第6話 初めての昼食タイム


 学園生活で今後知っておかねばならない状況を共有し、特に王子の入学する年ということで特に厳しい指導があった。

 側近の息子も同時に同じクラスで過ごすのだ。

 彼らは特殊、ただの『生徒』が気安く接することを厳しく戒める言葉が並んだ。


 この学園に入学できる資格を持つのは爵位を持つ貴族の子女、もしくは多額の寄付金を納めることが出来る金持ちの子、または地方の領地を治める無位の領主の後継ぎ。

 例外として国が才能を認める者と限られるが、これが主人公の立場で特待生と呼ばれる。


 それぞれ己の領分を弁えている者ばかり。


 わざわざ注意喚起などしなくとも、貴族の子女は学園内で王子に無礼を働こうだなど思いもしないはずだ。

 この国の貴族社会はあらゆる場面で厳格な身分差を表現する。

 王政を敷く王国でその最も地位の高い王子に難癖をつけるアホな生徒がこの学園にいるはずがない。

 長い歴史の中で柄の良くない下級貴族が王子に絡んだり事件に巻き込む事件があった――らしい。


 己の立場を弁えた振る舞いを心掛けるように。


 教師は険しい顔で忠告するが、そんなものが見咎められたら翌日からさようならだ。

 学園ではなく、王国から。



 ――ゲームでは主人公でさえ、王子と言うキャラクターに近づけたものではなかった。


 徹底的に『王子ルート』の片鱗さえ排除するためか、攻略対象ではない王子はリナたちでさえ及び腰になる雲の上の存在なのだ。

 その清々しいまでに徹底したゲーム設定のおかげなのだろうか、王子の普段の学園生活の姿などゲームを何周もしたカサンドラでさえ知らない。

 時折廊下を通りかかる姿、攻略キャラと一緒にいるところは見かけることはあるが。

 その一瞬の姿だけでも、爽やかな少年なのだなと分かる王子様。



 神秘のヴェールに隠された王子の実態! 素顔の一部を暴く時がやってくる。



 昼食の時間を、カサンドラは今か今かと待ちわびていたのだ。



『天より我らを見守りし 女神ヴァーディアに感謝と祈りを』



 食堂に厳かな声が響き渡る。

 体育館など比較にならないだだっ広い建物が、この学園の食堂だ。


 中央奥にピカピカに磨かれた真っ白な女神像が鎮座する。

 そこから学年ごと、つまり三列の長いテーブルが縦に配置されていた。


 規格外に長いテーブルの上には生花が飾られ、三つ又のキャンドルに火が灯されカサンドラの目の前で揺れている。

 男生徒は右手を胸元に添え、女生徒は両手を胸元で軽く握って祈りのポーズ。

 この国で信仰されている創造の女神ヴァーディアへ祈りを捧げてから食事に入る、既に体に染みついた習慣だ。


 鈍い光沢を放つ長いテーブルは大まかに着席する席が決まっている。

 テーブルの最も奥には王子が座り、そこからジェイク、ラルフ、シリウスの攻略対象――その次にカサンドラが交互に向かい合い着席するのだ。


 カサンドラ以降も貴族の子女がそれぞれ立場に相応の席を順番に埋めていき、更にその次は貴族の出身でも正妻の子女ではない所謂”妾腹”の生徒が座る。

 更に貴族の出身ではない資産家の生徒が続き、平民出の特待生は最も王子から遠い末席に案内される。


 清々しい階級社会だ。感動さえ覚える。


 当然の主人公の位置では王子と近い席で食べるなど出来るはずもない。

 食堂でのイベントはいくつかあったが、それは攻略対象が主人公の傍で食べると言い出して末席に移動してきたり、お邪魔キャラのカサンドラがわざと主人公を転ばせて食事を台無しにしたり……

 いや、自分は絶対しないけど。

 今のカサンドラがそんなことをするメリットなど皆無、百害あって一利なしの主人公虐めである。


 祈り終わると同時に、本日の昼食が始まった。

 学園ものの乙女ゲームだとお昼は自分で注文して自分で配膳したり、お弁当を持ってきたりというパターンも多い。

 その方が学園生活として親しみやすいが、まぁ、この世界ではこの昼食方式が最善なのかなとも納得する。


 見るも無残な、この王国の”階級社会”を視覚で訴えることが出来ているのだから。


 勿論、日常生活も全部が縛られているわけではない。身分と言う垣根を超えた友情や恋愛は良くある話で、同じ学園に通う少年少女なのだから自然の成り行きだ。

 厳格な身分が強調されるからこそ、周囲に認められ乗り越えたときのカタルシスも大きいというわけだ。


 今の自分はカサンドラ。

 末席に追いやられるどころか、正面近くに王子のご尊顔が…!

 勿論ラルフは隣に座っているし、向かいにはジェイクと眼鏡をかけたクールな少年シリウスも揃い踏みだ。

 カサンドラは、こんな美形を眺めながら毎日食事をしていたというのか……!


 その煌びやかさに気圧されたカサンドラは若干、口元が引きつった。

 ナイフとフォークで静かに肉や魚を切り分け、上品に食事を進める生徒たち。


 カサンドラも平然としたフリをしながら、無意識にチラチラとアーサー王子を視界に入れていた。

 本当に惚れ惚れする、まさにロイヤル血統だ。

 常に周囲に光の粒子を纏っているのではないか、本当になんでこの王子を黒幕にしようと思った。

 何故こんなに彼の容姿に気合を入れたのだ。


 彼に悪役なんて、この姿を見ているととても似合わないのに。



 ……もう既に悪役なのだろうか。


 彼の中に『悪意の種』はあるの?

 それを宿していたとしたら、彼はにこやかな笑顔を振りまきながらも見えないところでサイコパスめいた暗躍をしているわけなのだけど。

 長い睫毛の下、澄んだ碧眼にそんな影は全く見当たらない。


 どうにか見破ったりする方法はないのか。

 そう強く思う度、ジーっと彼の顔を凝視することに。


 近い席だから、ガン見してしまえば向こうも当たり前のように気づく。


「カサンドラ嬢、どうかしたのかな。

 私の顔に何かついているのかい?」


 ナイフとフォークを斜め下に向けたまま、困惑気味なアーサーが声を掛けてきた。


 いけない、こんなに多くの生徒がいる前で何て不審な行動をしてしまった。

 ひゅっと息を飲み、カサンドラは背中に汗をだらだらと滴らせる。


「い、いえ……。

 僭越ながら、王子がお身体の調子を悪くされてはいないか心配になっただけですわ。

 新しい環境ですし、お疲れなのではと」


 あまりにも彼の様子を見過ぎていた自分を客観的に思い返すと、穴があったら入りたい。


 もしも悪意の種に邪悪なオーラが纏いつくなら、その瞬間を絶対に逃すまい、と。

 真剣になり過ぎていた。そんな芽が生えていたら、この手で引っこ抜くのに。


「私の体調に変化はないよ。いつも通りだ。

 心配ありがとう、カサンドラ嬢」


 ありがとう、と言いながらもそこに彼の気持ちが乗っているように思えない。

 彼の瞳はこんなに美しく、曇りなき清廉さを表しているというのに。

 その言葉は実に空疎に受け取れるものである。


 すると、隣で食事をしていたラルフがフッと笑う。


「入学早々体調を崩して医務室で寝込む誰かさんでもあるまいし。

 王子の体調管理に不備があるわけがないだろう、カサンドラ」


 この男、余計なことを。

 こんな大っぴらに弱みを吹聴されたら――


「何だ、カサンドラ。入学早々やらかしたのか」


 得たりとばかりに、こちらの失敗を嬉々として拾い上げジェイクも話に乗ってくる。


「全く、入ってきたばかりの特待生の手まで煩わせていて驚いたよ」


「特待生……ああ、三つ子か」


 ジェイクはあまり興味が無さそうに、水の入ったグラスに手を持っていく。

 大将軍の息子と言う立場に相応しく武骨で厚みのある指。

 彼はとても目立つ真っ赤な髪で、この広い食堂のどこからでも彼の姿を確認できるだろう。

 今は座っているからいいものの、隣に立てば巨人に見下ろされている気持ちになれる。

 設定は180㎝だったか、カサンドラより頭一つ分高いのでしょうがない。


「彼女はとても優しい少女だ、見れば分かる。

 だからこそ彼女の優しさに付け入って、無理矢理従えるような真似は感心しないな」


「……以後気を付けますわ」


 悪役令嬢カサンドラ主人公リナに対しては視界を透すフィルターが全く別物なのだと理解している。

 そんな反応なのは慣れっこだけど、あまり王子の前でその話を蒸し返されたくない。

 簡潔に話を終わらせようとするのに、またまたジェイクが絡んでくるのだ。黙ってろ。


「なんだ、ラルフ。もうクラスメイトに目をつけたのか?

 お前が特待生に興味があるなんて驚きなんだが。

 ――随分気に入ってる風にも聞こえるぜ?」


「……勘違いだ。別に僕は、そんなつもりでは」


 顔に朱が射す彼の反応は本当に素直で微笑ましい。

 一目惚れから始まる恋、嫌いじゃない。


「ふーーーーーん。

 俺にはどれも同じ顔に見えるけどな」


 顔にちゃんと二つの目玉がついているのかと疑問に思う、ジェイクの発言。

 同じ? どこが同じなのか? よく差が分かるように、その橙色の両目を指で押し広げてやろうか?

 想像の中で彼の目を限界いっぱいまで無理矢理上下に開く、それくらいすれば簡単に見分けることが出来るだろう。


「か、彼女は全然他の二人と違う…!」


 おやおや、この様子では午前中、ずっとリナの姿を目で追っていたに違いない。

 是非とも、明日の講義でそのそわそわする様を見せてもらおうではないか。


 リナがラルフに抱いた、地をドリルで掘っていくレベルに下がった第一印象を挽回するため、その調子でお願いしたいものだ。

 あれは彼の運が悪かった。ちょっと申し訳ないとカサンドラも思っているのだ。

 ラルフとリナが恋仲になることは、聖女ルートの可能性が拓け、カサンドラの大いなる助けになることと同義だ。

 自然にくっつくに越したことは無い。


「お前たち、くだらない話をするな。

 他の生徒に示しがつかん」


 眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、シリウスは心底うんざりした声を上げる。

 前世の再直近で攻略を終えたシリウスには一番親近感がわく。エンディングを思い出し、表情筋が仕事をしなくなりそうで――慌てて引き締めた。


 ……終盤は主人公に終始デレデレだから、この沈着冷静で不機嫌フェイスが地顔のシリウスが久しぶりに思える。

 カラスの濡れ羽色のように漆黒の髪、そして同じく黒い瞳。

 宰相の息子にして、王国御三家の一角エルディム侯爵家のご令息である。


「――カサンドラ・レンドール。

 私たちや王子を落胆させるような振る舞いは控えてくれ」


「申し訳ありません、精進いたしますわ」 


 反論したところで己にかかった悪役補正が緩むわけでもない。

 傷つかないかと言われれば「うーん」と首を捻るくらい些細なものだ、今更今更。


 逆に、ゲームの中のカサンドラはよくこの塩対応の攻略対象に擦り寄ってつきまとうような真似が出来たな!? と。

 『カサンドラ』の強靭なメンタルに畏怖さえ感じる。


 鈍感とかそういうレベルで片付けていいのだろうか、人の心や空気が読めないって言っても限度があるだろうに。

 これでジェイクたちに好意を持ってアプローチとか、ごく一般的なメンタルの持ち主の自分には何があっても不可能である。

 ゲーム内の彼女のメンタルは、きっと金剛石で出来ていたのだろう。



 乾いた喉を潤すため、水の入ったグラスのステムを軽く抓む。 


 すると視線を感じ、そちらを恐る恐る伺うと――

 アーサー王子と、目が合った。

 衝撃のあまりグラスを落としそうになるのをこらえる。そんな真似をしたら針の筵では終わるまい。


 彼は何も発さず、目が合ってすぐに食事に向き直る。

 でも視線を皿に移す寸前の彼の顔が、とても心配そうな……


   ”大丈夫?” と。

 

 声は出てないけれど、そんな風に口の形が動いた気がした。


「嘘……」


 掠れた声は、幸い誰にも聞き咎められずに済んだ。


 こんなの勘違いかもしれない、自意識過剰だ。

 パッと目を離されたのだ、こちらを迷惑に思っているのは変わらないのかも……


 それでもいい! 勘違いの隙さえ、今まで一瞬だってなかったのだ。

 その僅かな『勘違い』だけで、カサンドラの鼓動はこんなに早くなってしまう。


 王子のあんな顔は卑怯だ。

 眉尻を少し下げて、目を細めて。食事の手を止めてまで……



  心配、してくれたのかな?




 気まずい食事時間だったのに、一気にふわふわとした気持ち一色に染まる。


 顔が良いから、こんなにドキドキするのだろうか?

 それじゃあ、まるで一目惚れじゃないか。

 ラルフのことを笑えない。

 




   アーサーの事を知りたいのだ。





++++




 放課後、ようやく講義から解放された。


 ずっと同じ姿勢だと身体に良くない、もしも講堂でなければ思いっきり腕を上げて身体を伸ばしていたのだが。


「カサンドラ様!」


 耳馴染んだ、リナの弾む声。


「頂戴したお菓子を三人でいただきました、ありがとうございます!

 焼き具合が素晴らしくて感動いたしました、私もあのような美味しいお菓子を作ってみたいです」


 小動物のように可愛らしい少女が、先日とは正反対の弾む声で話しかけてくる。

 緊張が解け、昨日のガチガチの対応から少しずつ柔らかくなっているのが分かってカサンドラも笑顔になった。

 食堂で末席に座る三つ子の様子はカサンドラからは遠すぎて把握できない。

 あの大量の昼食の後、追加で食べたのだろうか。他に食べるタイミングもなかっただろうが、良くもお腹に収まったものだと感心する。


「お口に合ったのならわたくしも嬉しいです」


 ――主人公が三人というのはとても強い。

 一人より、三人。

 常に一人ぼっちで行動するより、互いが互いの支えになる姉妹がいるのだ。


 カサンドラに話しかけ、あまつさえ贈り物までもらったというのにあからさまな顰蹙をかわなかったのは三つ子であることも大きいのだろう。

 もし彼女が一人だったら、完全に目をつけられて校舎裏に呼び出されて虐められていても不思議じゃない。

 次期王妃、侯爵令嬢とは知らず取り巻きが発生するものである。


 でも主人公は三人。

 いくら貴族や金持ちの子でも、同時に喧嘩を売るのは勇気がいる。

 単独行動の相手には強く出れても、三つ子相手は二の足を踏むだろう。


 さらなる集団を嫉妬に走らせる、例えばラルフ達のお気に入りになってしまったら――その限りではないけれど。

 こうして余計な邪魔が入ることなく主人公達と接することが出来る、三人一緒に登場してくれて良かったと思う。

 最初は衝撃だった。何事かと思ったが、今となっては神様に感謝だ。



「カサンドラ様は、このままお帰りになるのですか?」


 もしかしたら校門まで一緒に帰ろうという誘いなのだろうか、と一瞬期待する。

 いけない、昼食の王子の件でどうにも自分にとって都合のいい早とちりをしてしまう。


 それに――仮に誘われたとしても同行は出来ない。


「これから図書館で調べ物がありますの」


「カサンドラ様、図書館に行くんですか!?

 良かったら私も同行させてください。


 ……あ、お菓子ありがとうございました!」


 ペコリ、とお辞儀をする。

 赤いリボンが印象的な三つ子の姉、リゼだ。


「まぁ、ではリゼさん、一緒に……」


 と同行を呼びかけた瞬間、その言葉を制止する直観が働いた。



  これはもしかして、昨日のラルフの再来なのでは……!



 食堂でのやりとりを思い出すと、まだリゼやリタは、どの攻略対象にもまともに会っていないはず。

 この状況でこのままリゼだけを連れて図書館に行ってしまうと、高確率でシリウスに遭遇してしまう!


 カサンドラが一緒にいることによってラルフの言動に棘が出たせいで、好ましく思うリナの心象を大幅に損ねたのだ。


 シリウスも同じ不運に見舞われる可能性が高い。

 そんな胃痛な状況にするのは、出来れば避けたい。

 シリウスにとって、このリゼは最も好ましいと感じる主人公なのだ。

 何もしなくても気になっていくのは火を見るより明らか、無駄にカサンドラが二人の仲の進展を妨げてはならない。


 同じ失敗を繰り返さない、それが経験に学ぶということだ。


 でも図書館に行けばカサンドラの疑問が解ける画期的な本を見つけることができるかもしれないし……

 行かないという選択はない。


 リゼとリナの後ろで、話しかける機会を今か今かと伺っているリタの姿が目に映る。

 




「そうですわ!

 リゼさん、リタさん、リナさん――わたくしと一緒に図書館まで行きませんか?」

 





 苦肉の策である。


 シリウスとエンカウントしたとしても、三つ子で三倍のヒロインパワーがあれば、自分カサンドラへ嫌味を言っている場合じゃなくなるでしょう。

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