転がり、打った腰に鈍痛を抱えたまま、屋敷の裏手へまわった。


「はあ、はあ……!」


 急に身体を動かしたので息が上がった。切迫した息が夜の外気で白く色付き、視界がほの白く染まる。

 もう後には引けない。

レオンはシャツの中に忍ばせていた十字架を握り締めると、きつく目を閉じて、「ルシー、父さん……」と呟いた。

 数秒後、そっと開いた吸血鬼ハンターの目には、何者にも屈しない強い意志が宿っていた。


 シェダール家の若き当主と、吸血鬼社会のトップに属する美貌の吸血鬼の戦いが、今、この廃城で開幕した。

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